2017年9月27日水曜日

石灰岩利用の工場見学 古い施設も残っています

下仁田自然学校鉱山研究会主催で
   下仁田町にある石灰の工場をみんなで訪ねました 
 
工場全景
訪問したのは白石工業㈱白艶華工場です。
石灰石を原料に、炭酸カルシウムを製造している工場です。

 この企画は白石工業の皆様のご理解とご協力により実現しました。ありがとうございました。参加くださった方は47名で、この皆様にも感謝です。

 町はずれにある、なんだかよくわからないそれほど大きくもない工場・・・・・?
 つくっているという炭酸カルシウムって何? などといった調子で、どうにも馴染みがない・・・
 それが、お話を聞いて「へえ~」という気分に変わったのです。さらに、昔の施設も残されていて、それを見るのも興味深いものでした。

 地元出身の方は「いつも見ていたのに、知らなかった」と。ここで働いていた方のお話もうかがい、懐かしむ地元の方々もいらっしゃいました。
 そんな声の一部は、以下のブログ、「ひとりごと~気の向くままに」に
 紹介されています。

 ここは1932年(昭和7年)操業開始といいますから、長い歴史を持つ工場です。斜面に立つ工場は、その背後の山と向かい側の石灰岩の山を崩し原料として利用してきたわけです。
 古い施設も残っています。炭酸カルシウムの粉を乾燥させるための建物など。
今と違って、昔は自然の力に任せる天日乾燥です。下仁田町の気候は乾燥に適していて、それがこの地に工場が立てられた理由のひとつです。まずは、その写真を紹介します。
      乾燥施設の前で、みんなで記念撮影 
         こんな建物が100棟を超えてあったということです。



奥にある木組みの見えている乾燥棚は老朽化で危険なため、
今年取り壊すとのこと。

昔は吹きさらしの木枠の棚に、木箱に入れたぬれた炭酸Ca(カルシウム)の粉の塊を、人の手で運び上げて乾燥させたわけです。重労働だったことでしょう。

こういった施設が今後保存されるかどうかもわかりませんので、写真をいくつか載せてみます。


トタンで囲った施設は、建物の下の部分は広々とした空間になっていました。内部が物置にでも使われたのでしょうか。

工場敷地の外に向かうと、石灰の岩壁が見えてきます。昔はこの山の下を通る道は石灰岩の岩が覆いかぶさっているようで、子供たちが「こわいから、さっさと通り過ぎよう」と言っていたそうです。


工場では石灰岩の山を発破で崩し、使いました。浅間山が小噴火をしていたころには、
「発破の音か、浅間の噴火の音か?」などと言いあった、そんな思い出もあるとか。参加者の方が話されていました。

 なお、工場の敷地は許可なく立ち入ること禁止です。
道路から、下のような乾燥棚の姿が見えます。


 現在稼行している工場内を案内していただきました。貯水池や脱水設備・乾燥設備など説明していただきました。
なお工場内は撮影禁止ですので写真はありません。

 外を見れば、かつて電力を得るために作った水力発電の跡なども見えます。興味のある人には「ワクワクする」ものでしょう。発電のための水の流れのあることも、この場所が工場立地に選ばれた理由の一つです。
建てるにあたり、製品運搬のできる鉄道があるなど、いくつもの条件を考えて、この場所を選定したとうかがっています。



 今回、最初に炭酸Caの説明や、ちょっとした実験をしていただいています。

 石灰といえばセメント、コンクリートが思いうかびますが、ここの製品はもっといろいろなものに使われているのにびっくり。
「生活に欠かせない、いつもお世話になっているモノじゃん」という投稿が、それを一言で表わしていますね。
一番みんなの印象に残ったのが、「食品に使われている」ということかもしれません。飲み物、ビスケット、カップラーメン・・・それから、以前伺った話では、グミにも、またカマボコのあの弾力を作るにも・・。他にも様々、タイヤのゴムを硬くするのに使われ、紙、インク、プラスチック、シーリング材等々・・・。知らなかったなあ。
 細粒の粒子を作る技術を持っていて、国内で生産を続けています。石灰岩は、今、国内で自給できる地下資源なのです。

ちょっと実験を ・ 炭酸カルシウムの性質を知ろう


昔、ここ青倉地区では家族の誰かが白石工業で働いていたと言えるほどだったとききます。

 ここで働いていた方、堀越明子さんのお話も伺いました。工場のすぐ前で生まれ育ち、昭和24年から37年までここで働かれたそうです。当時の写真も整理されてお持ちで、いくつかを資料として紹介させていただきました。
 工場には石灰の製造過程で発生する熱を利用したお風呂があり、いつでもお風呂にはいれたとか。従業員の方はもちろん、周囲の家の人たちも、顔パスで入っていたり。
旧青倉小学校に二宮金次郎像や書籍を寄贈したりと
地域貢献も
毎年従業員の慰安旅行があり、あちこち旅ができたり、春には下仁田のはねこし峡での桜見物が恒例だったりと、楽しい思い出もお持ちとのこと。おしゃれや旅行を楽しんだりもしたそうで,農家の女性など多くがモンペをまとっていた時代に、ハイカラな雰囲気を楽しむこともできたわけです。

