2015年3月23日月曜日

下仁田地質案内15 蒔田不動の滝・・クリッペの上にあります

 
 
蒔田(まいた)不動尊の滝 のある場所は クリッペの上
 
 下仁田町より東方、下蒔田(しもまいた)の集落から少し歩くと、細く長く流れ落ちる滝があります(右写真)。
岩壁の高さ25mといいますから、滝の落差も25mほどということになるでしょうか。
 
滝の脇には階段がつけられ、
たどりついた場所からは滝がよく見え、お堂が建てられて
お不動様がまつられています。


 左写真は、下から見上げた石段なのですが、なんだか、上から見おろしたような感じになってしまいました・・・


この滝のある場所の地質は、下の地質図で。
黄色の楕円に囲まれた付近が、今回解説する場所で、楕円の中に引かれた黄色の線を、上から下(北から南)に向かって歩きます。

地質図の黄緑から薄茶色を横切って歩くことになります。
薄茶はクリッペ部分、黄緑は三波川結晶片岩地域です。
より詳しく見ると、水色部分も入り込んでいるのです。水色は下仁田構造体地域と言われる部分になります。

というわけで、わずかな距離に、様々な種類、様々な生い立ちの岩石が顔をのぞかせることになります。複雑ですね。
はじめてここを調査した人は、どうなっているのか、理解するのも大変だっただろうなあ。 今歩いてみても、よくわからない・・・
じつは、ここを中央構造線も通っています。ますます複雑な感じ。
しかも、断層は直接は見えていません。(数字は本の解説用で、ここでは関係ありません)



右図は観察コースの解説の図です。
茶色がっかった色に塗ってある部分がクリッペ部分です。

茶色く塗られたくりっぺ部分の模様を見ると、2種類あります・・・
+印が石英閃緑岩、
点々が跡倉層(あとくらそう)の砂岩や泥岩です。

 赤い線は大きな断層の大北野ー岩山断
層、じつはこれが中央構造線にあたるといわれています。

ひょろひょろとした短い波線は三波川結晶片岩(青岩公園の石と同じ石)。あちこちに顔をだしています。何しろ、クリッペの下に広く分布するのがこの石ですから、顔を出すのも不思議ではないわけです。

大きめの点々が神農原礫岩(かのはられきがん)。
はねこし峡によく見られる礫岩で、ずれ礫が見られたりする礫岩です。中央構造線より北側(図の上側)に分布する礫岩になります。

はて、こうなると、図の中に見られる、中央構造線より北側にある結晶片岩は何?という話になります。結晶片岩は中央構造線より南にあるという岩石ですから・・・

この図をよく見ると、
千平ー蒔田(せんだいらまいた)断層
という断層が横切っています。
どうやらこれがかかわるようです。

いやはや、何とも複雑な構造です。
こういうときは、断面図を見ると、理解しやすくなります。
下の図が断面図。 右上図の上から下に歩いたコースが、断面図の左から右となります。蒔田橋(横瀬川)から岩山クリッペまでのコースです。
   (注意:上の図では跡倉層の砂岩が点々の記号ですが、下の断面図では横線になっていました。)

断面図で茶色に塗られたのが、クリッペ部分。先に述べたように、クリッペの岩の種類は、2種類あります。
地下には 結晶片岩が広くひろがっているのがわかります。
そこに神農原礫岩が、断層に区切られて、入り込んでいるというのですが、このあたりがよくわからない。
いったいどんな動きがあったのか・・・よくわからないけど、ま、仕方ないか・・・ 
       (スラストというのは、底角断層、つまり、平ら(水平)な感じの断層のことです)

やっぱり複雑で難しいですね・・・
  


 コースを写真で見てみます。

     道路脇に蒔田不動の案内板があります          ずっと杉林の中を歩きます

                                 
















