2014年2月23日日曜日

大地の大きな構造 その1 くりっペ


    クリッペ(根なし山)

下仁田の地質案内といえば、もう、第一にあげられるのがこれ ・・・・・「根なし山」・・・・
   下仁田ジオパークの「目玉」でしょうか。

とはいえ、「きれいな花」のように、「見ればだれもがイイナと感じる」というものではないところが、観光資源というには、相当の工夫を求められそう・・・ 
  頭の中で想像力をはたらかせると、やっと「すごいことだなあ・・・・」と・・・。
というわけで、少し解説をします。    (なお、図はことわりのあるもの以外すべて下仁田自然学校作成)



  青岩公園の岩の上に立って周囲を見渡した時、川の南側にポコポコといくつも見られる小さな山々の起伏は、じつは多くが根なし山です。
  雨もようの日、この山々に霧がかかり、墨絵の世界のような幽玄な姿がみられました。下仁田町役場から見た景色でした。写真に撮っておけばよかった・・・今頃思っているところです 。
  北側にも同じような高さの小さな山々がありますが,これは根なし山ではありません。まったく違った誕生のドラマを語る山々なのです。
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 下仁田ではどこか別の場所からやってきた岩体(黄色の部分)が、青岩の石(緑色片岩)や秩父帯の岩石の上に乗っています。 下の図のイメージです。


の下仁田の南方向から町のほうを見た図
 青色でぬった下の地層との境目は断層(赤い線)で、これを境に,黄色い部分が、どこからか動いてきたことになります。
 この断層部分を「すべり面」などとも言っています。ツルッと簡単に滑ってきたわけじゃないでしょうが・・・・

下仁田自然史館の入り口すぐ近くのジオサイト・有名な青倉の断層は、この低角断層を見ていることになります。下の写真です。


この写真で、人の頭の上付近、左から右上方向に走っている割れ目のように見えるところが,低角断層です。
              写真:下仁田自然史館



クリッペの山々

下仁田市街地の南にはクリッペの山々が連なっています。
下図は北から南方向を見た図で、薄い黄色の部分がクリッペ群です。

これがいったい、どこからやってきたか・・・・わかっていないのです。

下図の赤い線は中央構造線です。大断層ですが、クリッペをのせている断層とは別のものです(上図と同じ赤い線で書いてありますが、違うものです)。     
              下仁田自然誌館は大崩山の右下付近です。

たまには、クリッペが削りとられて穴があいたようになり、断層の下の石が顔をのぞかせることがあります
  (左図)。
この現象が下仁田自然史館のすぐわきでも見られます。青倉川の川に沿って、クリッペを作る砂岩層の下に、下の地層、左図の緑色で示した緑色片岩がちらっと見えています。
こんな現象を、フェンスターといいます。(最近はウィンドウとよぶことが多いようです)
このフェンスターの場所で、ぼんやり川沿いの石を見ただけでは、「違う石があるなあ」という程度にしか感じませんが、きちんと説明を聞くと、「ヘエー、そうだったんだ」と思えるものです。

クリッペといい、フェンスター(ウィンドウ)といい、丹念に山を歩いて地質調査をして、はじめてわかるものです。交通事情の悪い時代、こうした場所をじつに丹念に歩かれ詳しく記録された先人の苦労がしのばれます。
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下仁田のクリッペを最初に見つけたのは藤本治義氏で、1942年に講演会で発表しています。「跡倉おしかぶせ」とよんでいたようです。戦中戦後の印刷事情のため、印刷公表は1953年になりましたが。


ところで、下仁田には古くから地質案内の看板が立てられていたということです。写真に残っています。この写真がいつ撮られたのかははっきりしませんが、下仁田自然学校運営顧問の細矢さんは、1953年にはこの案内板を見ているそうです。

ジオパーク認定には、地域の自然の解説板のあることも条件になっています。下仁田は、はるか昔からそんな取り組みがされていた地域だったわけです。
  なお、この古い案内板は現存しません。

     解説文を読むと、跡倉層が「青倉礫岩層」になっています。間違いなのか,当時はそう       言っていたのか?  つくったのは「下仁田観光協会」とありますね。
            
     写真は みやま文庫 1967年 自然の歴史 より


現在の解説板


現在、下仁田ジオパーク地域には10基の立派なつくりの地質解説板があります。2000年~2001年に、県の補助金などをうけ、下仁田町と
下仁田自然学校が協力してつくりました。地質見学に来た地質に関心を持つ人、学生の方々に役立つように、という目的でした。
まだ、ジオパークといったものは、提唱さえされていない頃の話でした。

ジオパークの活動に伴い、解説内容をより幅広い人向けの内容に変更することになり、現在、ジオパーク推進室により取り組まれています。


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クリッぺをつくる岩石

クリッペをつくる岩石で一番多いのは跡倉層の泥岩・砂岩・礫岩です。下図の黄緑部分になります。
ほかに、古い時代の石英閃緑岩(赤・オレンジ部分)と、石英閃緑岩が入り込んだ時に周囲の泥岩が熱で変化してできたホルンフェルス(紫部分)があります。