 ご家族が働いていらしたという方からも発言があり、昔の写真を披露してくださる地元の方もいて、貴重なお話を聞くこともできました。工場主宰の運動会もあり、楽しみにしていたという方もおられました。

小沢岳 写真を撮らなかったので
以前の写真です。当日はよく晴れて、
青空で、もっと素敵に見えました



 下仁田自然史館からこの工場まで、2kmちょっとの距離は、正面に「群馬のマッターホルン」と呼ばれる小沢岳が見え、道脇にある石垣には植物も育ち、それを見ても楽しいものです。植物の研究者、里見哲夫氏のお話も聞くことができました。道沿いには青倉川が流れ、地元の方は「ここには水車がまわっていたんだよ」など、あれこれお話がありそうです。

よく晴れた日、多くの方々のご協力で、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。



 












2017年9月17日日曜日

わが町自慢もいいですね 鶏冠石など 

鶏冠石って何?」専門家からの紹介 
 
  
下仁田町の鶏冠石は「群馬県の石(鉱物部門)」として公式に選定されています。 
元の紙面
下仁田町の町の広報にとてもすてきな紹介がされていました。
お読みいただくと、鶏冠石のことがスッと頭に入ると思います。
印刷紙面をそのまま載せると文字が薄くて読みにくいので、横書きにして、以下に書いてみました。


世界に誇れる下仁田のお宝
 菅原久誠(群馬県立自然史博物館)・
  吉川和夫(群馬大学名誉教授)

 世界に誇れる下仁田のお宝といえば下仁田ネギのほかにいくつ思いつきますか?胸を張って世界の宝だといえるもの、それは大字南野牧にある西牧鉱山(にしのまきこうざん)の鶏冠石(けいかんせき)という石です。鶏冠石はヒ素とイオウでできていて、読んで字のごとく、鶏の真っ赤なトサカのような色をしています。
 鉱山というのは、私たちの生活に役立つ資源となる石を掘り出す場所です。西牧鉱山はもともと金鉱山で、その後にヒ素の鉱石を掘った鉱山ですが、県内の多くの鉱山と同様に、すでに閉山しています。残念と思いきや、鉱山跡地を訪れると、かつて鉱山がにぎやかだったころの作業所の跡や、石をとりだすために潜った坑口や鉱石を処理した跡などが残されています。これぞ産業遺産と言ってよいでしょう。賑やかだった頃は、重たい鉱石を運ぶためにトロッコも通っていたとのことです。
 今年、下仁田で発足した鉱山研究会の聞き取り調査で、当時西牧鉱山で働いていた小金澤正代さんにお話を伺うことができました(詳しくは、「くりっぺー下仁田自然学校だよりー」第。93号10~13ページをご覧ください)。小金澤さんによると、石を取り出すトンネルの奥に、幅30センチもの鶏冠石が見つかったことがあるそうです。鶏冠石はトンネルの奥で、たなびくきらびやかな帯のように赤く光っていたことでしょう。ついでに、西牧鉱山は、若林鉱という美しい黄金色の石が世界で最初に見つかった鉱山でもあります。そんな石たちが織りなす光景を想像すると下仁田町の西牧鉱山ってすごいな、としみじみ思うのです。
 実は昨年、日本全国からの一般投票と、石の専門家たちによる「県の石」の選考が行われ、西牧鉱山の鶏冠石が群馬県の石の一つとして選ばれました。これは、一般の人たちにとっても、専門家にとっても下仁田町の西牧鉱山の鶏冠石が「すごい!」と認められている証拠です。日本全国の県の石は、それぞれの県の専門家によって読みやすくまとめられて、1冊の本になる予定です。
 これだけ知ってしまったら実際に鶏冠石を見てみたいと思いませんか?少しだけ石の特徴をお話しすると、鶏冠石は光と湿気に弱い性質を持っています。つまり、展示することで光にあったっていると、きれいな赤色がだんだん失われてしまいます。それでも下仁田町の皆さんにぜひ下仁田のお宝を見ていただきたいと言うことで、青倉にある下仁田自然史館は鶏冠石を展示しています。これを機に、自然史館にお越しください。
鶏冠石

  下仁田の鉱山に関する情報をぜひ下仁田自然史館にお寄せください。
   ℡0274-70-3070

とてもありがたい紹介を書いていただきました。感謝です。
 
          
それぞれの地域、場所で
  「わが町のお宝」
を語るのも楽しいかも。
こんなふうに、楽しくわかりやすく
紹介できたら、もう、素敵です。

 そんなお宝なんかないよ、という声が聞こえてきそうですが、どこかのお墨付きをもらっている必要はなくて、自分たちで、価値を発見するつもりで周りを見回すことがいいことかと。

 NHK番組の「ブラタモリ」は地質を広めることに貢献していて、地理学会賞、地質学会賞を受賞していますが、自然や歴史を探してあちこち旅し、それぞれの地域で解説してくれる人がいて、見ていて楽しい番組が成り立っています。ほんのちょっとした坂や段差、道の曲がりが、突然意味を持って、きらきらと輝いてきます。それを解説する地元の人がいて、立派なわが町発掘になってもいると思いませんか。
 一人で見るのも楽しいけれど、誰かと一緒だと、また楽しい。一緒にうなずいたり、解説してくれる人がいることが、理解も感激もふかめるし、記憶にも残る・・・