↑まずは、沢沿いに青緑色の石がみえます。結晶片岩です。やがて、顔つきが変わってきま
す。礫岩らしい。


砂防堰堤が見えてくる頃、ジオサイトの看板が立っています。 その下の川底は、いかにも「礫岩」という感じ。神農原礫岩です。↓

 
↓看板の所から橋を渡って対岸に行くと、道脇の法面になにやら青緑色がかった石が転がっています。崖から転がり落ちたのでしょうか。  その石を詰めた法面もあります↓。結晶片岩です。
 

このあたりに中央構造線の断層が通っているはず(神農原礫岩と結晶片岩の境目部分)。
   ウーン・・・なかなかわからないけど・・・









←沢の方を見ると、石が転がっています。その石の種類は、青緑の結晶片岩と、ごま塩模様のかこう岩の仲間の石(石英閃緑岩)、
     この2種類の石が目だっています。↓

   上流にはこの石があるはずです。
  


やがて滝が見えてきます。

たどりついた滝の下の石は、右写真のように見えます。見ても、何の石かわからない。ハンマーでたたいてみなければ、色もわからない・・・
でも、お不動様の奉られる付近をたたくのも不謹慎かと・・


滝の脇に、上まで登る道がついているので、登ってみると、水の流れる沢に行き着きます。
この水が滝となって流れ落ちるわけ。水が石を磨いてくれるので、そこを見てみます。ハンマーでたたかなくても、岩石の新鮮な面が見られるわけです。ですが・・・
写真で見てもよくわからないし、実物を見ても、ウーンという感じですが、石英閃緑岩だそうです・・・解説プリントにも、「砂岩のように見えるときも・・」と書かれていました・・下の2枚の写真の石です。














道に戻って歩き始めると、また、青緑色の石が見えてきます。結晶片岩です。
道脇に、イノシシが泥あびしたヌタ場があって、結晶片岩が粘土のように軟らかくなっていて、青緑の粘土のように見えていました(右の写真)。

 
やがて、また違った雰囲気の石・・・これは跡倉層の砂岩。風化していてわかりにくいし、こういう場所ではちゃんとハンマーでたたいて、石を確かめるべきでしょうね。 こんなふうに、様々な石が出てきて、石も風化していたりしてわかりにくかったり、それらの関係も難しく・・・つくづく、「自然は一筋縄ではいかない」
 こんなことを感じるコースでした。
 
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今回出てきた岩石などの簡単な解説を

三波川結晶片岩: 結晶片岩は岩石が地下15km~30kmに沈み込んで高い圧力を受けてできた
             岩石。三波川結晶片岩の変成作用は白亜紀後期といわれます。

神農原礫岩   :下仁田付近で中央構造線の北側に分布する礫岩。狭い範囲に見られて
           います。ずれ礫(食い違い礫)がみられます。礫は石英斑岩が多く、石英斑岩は
           8,500万年まえにできています。ですから、この礫岩ができたのはこれよりあと。
           でも、いつ堆積したかは不明です。

跡倉層   :中生代白亜紀後期に海に堆積した地層(8千数百万年前)。下仁田自然学校の
        化石探険隊が跡倉層から発見したアンモナイトナから、年代が少し古くなる可能性も
        考えられています。

石英閃緑岩  :花崗岩に近い成分で、花崗岩より少し黒っぽい。花崗岩と同じに、マグマが
          地下深くでゆっくり冷えてできた石





2015年3月15日日曜日

ツバキの育つ地域

   早春の花が咲き始めています・・・スプリングエフェメラルの紹介

早春、まだ木々が葉を開かない頃に、光の差し込む林床に可憐な花たちが姿を見せます。
そして木々が葉を開く頃には姿を消します。こんなふうによばれます。
      スプリング・エフェメラル、春の妖精 、春のはかないもの、春植物 
名前を挙げれば・・カタクリ、イチゲの仲間、ニリンソウ・フクジュソウ・ヤマエンゴサク・・・・・・


