2020年8月26日水曜日

国宝決定! 綿貫観音山古墳の出土品 展示してます

                              


国宝となった発掘物
  「綿貫観音山古墳のすべて」展

今年3月、国の文化審議会が高崎市にある綿貫観音山古墳の副葬品や埴輪などの国宝指定の答申を出しました。その国宝指定を記念する企画展です。
たくさんの貴重な展示物がみられます・・・9月6日まで

       企画展は7月18日から始まっていたのですが、私は8月の暑さに負けて、
         今になってやっと出かけました。すぐ近くなのに。
         早く行って、みんなに「行って見て!」と言えばよかった。後悔です。
         
 高崎市群馬の森にある群馬県立歴史博物館が会場です。というより、この古墳の発掘物はすべてこの博物館に保管されているのです。
観音山古墳から歴史博物館までは1㎞程の近い距離です。ですが、この古墳があったからここに歴史博物館を作ったのではなく、たまたまこうなったようです。何という幸運。
 ついこのあいだまで「群馬に国宝はない」と聞いていた気がするのですが、
世界遺産になった富岡製糸場が国宝に指定されたのはいつだっけ・・・ネットで調べたら、2014年12月。

 新たに国宝、それも我が家のすぐ近くにあるものが国宝になったのは、なんだかうれしいものです。3346点の出土品が一括して国宝指定、と思っていたのですが、それでよかったかな?

とにかく、盗掘などなく、多くの品々がそっくり見つかっていて、しかも内容が豊富で貴重とのことなのです。

 常設展にも多くのものが展示され、埴輪は見事です。
  
群馬南部地域は近畿と並んで古墳のたくさんある場所です。
この地域で育った私は、小中学校の頃、古墳なんてどこにでもあるものだと思っていたものです。
 
 

埴輪は常設展会場にたくさん展示されています。




 新型コロナの影響で、入館者の規制があります。基本は予約しての来館です。

 9時半開館で、その時間では来館者も少なめ。
普通なら、こうした企画なら押すな押すなの人でしょうに。ましてや、国宝記念の企画。他の地域からの国宝を含めた展示品もあるというのに。
残念というか、・・・・楽にゆっくり見られて、ありがたかったですが・・・




他地域の発掘品も参加しており、そこには国宝も含まれています。

沖ノ島は信仰の島として世界遺産となっています。ここは宗教上、人の立ち入りをを許さないのでしたよね。

奈良の藤ノ木古墳も著名な古墳です。
金銅心葉形杏葉というのは馬を飾ったという馬具。
右下の写真は藤ノ木古墳のものです。


これは観音山古墳の副葬品 馬具


 綿貫観音山古墳は6世紀後半のものと考えられ、全長97mの前方後円墳です。
 1968年から発掘調査が始まったそうです。すると、石室の副葬品がほぼ完全に残っていたというのです。

古墳のすぐ脇の道を仕事で通っていたりと、ごく身近なものだったのですが、「そうだったのか」という思いです。

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 ところで、ここには我が家から1㎞程の所で発掘されたものも取り上げられていました。
小学校をつくるために発掘した場所に、貴重な副葬品のある古墳が埋もれていたのです。
しかも2基。
ちょっとうれしいので紹介。
 朝鮮半島由来の太刀や冠、太刀の柄の飾りなど、貴重と言われています。
 これらが展示されていました。



 自分の住む場所に、こんな昔に、朝鮮半島からやってきた人が住んでいたかもしれない、と想像すると、なんだかわくわくします。
よその人間を見れば敵と見て争うというのでなく、文化を伝えて、一緒に暮らしていた人もいたのかもしれない。
1500年前といった時に、どんな人たちが、どんな思いを持って生きていたのか、「やあ、こんにちは」と話ができたら、どんなに楽しいだろうか。




 ところでもっと昔、私が中学生の頃、この地域にあった小さな古墳をほぼすべて取り去り、水田にしたこあとがありました。それに伴って、事前に古墳の発掘調査がなされています。
 学校では授業時間に、一日発掘現場を見て回り、説明をしてもらったことがあります。何しろ、生徒たちの通ってくる地域、すべて徒歩で行ける範囲でしたから、学校から歩いて見学できるのです。
 この時「三角縁神獣鏡」が見つかり、公民館に置いてあったこの鏡も見せてもらい、説明も聞いています。

 その「三角縁神獣鏡」が、歴史資料館の常設展示に置かれてあります。右の写真です。

それにしても、この時の先生たちはえらかったなあ。
感謝します。

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 綿貫観音山古墳と周辺の地図が掲示されてありました。
我が家近くの発掘古墳は、国宝をもたらした古墳からそれほど遠くない場所、小泉大塚越1号古墳、3号古墳。すぐ隣の田んぼでは、麦の育つ頃、うっすらとなにかの跡が浮かぶといいます。麦の生育状況が違ってくるようです。下にまだ古墳が埋まっているわけです。隣接する小学校の屋上からながめるとわかるのだとか。みてみたいと思っています。
この地域の古くから住んでいた人たちには、もしかして、私のご先祖様もいるかも。
ちょっと楽しくなります。
皆さんも、ご自分の住む場所、故郷などのこと、調べてみませんか。


 ところで、古墳をつぶして行った耕地整理、機械使用に効率的な水田が生まれたのですが、その後コメ余り、減反・・・農家の方々は、工事のための分担金を払ってきましたが「あのお金がなければ、ずいぶん楽だったのに」と、ため息の声を聞きました。1500年も残っていたものだったのに・・
機械の力を手に入れ、比較的たやすくできるようになって行ったことが、人を幸せにしてなかった・・・できるからやるのではなく、それの価値、本当に必要なのかどうかなどを考える事こそ必要なのだ思ったものです。

 歴史博物館のあるぐんまの森は1974年に開園しています。ここはもともと岩鼻火薬庫といって、黒色火薬のやダイナマイトの製造の場でした。1945年まで。年代からわかるように、軍関係の火薬製造に関わっていました。「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」という名称がついていました。
私の母はこんなことを言っていたものです。「昔はド~ンと音がすると、火薬庫がはねたのか、浅間山がはねたのか、といったものだよ」。」そういえば私が子供の頃は、浅間山からの灰が降ってきたことは、たまにはありました。

 近くの場所もいろいろな歴史を持っていたりします。時間があったら、こんな目で見ながら散歩してみてもいいですね。






1 件のコメント:

  1. 埴輪って結構好きです。何が好きかっていえば、ヒト型や動物の目が好きです。ただ穴をあけただけの表現なんですが、魅かれます。ちょっと違うよと言われるかもわかりませんが、モジリアニの描く人の目にも、漫画家の永島慎二の人の目(瞳が描いていない目ですが)にも魅かれます。家のすぐというわけではありませんが、近くにも古墳が二つあります。
    ところで、野道山道さんのネームはジオロジストの歌からとったのでしょうか?私の自伝的小説にもジオロジストの歌や山でよく歌っていた歌を入れていたり、高校の時、同人誌をやっていたので詩などもたくさん入れました。私は浅間と言えば立原道造を思います。
    この夏は博物館など涼しいところで過ごすのもいいですね。

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