 SNS発信大好きな現代っ子たち、「いいね」の数を競うばかりでなく、「価値をみつけてみよう」と頑張っても面白いかも。
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 鉱山は大地の財産、人は実に多種多様なものを見つけ出し、利用しています。最近は、レアメタルなどと言って、ハイテク産業に使われたりする、聞いたこともなかったもの達も多種あります。化学の時間に眺めた周期表の下の方に載っていた聞いたこともない元素達たちレアメタルが、たくさん見られます。 携帯電話などにもいろいろつかわれているといいますから、知らないうちに、その恩恵をうけているわけです。あらためて、地下の資源たちにも目を向けてみたくなります。
 石油、石炭から金、ダイヤモンドまで、古くから重要な資源とされた鉱物たちを見たとき、それならその富を大量に持っている国たちは、それを売って豊かに幸福になりそうだと思えば・・・たいてい、その逆に思えてきます。国民は貧しかったり、戦乱にさらされたり。石油産油国が国民が豊かで穏やかに暮らせるかというと、むしろ逆かも。ダイヤモンドだって掘り出す最下層の人たちは極貧で、一方で「血塗られたダイヤ」などと、闇の世界の暗躍を感じさせることもあります。
 人は、こんなにも様々な資源の利用法を見つけ出す賢さを持つのに、欲得が絡むと、どうしてこんなにも愚かなのかと思ってしまうほどです。そういった世界への関心も無視してはいけないでしょう。

 下仁田には複雑な地質があり、珍しい鉱物も産出します。こうした純粋な自然への関心とともに、そこに生きた方々もいたわけで、そういった面に関心を寄せてもいいのかも。人と大地のつながりがここにもあるわけです。
 ハイテクとは縁のない時代、そこで鉱山を掘った方々が、数としてはわずかとはいえ、今でもご健在でお話をお聞きできる、そんな今を、大切にしたいですね。
体験をお聞きしてそう思いました。 
 こうした方々は戦争を体験され、鉱山の厳しい労働も目にされています。どうぞお元気でお過ごしください。











  

2017年9月5日火曜日

いろいろな形の山  鹿岳 荒船山・・・いろいろあるね

 山の形   山の生い立ちを伝えることもあります

空気が軽やかになってきて、秋が近づいてきたことを感じます。
今までの空気は、なんだかねっとりと、肌にまとわりつくような感触がありました。
  遠くの山々が見えてきています。 

秋のハイキングシーズンも間近。そんな時に山の生い立ちなど考えるのも、ちょっといいかも。 久しぶりに、下仁田の紹介をします。

   下図は下仁田の山の紹介です。 
   標高は高くないけれど、面白い形の多い西上州の山々です。
 (図は貼り出し用に作ったので、ここに載せると、文字が少々小さめになってしまいました。ご容赦を)



高速道路を西に向かって走ると、写真の山々が見えてきます。とはいえ、運転中によそ見は厳禁。下仁田インターを降りた付近でも見えます。
 図の写真は、インター付近の丘陵から見たものです。写真は5月ですが、ここは下仁田ネギやこんにゃくのたくさん栽培されている丘陵です。

 荒船山は下仁田の町中では見えなくなってきますが、インター出口右手付近では見えています。我が家からもよく見え、幼い頃「屋根みたいな形だなあ」と思っていたものです。厚い硬い溶岩がこの地形を作っていたわけです。
 下仁田の町中に行くと、鹿岳の右手に見えるのは荒船山でなくて三角形の山です。右の写真です。落沢とよんでる山(名前が間違っていたら、教えてください!)。
貫入した玄武岩でできた山とのことです。登山ルートもなく、私もまったく知らない山です。町からはとてもよく目立つのですが・・・

 マグマが地下から上がってきた通り道・火道  これが固まってむき出しになって見えているのを岩頸(がんけい)と呼びます。それが鹿岳。写真の真ん中の二つのこぶです
宮沢賢治が、岩頸の説明を楽しく童話風に書いています。
以前書いた解説が以下にあります。
http://geoharumi.blogspot.jp/2013/09/1.html



下仁田の西部地域は、数百万年前(900万年前とか800万年前とか、もっとあとまで)には大規模な火山活動が繰り広げられていました。大規模な陥没がおこったりもしています。これらは陸上の噴火で、その名残が、こうして様々な形の山となって見えているのです。
              (気づいたら、数百万年前を数百年前と書いていました。すみません。)


 左手の四ツ又山は、下仁田の「クリッペ(根無し山)」の一つで、クリッペのなかでいちばん大きな山です。登山者が登る山で、気軽に行くというわけにはいかないかもしれません。四ツ又山から鹿岳を巡るコースもあります。いろいろな石からできていて、よくわからないなあ・・とにかく、どこからか移動してきた岩塊です。クリッペは、下仁田の地質を代表する現象です。
 下仁田自然史館では、10月から、四ツ又山を取り上げた企画展を開催します。