早くに咲く花、セツブンソウを見てきました。秩父小鹿野に群生地があります。2cmほどの小さい花ですが、かわいらしく、カメラを抱えた多くの人たちが訪れています。
石灰岩地を好むとの説明。下仁田にはなさそうですが。


ツバキ・・・・・日本の花

ヤブツバキが赤い花をたくさんつけています。
庭先に植えられた様々な園芸品種のつばきもたわわに花をつけています。そんな豪華な花も含めて、地面に重たく散り敷いた花を集めて首飾りをつくった記憶がうっすらと浮かんできます。
                                                    ヤブツバキ


欧米ではつばきをカメリアとよびます。あでやか,異国的で「日本のバラ」,花の貴族にたとえられたそうです。品種改良を重ね、1万種を超える品種を生み出したといいますが、はて、本当のところ、何種類あるものなのか・・・
日本のつばきは床の間に似合う清楚さをもったイメージかと思いますが、カメリアはもっと華やかな感じがします。大きく,厚みもたっぷりあって,社交界のパーティーに身につけて出かける・・・
ベルディ作曲のオペラ「椿姫」にこうしてつばきが登場してくるわけです。「三銃士」を書いたデュマの息子が原作というオペラの中で歌われる「乾杯の歌」は、多くの方がどこかで聞いたことのある旋律かと思います。 
品種名・桃太郎
東アジアに固有なつばきそのものがヨーロッパに持ち込まれたのは、16世紀、ポルトガル人によって。18世紀初めイギリスに伝えられ、19世紀のフランスでは夜会のアクセサリーとしてパリジェンヌの胸をときめかせた・・こうして椿姫もうまれる・・・

ヤブツバキからはだいぶイメージが違ってきました。

人が手を加える前、その地域をもともとおおっていた林は何か。
私の住む玉村町をもともとおおっていた林は照葉樹林です。群馬よりだいたい西の地域・関西・九州に広がっていて、カシやシイの木が生い茂る森です。そんな森にいつも見られるのがヤブツバキ。森を特徴づけるので、専門家は”ヤブツバキクラス”という言葉を使っているくらいです。
ツバキの仲間は日本・朝鮮半島・中国の一部にあるといいますが、それがヨーロッパの海外進出とともに世界に広げられていったというわけです。
それにしても,そこらにはえているヤブツバキ、そのすっきりとした花には魅力があります。
しだれ桜で知られる高崎の慈眼寺に隣接して、たくさんの品種のツバキが植えられています。品種名が書かれてありますが、そのプレートもだいぶなくなっていました。スペースも狭いので、育ちも、もう一歩でしょうか。園芸品種は人の手で世話する必要もありそうです。 いくつか紹介します。お寺に植えてあるので、いかにも「つばき」といった感じの、和風の品種が多いようです。(ヨーロッパでは、バラにたとえられたのですから、多分、八重咲きの大ぶりの花が好まれたのでは)

 玉霞                       ふくつつみ                    太郎冠者
                                          


          正義(まさよし)
  ←都の春             百合つばき→

高源(こうげん) ↓                鹿児島                    



まざまな品種のツバキを見て、それでもヤブツバキは美しさで遜色ないと思いました。ヤブツバキの大きな木には魅力があります。

玉村町にあるわずかな面積の照葉樹の林が、かつて北関東の平野を広くおおっていたシラカシの林の名残といわれ、群馬の自然100選というものに選ばれています。だいぶ以前になりますが、こんな照葉樹林の名残はどれくらい残ってるのだろうと調べたことがあります。1990年の群馬県林務部発行の本に載っていました。県内では、次の場所でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安中湯沢鉱泉付近の急斜面 (比較的大規模)
下仁田不通渓谷 (急斜面)
富岡貫前神社 (神社の森)
玉村上福島 (屋敷林・・この地域では空っ風を防ぐ防風林が民家の周囲にあった)
桐生泉竜院  (神社の森) 
  他では、アラカシ林が前橋橘山の急斜面にあります
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東日本でも早くに開かれたといわれる北関東のこの地域には、昔の植生そのままの場所は、ほとんど残っていないようです。下仁田にもあるわけです。大切にしなければ。