下仁田町から南方向に見えるクリッペのスケッチ   色の付いたところがクリッペ



それにしても、こんな岩のかたまりが,どこからかズリ動いてくるというのは、想像をこえます。
どんな力がはたらいたのか?どれくらいの時間をかけて動いていたのか?
地球にはたらく力・・・・簡単に想像できるものではないですね。


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ところで、別の場所から動いてきた地層・岩石のかたまりが、一つ一つの山になっている場合をクリッペとよびますが、大きな塊状ではナップ(デッケ)とよびます。(デッケはドイツ語、ナップは英語かなあ・・)。専門家の話にはしばしば出てきますので、ちょっと解説を。こういう用語名は,解説してもらわないと何のことかわかりませんので。高校地学教科書の図をのせてみます。

下の図のaのようにぐっと曲がった地層が、さらに押されて一部が切れ、別の場所まで動いて行ってしまう(bのように)・・・動いていった境目は断層として残されます。
  この図では断層の上と下の地層が同じ種類のもので描かれていますが、下仁田では断層
  の上は跡倉層の砂岩や泥岩、下は青岩の石(緑色片岩)で、まったく異なる岩石にな
  っています。
右の図の「衝上断層(しょうじょうだんそう)」が、クリッペをのせている低角断層にあたります。
                                        図: 第一学習社・高校地学教科書より


衝上断層の上の部分のことをナップとよびます。ナップは遠くからやってきた岩のかたまりかもしれない・・・・。こんな構造を,このブログに前回のせた図では 「押し被かぶせ構造」とよんでいました。藤本治義さんが使った言葉がこれです。


このナップが削られ、ポコポコと別々の山の形になったものをクリッペとよびます。

                                       
他の場所にも,ナップ・クリッペはあるの?

下の図の黄色い部分はクリッペ・ナップです。埼玉県小川町のほうまであるんだ・・
こんな中で、下仁田のクリッペは日本の地質100選に選ばれています。
どんな地層でできているのでしょうか。
神流湖のわきにある神山クリッペは跡倉層からできています.
小川町には石英閃緑岩が分布し、石英閃緑岩の研究をしている方は、下仁田のものと岩石学的特徴が一致すると述べています。ホルンフェルスも分布します。
下仁田だけでなく,もっと広い範囲での出来事が想像されてきます。







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ナップのような構造は,じつはヨーロッパアルプスなどで大規模に見られるといいます。そういった図を載せますので,ご参考に。ナップという言葉で説明されています。
  見ただけではあまりよくわかりませんが、雰囲気を感じられるかも。
第一学習社 地学教科書より

次の図もヨーロッパアルプスの構造。アルプスの山々は、とにかく、たくさんの褶曲と断層の組み合わせで、できている!

          東京書籍地学教科書より

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関東地方に2月14日金曜日から15日にかけてから降り続いた雪、大変な被害!!
  当日家に帰れなかったり,車を放置せざるを得なくなったり、雪道を長時間歩いたり・・・

下仁田も麻痺状態だったようです。孤立世帯も・・・。「あそこの集落はどうかな・・・」と、地質見学で訪れた場所が頭に浮かぶ・・平原(へばら)、七久保・・・・
学校は授業ができず、再開は24日月曜日からだそうです。

春の花のシーズンに,何となくドライブした場所も思いおこされます。三波川結晶片岩の地域を流れる鮎川に沿って、なにやら上る道があるので行って見たら,相当登った上に、手入れのされたハナモモなどが美しく咲き乱れる集落があり、びっくりしました。奈良山といいました。周囲の山々をみわたせ、気分もよくなる・・・でも、毎日の卵や牛乳はどうするのか、とか思ってしまう・・・あそこも孤立しているのでは・・さらに進むと、「名無村」などと言う集落があったり・・(この文字を見て,びっくりしました。「ななしむら」ではなく、「ななむら」と読むそうです。ちゃんと2万五千分の1の地図に載っています)。家があったかなあ、と、記憶が薄れているのですが、名前からして辺境の地で、いかにも孤立しそう・・
他にも、春には花の咲き誇る、山奥の桃源郷の趣の集落が思い浮かびます・・どこも、雪に閉じ込められたのでは・・・


ビニールハウスの被害は,本当に痛ましい・・農業をおこなっている方には高齢の方も多く、野菜作りをやめると言っている方がたくさんいると聞きます。ビニールハウスを再建するには相当高額の資金が必要なのです・・・つぶれたハウスのパイプて撤去だけでも、手に余るほどの作業です。規模の大きなハウスは,かなりの借金をしての建設だったことでしょう。
下は、玉村町の農業用ハウスの様子です。

バラのハウス・相当高額の投資をされているはずです
被害に遭われた皆様の、少しでも重荷の軽減がなされることを願ってやみません。


つぶれたハウスの下にはイチゴが・


キュウリが凍っています


雪国からしたら,普通にある程度の雪・・・でも、備えがないということは、こんなことになるわけです・・・


毎日を安全快適に過ごしているのは、きちんとしたシステムと多くの人の力のおかげと、つくづく思った雪の被害でした。





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