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 尖った山頂の小沢岳もハイカーの多い山かと思います。その姿から、下仁田のマッターホルンという人もいました。古い時代の地層からできた山で、山頂のチャートは深い海の底に積もったプランクトン(放散虫といいます)が固まってできた石です。ですからこの山は、火山ともマグマとも関係ありません。深い海の底が、今は山になっているんだあ・・と、考えてみれば、面白い世界。

 幼い頃、山というのはみんな火山が噴火してできたと思っていた・・・
 我が家からよく見える赤城山も榛名山も、みんな火山だったわけですから、無理もない。

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 車で移動する場合、下仁田道の駅に立ち寄ることも多いでしょう。
この場所の入り口には大きな「柱状節理」の「看板」が立てられています。
地質材料の豊富な下仁田らしくて、いいなと思います。




















 道の駅から見える 大桁山(おおげたやま)で採取したものです。山の形に特に特徴はありませんが、なだらかで、どっしりと、おおらかな感じの山が大桁山。マグマが地下から周囲の地層を押し上げてできた山。頂上には押し上げられた、昔の海に積もった砂岩や泥岩があります。その下には突き上げてきたマグマが固まってできた岩が見られ、そこでこの柱状節理が採取されました。骨材として利用されていました。
この柱は、操業していた会社から寄贈されたとのことです。

少し詳しく説明すると、頂上の砂岩・泥岩は 第三紀層の小幡層・井戸沢層、そこに火山岩体が貫入して押し上げたというものです。
 
採石場を遠方から見れば、写真のように 山が削られていますが、近づくと段々になっていて、それぞれに石が柱のようになっています。

下仁田町で廃校になった小学校2校の門柱もこの石を使っていたとのことです。
上の柱状節理写真は、掘り取った後に水が溜まっていた場所です。とてもきれいに見えました。
柱状節理の柱がたくさんありますが、現地は現在閉鎖されています。


柱状節理自体はあちこちで見られ、世界遺産になった荒船風穴周辺にもみかけました。
きれいなものというと限られるかもしれませんが、山に行ったときなど、ちょっと目をとめてみませんか。

遠くの山でも、近くの山でもいいので、その地形に思いを巡らせるというのはどうでしょう。

2017年8月27日日曜日

庭でも見られます、小さな野生の世界


 雨ばかりだった夏も終盤。
 夏の草たちの元気なこと。雑草との戦いには、毎年のことながら負けています・・

 お盆と、そのあとのパソコンの不調で、すっかりご無沙汰になってしまいました。
 網戸にくっついていたアブラゼミから、ツクツクホウシの声に変わる時期?…うーん、セミの声、聞いてないなあ。いえ、セミは鳴いていたかもしれないのに、まるっきり気づいていない・・・
 心にとめない、というのは、おそろしいものです。虫の声に耳をかた向けることもないわが身に、あらためて気づいたところです。
  でも、ツクツクホウシは特徴ある声なので、気づかないはずがないなあ。
セミの抜け殻調査の話を聞くこともあるのに 最近のセミ事情どうなっているのかもわからない。。。。

今どきの子供はカブトムシよりクワガタを好むという話、「お孫さんもその通り」と返信していただきました。そうなんだ・・・・

 というわけで、身近にいるはずの生き物について、もう一度、すこし報告を。


目の前の庭でも、野生の世界が垣間見られます。

 カマキリがトンボを捕まえていました。
そこらの草むらにもいる昆虫たちは、子供たちにとって、目に触れることの多い自然なのでは。アフリカの草原に行かなくても、あれこれ味わえる、大切な自然。
 クモが網にかかった虫を、あっという間に糸の束でぐるぐる巻きにした光景などもあったなあ

「いつでもどこでも 自然観察」・・・
これは小学校の先生をしながら、自然観察について熱心に報告している人の言葉。この題名の本も書いています。


 朝、ふと見上げた空にも、通勤途中の生け垣にも、どこにでも。奇麗な花、小さな昆虫は、そんな時の定番の登場メンバーでしょう。
 毎日忙しく働いていると、なかなかまわりのことに目がいかないもの。肩に力が入って、カリカリして。
そんな時、難しいことは言わず、お金もかけずに、誰でも自分なりに、心をゆったりできるかもしれません。

 戦場で書かれた手記に、砲弾の飛び交う中、ふっと目の前の地面に咲く小さな花を見つけて書いた文の紹介を読んだことがありました。地面に咲く小さな花は、こんな小さなものだけれど、誰が見てくれるわけでもないだろうに、花弁はきちんとそろい、めしべやおしべの細部に至るまで手抜きすることなく作られている・・・世界はそれぞれこんなに美しいのに、それさえ知らずに今自分は命を終えようとしている…ずいぶん昔に読んだものなのでよく覚えてはいないのですが、生きとし生けるものの命の価値を感じたであろうこの人、戦場で亡くなったこの方の思いが、心に残っていました。


 10年以上も前だったと思いますが、ビワの実るころ、庭のビワの木にアオダイショウがいて、なんと、ヒヨドリをぐるぐる巻きに。びっくり!!
ちょっとグロテスクだなと思いながら、でも写真を載せようと思ったら、アルバムが見当たらない・・整理整頓の悪さの証拠のようで、わが身を恥じてしまう・・・