下仁田のシラカシ林の中に生える植物をあげてみます。
どれも照葉樹林によく育つものですが、特徴づける種類をいくつか太字にしてみました。

<高い木> 
シラカシ アラカシ コナラ ケヤキ ムクノキ   

<低い木> ヤブツバキ  アオキ  シロダモ  
      テイカカズラ  キヅタ 
ムラサキシキブ
         ダンコウバイ アブラチャン  茶 

<草>  
 ベニシダ  ヤブソテツ 
 ヤブコウジ ヤブラン 
  アイアスカイノデなど 

←キヅタ           アオキ→      
                 

 玉村の照葉樹の森は、小さな川沿いで、利根川を渡る大きな橋の近く。ゴミなんかが転がっていそうな雰囲気。価値をちゃんと知るというのは大切ですね。知らぬ間に消失してしまわないためにも。

2015年3月8日日曜日

石垣のシダ 

 人里のシダ

道端にはいろいろな植物がはえます。
「湿った日陰にはえる」というイメージのシダだってはえています。
 
 石垣は、人々の生活の場で、あちこちでつくられてきました。山道の脇・斜面、畑の縁、民家の塀・土台・・新しくコンクリートでビシッと固められた斜面ばかりでなく、古くからつくられたらしい、石の積み上げられたものもあります。そんな場所には、植物が育っています。シダも目につきます。

ノキシノブ
 下仁田でも、歩いていると、石垣に出会います。
古くからの集落の道沿いの石垣は、なかなか趣があります。
下の写真で、石の間にたくさん見える緑のものは何でしょうか。
拡大するとわかりますが、ノキシノブ(シダの一種)です。もちろんコケもはえています。シダなのに、カラカラに乾く石の上にはえている・・・。雨が降ったらたっぷり水を吸い、あとはひたすら堪え忍ぶ??
庭木や石灯籠などにもつくといいますが、私の暮らす玉村町では見かけないかも・・。山も林も古いお庭もあまりないからなあ・・お寺や神社も、それほど立派なたたずまいのものはないし・・・湿度も関係するかも、などと、しばし考えました。皆さんのお住まいの場所はどうでしょうか。

 












にわか勉強でノキシノブを紹介してみます。
 いくつか種類はあるようですが、標高の低い民家の近くにあるものは、まず「ノキシノブ」と思っていいとか。木の幹についているのも見かけますが、屋根の軒下などにもよくはえることから、ノキシノブ。

”軒の下など、カラカラに乾いた苦難の環境で堪え忍ぶから「軒忍」”などという人もいるようですが、解説を読んでいると、どうやら本当のところは、「軒下などにもはえ、シノブのように着生するから」のように思えます。シノブもシダの名前で、いかにもシダらしい姿で園芸用によく栽培されていますから、写真を見たら、「ああ、あれか」と思う人も多いはず。もっといえば、シノブはシダの古名だそうです。

イノモトソウ
 左のシダ、下仁田なら、よく見かけるものだと思います。山の表土の薄い所によく見られるようです。つまり、掘るとすぐ岩のでてきそうな所。こんな崖のようなところにもはえています。
 
イノモトソウという仲間のシダで、似た感じの園芸品種はお店にも売っています。白い斑入りのものなども見かけるかも。
 
これもにわか勉強してみました。
 
イノモトソウ  (井の許草)
 