 そこでみなかみ町の山すその沢沿いで見たものですが、アオダイショウがヤマカガシを捕まえている写真を。長い時間かけて飲み込んでいました。
これも、あまり見たいものとはいえないですけど。
 ヘビはどうも好きにはなれませんが、知人の庭先でカエルを飲み込んでいたときなど、あまり動かずに長い時間いましたね。

やっぱり昆虫くらいが見ていてもショックが少ないでしょうか。
でも、生き物と知り合いになって、一緒に生きていくことを学ぶには、こういった出会いも必要かも。
 



 空前の猫ブームとか。動物写真家の岩合さんの猫のTV番組なども、なんだかたのしい。
子供のころ、猫は、ネズミ退治に一役買う住人でした。もともとは、いやされるペットというより、ネズミ退治の住人だったわけ。
 養蚕農家の作りのわが家では、天井裏にはネズミもいました。猫はそのネズミを捕まえると、ご丁寧に,口にくわえて見せにくる。そして、じゃらして(人間から見たら、いたぶっているかのようにも見えてしまいますが)から食べるのです。なんとも・・

 今いる猫、家の中と外と、出たり入ったりする生活。最近は、猫は家の中で飼うようにと言われますが、到底そんなことする気になれないわけです。自由気ままに外を歩き、時折、獲物をくわえてきます。
 ハツカネズミなどはもちろんですが、普段ほとんど目にすることのないモグラを何度も捕まえてきています。どうやって捕まえるのか?あまり食べないようなのですが・・狩猟本能なのでしょうね。
モグラの前足をよく眺めてしまいました。実に頑丈で、穴掘りのために特化しているなあと思えます。








 他にもいろいろ捕まえてきたものです。写真はヒヨドリですが、スズメはもちろん、カラスまで捕まえてきたことがあります。
 元ノラ猫で、子猫のころ、追い払っても追い払っても台所に入り込んできて、ついに我が家の住人になった猫ですから、なおのことなのでしょうか。



これはジネズミ。ネズミではなくモグラの仲間です。
下半身が食べられていて、ちょっとどうかと思う写真ですが・・
 ネズミが次々しっぽを加えて列を作っているのを見たことがある、という人がいました.
これ、ジネズミのはず。外国の生き物で、キャラバン行動というのをテレビの番組で見たことはありましたが、身近に同じようなことをするいきものがいるのかと、びっくり。見てみたい!

 猫が庭で盛んにパンチしているので見たら、小さなヘビにちょっかいを出している。そういえばこの猫、ヒモが大好きで、ひもをゆらゆらさせると、10歳を超えた年齢になっていても、飛びついて遊びます。

カマキリの捕食の様子から始まったもので、つい、少々気持ち悪い写真になってしまったこと、ご容赦を。

気にも留めずにいると、いつの間にか身の回りの生物の様子も変わっていたりします。たくさんいたはずのものが見えなくなっていたり・・・どうぞ皆さん、身の回りの自然へ、目を向けてみてください。思いがけないことに気づくこともあります。
気づかぬうちに、消えていった生き物もたくさんいるわけですし、まわり中、外国からやってきた生き物に占領されていたりすることもある昨今です。
実に知識量が豊富な感じの小学生などをテレビで見ることがありますが、話しているのを聞くと、案外実物を見ていないことを感じたりします。
ウェブ情報ばかりでなく、自分の目で見て知ることは、決定的に重要です。
そこらの道端・草原と道草って、案外大切なのかも、などと思っているこの頃です。









2017年8月9日水曜日

虫たち元気、真夏の里山



暑さで元気な虫たちです

真夏の暑さと湿気が身にこたえるこのごろ
年相応に体力も落ちてきて、とにかく、何とかやり過ごそうと・・

ですが、真夏の虫たちは元気いっぱい。
 昔から子供たちは夏は虫取りで元気いっぱい・・と思ったら、違う・・・?
学習帳の表紙の昆虫が姿を消したといって話題になったり、カブトムシは買うものになったり、最近の子供の様子がわからない・・・
 でも、林のまわりで虫がいっぱいだったので、報告を

ホタルが3種類見られます 

みなかみ町の里山で、民家のあるような場所に集まって地域の観察をしています。夏はススキやクズが繁茂して、なかなか近づきがたい場所も多いですね。
 ここでは今、道脇の草むらに、蛍が光っています。水のある沢からは少し離れ、こんな所にホタル?と言われそう。それに、8月にホタル?とも。
このホタル、クロマドボタルといって、水とは関係なく陸に住むホタルです。

クロマドボタル こんな幼虫のしっぽの部分が光ります。
            写真 竹村さん
暗闇の中のクロマドボタル幼虫  写真 竹村さん

下仁田町には「ホタル山公園」という場所があって、蛍が光ります。くりっぺ(根無し山)といわれる珍しい地質現象の場所で、何度も行ったことがありますが、「沢からははるかに高い場所に、ホタル?」と思ったものです。のちに、陸生ホタルというのを知り、クロマドボタルという種類と知りました。
 