 
 人里の道端や石垣、崖面、ごく明るい森に普通に見られます。私の住む平地の玉村町では見かけませんが。

 
 井戸の脇などにはえる人里のシダというのが名前の由来だそうです。


このシダ、じつはここに3種類あることを教わりました。
イノモトソウ、オオバノイノモトソウ、そして、この2種の雑種のセフリイノモトソウ。



ふっと思いついて解説を書き始めましたので、しおれた葉っぱの写真になってしまい、すみません。なにぶん、私の住む平地の玉村町には、このシダは、はえていませんので・・・
 外で見たときは、よく見れば少し違うかなあという程度ですが、真ん中の軸にヒラヒラ(翼)が付いているかどうかではっきり区別できます。
ヒラヒラありがイノモトソウ、なしがオオバノイノモトソウ、ちょっとあるのが雑種のセフリイノモトソウ。
なお、この種類のシダの葉は、胞子をつけるためのものと、胞子をつけないものがあり、胞子のつくものはどれも少し葉が細めです。違いが目について、「違う種類だ」と思ってしまいそう。ちょっと注意して、胞子がどこにつくか観察してみたらいかがでしょう。
 じつは、シダはどんなふうに胞子がつくかが同定の大切な要素なのです。
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ちょっと理科の勉強を・・・・・・いまさら”勉強”なんてしなくてもいい・・かな・・・・
 「雑種?シダって胞子で増えるんじゃなかったっけ」と、昔勉強したのを思い出して、首をかしげる人もいるかもしれません。もっともそんな疑問を持つ人は、ずいぶんよく知っている人でしょうから、疑問ではなく、解答を知っているかも。
 
 
  以下の内容は以前にも書きましたが、今回はシダの話なので、もう一度紹介してみます。
 シダには花は咲きませんから、種もできません。花って、種子をつくるためのものなのです。胞子は、おしべめしべで行われるようなような受精とは関係なく葉につくもので、胞子からはえるのは、前葉体という小さな「コケ」のようなもので、右写真の、ちょっとハートっぽい形のものです(ここの石垣とは別の場所のもの)。これに卵と精子ができて、それが受精して、やっとシダがはえてくる、という、何だか面倒に思える事をやっています。
精子は水の中を泳ぐから、水のある場所の方が都合がよい・・・石垣では乾いていて大変だろうと思うのですが、ここを選んで育ち、増えているのだから、うまくやっていく仕組みがあるのでしょう。
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紹介した2種は、広く見られる種類ですが、 
道路脇の石垣には、他にもいろいろ植物がはえます。石垣のような、比較的限られた環境に育つものだってあります。シダも、紹介した2種だけでなく、まだまだ他の種もみられます。

当たり前に見られそうな石垣ですが、植物たちの育つ独特の場所として、大切な場所にもなりそうです。下仁田では道端や畑の端の石垣ですが、お城の石垣にだって、同じような環境があります。石垣は絶滅危惧種の生育場所だったりもします。


月並みな言い方になりますが、人の暮らしと共存して生きるものたちを大切にして、あたたかく見守っていけるような場所になれたらと願います。






少し山よりの民家の塀の石垣には、「フサフサ」といえるほど、シダたちが大きく育っていました。ヤブソテツやイノモトソウといったシダたちでした。
 ヤブソテツ                                      イノモトソウの仲間

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私が育った家の井戸はまわりを大きく石垣にかこまれ、その石垣にはユキノシタがたくさん育っていました。南牧村に、ユキノシタがびっしりとはえ、花に覆われる大きな石垣があると、ききました。花の頃、いってみたいなあ。
我が家の井戸はその後,石垣を崩して埋められましたが、そのとき、石垣の間からたくさんのヘビが出てきたそうです。話してくれた母の、いかにも「気持ち悪い・・・」といった表情を思い出します。冬眠中だったのかな。
下仁田の石垣も、いろいろな生き物の住みか、冬越しの場になっているかもしれません。
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下仁田在住の里見哲夫さん(下仁田自然学校名誉顧問)は、群馬県の植物を長く研究してこられました。なかでも、シダについては大変に詳しく、野山を歩き、調べてこられました。花の咲かないシダは区別が難しく、わかる人も少ない分野になります。
 