光っているのは、幼虫・・クロマドボタル
 写真のような虫が光っています。光るのはしっぽの部分のようです。
捕まえて写真を撮ろうと、暗くなってあちこちで光りだしたころ、二人して草むらに手を入れるのですが・・・なかなか捕まえられない。きっと、ポロっと落ちるのでしょうね。
彼らは生き残りをかけているわけですから、簡単に捕まるわけにはいかない。
実物を見てしまうと、なんだか興覚めの姿かも。でも、ヘイケボタルの幼虫が光るのを見たことがありますが、結構グロテスクな姿かと。


結構早く動きます  シャクトリムシのように

 このホタル、成虫は甲虫で、光らないそうです。幼虫は草むらにでカタツムリなどを食べているとか。光る時期は気温によるらしく、9月にも光っていたし、長い期間光ります。ネットで見ると、いろいろな時期が書かれてあります。
 いつも話題のゲンジボタルは6月~7月頃わずかの期間光るだけ。ヘイケボタルはもう少し長い期間光りますね。8月初めにも、ほんのんちょっとですが、ヘイケボタルが光っていました。
 子供のころ、玉村町でも田んぼでホタルが光っていました。ホタルの記憶のある人、ある年齢層以上では多いのではないでしょうか。捕まえて、蚊帳に入れたりしたものです。農薬の使用、水路のコンクリート化で、まったくいなくなりましたが。

 ところでこの場所、上記の3種類のホタルが見られます。7月はじめ、山里の斜面の沢沿いにゲンジが飛び、その下の田んぼにヘイケが舞い、道端にはクロマド。なんだか楽しいですね。今年は7月の出現数は少なかったのですが、毎年、見え方は違うものです。
 こんなホタル、ちょっと宿から外へ出れば見られたのですが、そんなことも気づかないもので、たまたま来た人が、「ホタルが飛んでた」といって、「えっー、嘘だろう・・」などといいながら探してみた、という次第。いろいろな人が参加して、一緒に何かをやると、新しいことが見えてくるものです。クロマドボタルも、案外あちこちで見られるかも。
  暑さに負けそうですが、身近な虫に、ちょっと目をとめてみませんか。
  女の子はあまり虫と付き合わないものだったので、あまり虫のこと知りませんが、でも、楽しいですよ。



その他、元気な虫たちを。
 草むらにはえる柳の大木には、たくさんの虫が集まります。たくさんあいた穴にから流れ出す樹液が魅力のようです。
ここにはオオムラサキ、コムラサキ、その他いろいろやってきます。さながらレストラン  写真 竹村さん
木にとりついていたカミキリムシの脱出の後の穴から流れる樹液が目当てと聞いたのですが、そうなんですか。私はそんなこととも知りませんでした。
  
アオカナブンと、頭を突っ込んでいるのは はて・・
 カブトムシでした。
子供が好きなカブトムシ、と思っていたら、最近観察会に参加した方の言うには、カブトムシでなく、クワガタのほうを喜んでいたとか。
ほんとう?・・・意外・・

クワガタもいましたし、カミキリムシの仲間らしいのやら、もちろんハチも。
中年のおじさんたちが子供時代に戻って喜んでいました。
昔は虫を取ったのでしょうが、今はカメラをかかえて撮影の世界でした。



夏はヤマユリの季節。
目立つ花の少ない中で、豪華さと濃厚な香りで、目をひきます。
人がとったり、イノシシが球根を食べたりと、少なくなってきているのかもしれません。



スミナガシというすてきな名前の蝶は、糞にとりついています。蜜ではなく糞などにやってくるチョウも、多いようです。
                         
ヒヨドリバナの下にぶら下がるチョウは
ゴイシシジミだそうです。笹につくアブラムシを
食べるという、肉食性の蝶。笹ヤブでよく見たなあ
スミナガシ




右は センチコガネ 。
これは糞をすると、すぐにやってくるそうです。
とってもきれいに輝く虫。でも、いつも糞に潜り込んで、処理をしてくれます。
ありがとう
アオバセセリ と教わりました。
汗の臭いにつられてきたのかな。

夏はとにかく、虫が元気。
昆虫少年健在はうれしいです。

でもじつは、アブやブヨや、それから、
ヒルも元気。群馬県では,みなかみ付近と下仁田にヒルがいるとか、鹿の蹄に入って、あちこちに広がっているそうで、困っています。いつの間にかとりついて血が流れだすのは、何ともありがたくない話です。
いいことも、ありがたいこともあるけれど、それが自然、うまく付き合う知恵を持ちましょうね。

 
 

ススキにはこんなものも見られます。

クモが作ったもの。この中に卵を産んでいると思います。カバキコマチグモといい、母親はこの中に卵を産み、かえった子供は母親を食べて成長する、と。昔、これをほどいてみたら、中からコグモがわっと出てきたことがありました。でも、かまれるととても痛い毒グモといいますから、まねしないで。


ところで、もうちょっとスリムな形のものや、ちゃんと巻いてないものなどがあったりします。あるとき、図鑑を見ていて、他にもススキ、ヨシなどを巻くクモがいあるのを知りました。巻くのも、休憩やその他いろいろな目的もあるようです。
ヤマトコマチグモ、ハマキフクログモ といったクモ達です。