下仁田にはたくさんの種類の植物が見つかります。群馬県には雪国タイプの植物もたくさんありますが、これはもちろん下仁田では見かけません。そんな中で群馬県全域と下仁田町に分布する植物数を比較した表を見比べてみました。シダでは、特に多くの割合で、生育が確認されています。これは里見さんのおかげなのでは、と思っているのですが、いかがでしょうか。
 
         群馬県   下仁田町 
シダ      235種   142種   60%
種子植物     2966種  1197種   40%  (ほぼ、皆さんが普通の植物と思っている植物のこと)
 
 

2015年3月1日日曜日

地質案内14  鍾乳洞調べの記録



下仁田でも、生徒と一緒に野外の調査をなさった先生たちがいました。
そこで、残された記録を一つ紹介します。
 下仁田・南牧村の洞窟調べです。

調べたのは、1970年~1971年(昭和45~46年)、下仁田東中学校の生徒と今は下仁田自然学校運営顧問の堀越武男さん。この時の生徒、今、何歳になっているかなあ・・・みんな、いいおじさん・おばさんですね。

下の図で、洞窟の位置がわかります。「秩父古生層」とあるのが、”1970年代なんだなあ”・・・と。
今、「秩父古生層」は古生層の地層というわけでなく、もっと新しい中生代の地層の中に、古生層の塊が転がり込んでいるとわかってきたからです。古生層とはよばず、秩父帯とか秩父中古生層などとよばれたりしています。
図の記録で、洞窟は小さいものも数えれば10あります。しぼ山、小沢弁天窟は小規模、桧沢は入り口が大きく外気の影響をうけやすく、弁天山は人工的に変えられているとのこと。また、広河原以外は鍾乳洞です。鍾乳洞は石灰岩の中にできるもので、この地域には石灰岩体が点々と見られることがわかります。

ところで、石灰岩については、小さな岩体でも地図に記載されました。石灰岩からはしばしば化石が見つかり、それによりその地域の地層の年代を決めてきたからです。
秩父地域の石灰岩の分布図を下に載せてみます。



秩父帯の岩石からは簡単には化石は見つからず、地層の時代決定には石灰岩がとても頼りになった・・・やがて、まさか化石があるとは思っていなかったチャートから、時代決定にとても役立つ微少な化石・放散虫が大量に見つけられるようになり、地質の見方まで変わってきたという、調査研究の歴史があります。

図は「やさしいみんなの秩父学」より



①下郷(しもごう)鍾乳洞
下仁田の鍾乳洞でいちばん大きいのは、下郷鍾乳洞。これは以前に詳しく紹介しました。
                                                                http://geoharumi.blogspot.jp/2015/02/11.html
ところで、生徒たちは洞窟内の気温、水温を測っていましたので、それを紹介してみます。
第1、第2・3というのは、3つの鍾乳洞があり、それぞれをさしています。



まとめれば こんなことになります。
・下仁田付近の鍾乳洞はすべて秩父帯にある
・各洞窟には方向性があり、節理に沿って地下水に侵食された。また、岩石の境界面は、
 洞窟が広がり易い。
・洞内の気温はほぼ10℃~14℃で、季節による変化が少ない
・鍾乳石などの洞内生成物は、岩肌を流れる水の量や湿度により大きな差がある

生徒たちが、せっせと沢に沿って歩き、洞窟で温度計・湿度計を手に測定をしている姿が目に浮かびます。洞窟内の気温はほぼ10℃~14℃で、小さな洞窟とはいえ、季節による変化は少なめ。
夏から秋の地下水の多い時は、洞床の下を流れる地下水の音が聞こえてきたそうですから、探険気分も増したことでしょう。小さな鍾乳石やリムストーンもみられたということで、地下の神秘に触れた思いだったかもしれません。
  

②砥沢(とざわ)白岩鍾乳洞  1975年の報告です

南牧村(なんもくむら)砥沢から 南に2.5kmの所、
尾根近くの標高約900mにあります。
ここではチャートや粘板岩、砂岩の秩父帯の石を、もっとずっと新しい時代の流紋岩が貫いています。

入洞可能な部分の長さは約30m、幅の最大は約5m。入口付近は天井が低く横に広いのですが、内部は高くなり、最奥部で推定20m以上の高さになっています。
洞の方向はほぼ東西ですが、途中で屈曲。これは石灰岩の節理方向とだいたい一致しています。
側面と天井は石灰岩ですが、床はチャートです。中央部よりやや奥、入り口より20m付近では、このチャートが沈殿物で覆われつつあります。
最奥部では、岩肌をおおう流れ石(フローストーン)が高い側壁を飾ります。側壁や天井には洞窟サンゴや、イボ状沈殿物が多くみられます。イボ状沈殿物は、甘楽地域の他の鍾乳洞と較べ、特に多く見られます。
中央付近には畦石(あぜいし)と流れ石による小さな池がありますが、下の方のものは泥で埋まっています。

下に、洞窟の断面と入り口の形の図をのせます。
左図の縦方向の細長い部分が推定20m以上の高さとなります。





洞内では地下水がわずかですが年間通して流れています。ですが、内部は乾いた感じで、鍾乳石はあまり発達してません。入り口や洞内が広く、その割に長さの短い洞窟だからでしょうか。

<洞内の気温>
             外気  洞内気  水温
昭和46・7/22   25℃   13℃  12℃
       46・10/17  16     10    10
       51・2/11   1      5     5

コウモリやヤスデ、トビムシ、クモ、蛾、
マダラカマドウマ、白いヒルなどみかけたそうです。
 ③広川原最勝洞
ここは主にチャートでできた洞窟です。チャート洞窟としては、日本の代表的なものとも言われるそうです(チャートの洞窟って、ちょっとめずらしい感じがするのですが・・・)。
秩父帯の石(チャート、粘板岩)と、第三紀の岩石(本宿層の凝灰角礫岩や安山岩)の接触部にできています。
7~8の洞窟が分布していて、
それぞれ名前がついています。

<抜穴>
全長約37m、支洞を含めると60m。乾燥していて、沈殿物なし、水なし


<本穴>
入り口より10°の傾斜で2本の洞が線状に下り、最奥部までは約24m。奥には地下水がたまり、池に。水位は30~40cmで増減しているようだ(岩肌の様子から推測)。側壁に沈殿物がわずかに見られる(炭酸カルシウム)。石はチャートだが入口付近に粘板岩のはさみ。

<奥の院>
横に広く、外部に通じる穴も2~3ケ所あり、乾燥している。一部が10°前後の傾斜で、最奥部に地下水の池あり。

<屏風穴>

洞というより、大きな割れ目というのがふさわしいかも

どうやってできた?鉛直方向の節理に沿って発達。
断層によって生じた割れ目と、それをうめる断層粘土や礫が、地下水によって浸食され、拡大されたと思われる。


洞内の池には、目が退化して白色かしたものがいるとのことだが、詳細不明。







まとめ ①各洞穴のでき方と、節理や地質構造とは深い関係がありそう
    ②鍾乳石など洞内沈殿物は、入り口の大きさ、洞の形、湿度、水量などによって
        大きな違いがあるらしい

 
何かの折、のぞいてみてもいいなあ。石灰岩を好む植物もあるかもしれないですね。

 今なら車で近くまで行くこともできますが、この調査の頃は、わずかに走る路線バスに乗って、あとは歩いて、それこそ、たどりつくのも大変だったのではと想像します。

以上、下仁田町と南牧村に見られる洞窟を調べた記録でした。
 群馬県の西の端、山あいの集落、最近は高齢化率全国1ということで知られ、テレビなどにも時折取り上げられている南牧村では、たくさんの石垣がみられ、石を利用してきた様子が見られます。良質の砥石を産することで知られ、江戸時代は幕府直轄だったそうです。石を財産として生きてきた南牧の人たちは、こんな洞窟もきっとよく知っていた事と思います。
だんだん忘れられていくのかも・・・。