身近なところで見かけるかもしれません。ちょっと子供の気分で、周りを見回してみませんか。

そうそう、書き忘れていました。オニヤンマの産卵を見ました。それも2か所で。
水しぶきをあげて、飛び込むかと思えばさっと飛び上がる・・これを繰り返していました。力強くて、これぞオニヤンマ。しばしばみかけるオニヤンマだったのですが、産卵はあまり見ていなかったなあ。外に出ると、いろいろなものに出会えますよ。


2017年7月30日日曜日

大きな石も運ぶんだね 川の流れ

    川の水の大きな力

豪雨にさらされ、大きな水害のニュース映像が届きました。

濁流いっぱいの川を見たことありますか。 
もしご覧になったとしたら、そこは大きな川?もともとは小川のような川?

 私の家は、すぐ近くが利根川。「水害、心配かな・・」と言ったら、「利根川じゃなくて、中小河川が心配なんだよ」と言われました。たしかにそうですね。豪雨であふれ、決壊するのは、普段は小さな小川のような流れの川、だったりですから。利根川は、むしろ洪水対策の進んでいる川になるのでしょう。
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 下仁田町は鏑川という川に沿った町です。
川にある青岩公園は、西牧川(鏑川)と南牧川の合流地点。地質の全く異なる地域を流れてくる2つの川は、違った種類の石を運んできます。そこで、多くの種類の石が転がっていることになり、川原の石の観察会がしばしば開かれます。
場所は下仁田駅のすぐ近くです。

(ついでに書けば、この付近には大きな断層の中央構造線が通っています。断層は岩石がグズグズに壊され、周りから見れば柔らかくなっているわけで、それも、ここに川が流れていることに関係しているのでしょう)

青岩公園  かつては富岡市の小学生の遠足の
定番の場所だったそうです。青緑のこの岩は「青岩」と呼ばれています。

 
川原の石の種類の学習ばかりでなく、ちょっと違った視点でこの場所を見てみましょう。

上の青岩公園の写真で、木の下にある大きな石の拡大です。
川底からずいぶん上の方にあります。誰が運び上げた?

 川の中には青緑色の岩が露出しています。青岩と呼びます。
 左写真にある丸っこい大きな石、青岩の上に乗っています。でも2007年(平成19年)より前にはこの大きな石は、ここにはなかったのでは・・
  突然現れた・・・!!

 運んだのは・・と聞くと
「洪水!!」と答えが返ってきます。でも、頭の中では知っていても、実際に目の前にみると、実感がこもります。
他にも岩塊が転がっています。
洪水の時、水が青岩の上に運び上げた石を、いくつか紹介します。

細長い棒のような石が引っかかっています。
これ、岩石の柱状節理、です。
左写真のものを横から見ると、こんな感じ
これ、確実に2007年より前には、ここになかった




これも結構大きな石です。

もちろん、川原にも巨石がゴロゴロ












岩の位置を右写真に見えているものを、黄色矢印で示しました。

黄色の中は人です。














         
   次はこの川の2016年8月30日の大雨の後の写真です。この時、上の写真の石ころは、水面のずっと上に見えていますから、もっと水の多い洪水があったこともわかります。

上流側を見ると、こんな光景です。


これらの写真は
川にかかる橋から撮りました。

膨れ上がった濁流は大きな力を持っているはずで洪水の時は、石がぶつかるゴロゴロという音も聞こえたそうです。
この橋から写真を撮りました。
濁流は流れていますが、橋げたの下には
ずいぶん余裕があります。ですが、この橋がもう少しで水没しそうなこともあったそうです。その時は
この近くで浸水被害もありました。
いつもの川のようす


左は普段の川の様子です。
穏やかなものです。

 2007年の豪雨災害では、上流の南牧村が土砂崩れなど大きな被害を被り、ニュース映像にもなっていました。
 下仁田でも、この公園の上にある駐車場は水をかぶり、車が流されたとか。その折、この場所の橋は水をかぶりませんでしたが、そのわきにあった縫製会社は浸水し、反物が水をかぶってしまったといいます。今その場所の建物は取り壊されています。
ここの橋は水をかぶりませんでしたが、他の橋では、水没した橋もあったということです。
 青岩公園の近くには、下仁田の小学校中学校があります。子供たちは、ぜひこんな場所に来て、自然の力を学んでほしいものです。

 一方、昔ここには、こんなに砂利はなかった、という声もききました。
もっと水が深く、きれいだったとも。

  青岩公園入口付近に見られる小石の川原。
 小石が昔よりたくさんたまるようです。

右写真には草のはえた部分が見られますが、かつてはそんな部分はなかったと。
川の流れの様子も変わっていくようです。
 このすぐ下流で、用水の取水口ができてから、砂利が多くたまるようになったような気がする、という人もいました。 削ったり、運んだり、堆積させたり、「流れ」というのは、実に複雑なものです。ちょっとしたことが大きな影響を与えるのですから。

 最近は、防災教育というのが言われ、NHKの学校教育番組には、[学ぼうBOSAI]というものまであります。
川の石という、こんな身近なもので、防災の知識や科学的な感覚を磨くことができます。

 かつては、人は自然の大きな力を感じて畏れ神に祈ったわけですが、今、大きな力を持った人間は、自然をねじ伏せるだけでなく、自然の声に耳を傾ける姿勢を身につける必要が、以前にも増して必要なのかも。傲慢になりますから。
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 子供の頃、台風の後の利根川の増水した様を、見に行ったものです。怖いもの見たさですね。最近ニュースで「大雨の時、川の様子を見に行ったり、田んぼの様子を見に行ったりしないでください。危険です」などとしばしば言っています。その通りでしょう。でも、子供が利根川を見に行ったのは、台風が通りすぎて、青空が見えてきてからでしたから、見に行ってもOKだったかな・・。
 当時は戦時中の木の乱伐で、森の木の水を貯える働きが弱まり、洪水が起きやすくなっていたといいます。大変な「大水」という感じは、子供だったからだけではないのでしょう。
 今は「線状降水帯」などという言葉も出てきて、雨の降り方が苛烈になっているように思えます。自然を侮ってはいけないと、心底思います。
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 ~~~ ちょっとおまけの解説 ~~~~~
流水が物を運ぶ力は、流速のおよそ6乗に比例するということなので、流速が2倍になると運搬力は2×2×2×2×2×264倍、
流速が3倍になると3×3×3×3×3×3729倍!
さらに水が泥を含めば浮力が増して、ますます軽々と石を運べるというわけです。
石流のようになれば、それこそ、軽々でしょう。

 数字だけで見ていても、実際の大きさ・重さが感覚的にわからないのが、残念。
でも、6乗というのはびっくりです。1kgのものを運んできた水が、流れのスピードが3倍になると、729㎏のものを運べるということ? でも物の大きさ・形でも違ってきますよね。水の量はたっぷりとして,丸いのと平べったいのは、水の抵抗も違うでしょう。浮力も働くから、大きさ(体積)との関連も考慮せねば、・・・とか考え始めたら、えーい、面倒くさい・・誰かに教わった方がいい・・などと、すっかりナマケモノになりました。
    鏑川のあの大きな石を運んだ流れは、どんな流れだったのかな?
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発掘現場

 八ッ場ダム工事に伴う発掘現場の見学をさせていただきました。ちょっと前の、7月初めのことでしたが。
 大変ていねいな説明をしていただきましたが、まだ調査結果発表前ということで、内容や写真は、あまりお伝えできません。林地区の発掘現場で、天明噴火の時に埋まった畑あとで、畦が残っていました。中世の掘っ立て柱跡もありました。災害の後、すぐに復旧に取り組んだ場所と、そうでない場所といった違いなども、現場で説明していただきました。
中棚Ⅱ遺跡

実はこの地域は縄文時代の遺跡がとても多く、平成2年、3年の長野原町の遺跡分布調査で、180数か所もの遺跡記録が書かれたうち、半数は縄文、半数は平安といった感じだったとか。この縄文遺跡数はとても多いといえ、大規模集落がいくつもあったのだそうです。ここも掘り進めれば、きっと縄文遺跡も出てくるのでしょう。







 
 


 
 ところで、この見学、群馬県の機関に問い合わせて実現したのですが、実は別の場所をお願いしていたと聞きました。県からはOKが出ていたのですが、工事担当の国交省がダメ、と。住民がすでに全戸立ち退いていて、立ち入り禁止区域になっており、工事中で車両も動くから、と。再度問い合わせても、ダメと。
 これだけ聞けば、「危ないから」と理屈にあう話なのですが、でも、今、ダム工事見学を大々的に売り出していて、現場まぢかに立ち入る場合もあるような。先日は、NHKの探検バクモンでも、大々的にダム工事を賛美して放送してましたし。それと比べると・・・・よっぽど、発掘現場は見せてくないんだろう、関心を持ってほしくないのだろうと、思わずにはいられません。こうした文化遺産は、多くの人に見てもらうべきものなのでは。
 すべて破壊されて、以後、決して見ることのできない発掘現場。
発掘では、たいてい、見学会が企画され、新聞等で宣伝され、多くの人が見に行くもののような気がするのですが。我が家の近くでも、そういう企画は行われていました。
 多くの場所で、今は天明の噴火の遺跡から下に掘り進んでいて、縄文遺跡などが出ているのでは・・・ここは多くの縄文遺跡もある場所なのですがね。

 
 
 ところで、群馬県埋蔵文化財調査事業団のHPによれば、6月の発掘記録は、この八ッ場ダム関連が圧倒的に多いです。いかに大規模におこなわれているか、と思えてしまします。
 以下に、発掘最新情報を転載します。石畑岩陰石は、以前のブログで、貴重な遺跡なのにまだ取り組まれていないようだが、いったい発掘が間にあうのだろうかと書いた遺跡。始まったということですが、工事現場の駐車場の発掘とのこと。天明の畑跡などが出てきたといったものだそうです。核心部は、まだまだこれからでしょう。
下のリストでは石畑Ⅰ岩陰遺跡から下は、すべて八ッ場ダム関連です。


埋蔵文化財調査団のHPは以下です
http://www.gunmaibun.org/remain/iseki/hakkutu-iseki_list.html