2014年4月20日日曜日

下仁田の化石 その2  植物・昆虫化石、地形模型、里山の花


手作り地形模型 いよいよ完成へ


自然学校運営顧問の高橋武夫さんが下仁の田地域の地形模型を作成されました。
    荒船山・兜岩(これから紹介する化石の産地)もあります荒船風穴もあります。
 

地形がよくわかります。 迫力満点!!荒船山はどこでしょう .
山頂が平らで、見たらわかりますよ。
高橋さんのお宅の作業場でつくりました。人物は高橋さん

この模型は2mmの厚さの発泡スチロールの板を重ねて作りました。。板を165枚使用。
一枚一枚、地形図の等高線に沿って切り抜き、張り重ねていくという作業。すべて手作業です。
   ・・・根気と緻密さの結晶!
    ご自宅でコツコツと作業され、ここまで来るのに1年半!!

作業の工程です。
まず最初に、どの地域の模型をつくるかをじっくり考えたそうです。
次に縮尺をどうするか・・・・じつは、距離と高さの比率を1:1にすると、人の目には、実際に見て感じたときよりものっぺりと、平坦な感じになってしまうのです。高さの比率を、少し多めにすることで、実際に見たときの感じに近づきます。どんな比率にしたらよいのか・・・模型では水平距離と高さの比は1:1.5としました。板1枚、厚さ2mmが10mの高さを表しています。

こうしてやっと実際の作成作業がはじまりました。
じつは、地形模型は2作目で、1作目は下仁田町付近のもので、すでに自然史館に展示されています。このときは厚紙を積み重ねてつくりました。切り抜くときはスチロール板の方が、はるかに切り抜きやすく、作業が楽だったそうです。「楽」とはいっても、「紙より楽」という話です。
完成までに1年半・・
実際に見ていかがでしょうか。実際の山の雰囲気がよくでていると思うのですが。ぜひご覧になってください。


「単純作業だけれど、等高線をなぞりながら、それぞれの場所を歩いた時の光景を思い浮べ、楽しかった。こういう仕事が好きだから。」とおっしゃっていました。
  この作業、なかなかできるものじゃない、 ご苦労様でした

地質の違いがわかるように、今から細矢さんが色塗りをします。
作業は自然史館の展示室でおこないますので、運がよければ作業をご覧になれます。

自然史館に運びました







  本宿層上部層の昆虫・植物化石 


ここは保存のよい化石の数々で知られてきました

 荒船山周辺では、保存のよい植物や昆虫化石などがたくさん見つかっていました
カエルの化石のが見つかっていることでも知られています
薄い昆虫の羽まで保存したのは、その地域にかつてあった大きな湖
静かな環境にゆっくりとたまった火山灰は生き物の繊細な姿、模様を地層に残しました

地層は下の写真のようなきれいな縞模様(ラミナ)の石になっています。
兜岩、星尾といった場所が、化石産地として知られてきました。

かつてこの地域でそれらの化石を集め保存された方々がいます。故茂木伊一(もてき)さんのご家族からは、百数十点に及ぶ植物や昆虫の化石が、きちんと整形され10箱に整理された形で寄贈されています。特に昆虫化石を熱心に集められたということです。きれいにケースに保管され整理する作業だけでもたいへんな手間です。散逸することなく保管していくことが大切でしょう。

運営顧問の堀越さんから、当時の話をうかがいました。
細かなラミナが水平みられる湖にたまった地層です

今でこそ自動車で現地の近くまで行ったりできますが、皆が自家用車を持つようになったのはそれほど古い話ではありません。
南牧村星尾の化石は昭和30年代後半から知られるようになりました。当時、採集に行くには、南牧村羽沢までバスで行き、そこから片道7kmほどを歩いて登りました。帰り道、重い化石を背に7kmの道を歩くのは大変な苦労で、途中、せっかくとった化石を置いてきたこともあるそうです。

昭和40年代になると、道路も整備されてきて、車を買う人もでてきました。茂木さんは免許を取り車も買い、仲間と一緒に化石採集に出かけるようになったといいます。これで、前よりもずっと目的地の近くまで車で行けるようになりました。そんなことで、昭和30年代、40年代に集められた化石が多いということでした。一度など、車のトランクの中に鍵を入れて閉めてしまい、夕暮れてきた山を駆け下り(いったい何km駆け下りたことか)、タクシーに乗り、茂木さんの自宅までスペアキーを取りに行く羽目になったりと、忘れられない思い出もあるそうです。山道も長い距離も、若さで乗り切ったのでしょう。

現在は化石も見つからなくなり、採集も遠慮してもらっているとのこと。今までに集められた貴重な資料を大切にしていきたいものです。
茂木さんと堀越さんの化石の一部を紹介します。





昆虫化石


水草です 

カエデの実の房
カエデの種子、風にのってヒラヒラ舞います

ブナの葉









 寄贈された化石は、展示されたもの以外は収蔵されています。これからさらに整理していくことになります。

棚の上にある立派な箱に、きちんと標本箱に入れた化石が並べられ、ガラスの蓋も付いていて、そのままで展示できるようになっています。










これまで発表されている化石のリストを載せます。作成は堀越武男さんです。


八木貞助さんは昭和6年頃
「兜岩の植物化石」として、
この地域の化石をはじめて発表された方です。


植物化石の種類はほとんどが現在もみられる種類です。
現在の植物と見比べてみます。

★ほとんどの種類は、現在、北海道南西部から本州中・北部に分布します

★現在の山地上部から亜高山帯に分布するもの (ちょっと寒いところ)もあります
 ブナ、シラカンバ、ダケカンバ

★現在、中国南部 (暖かいところ)にみられるもの
   フウ 、スイセイジュ


化石の年代としては、本宿上部層ということで新生代中新世といわれます。約800万年前と推定されています。
(中新世は2300万年前~530万年前)。

一方、年代を新生代鮮新世の350万年前前後とする意見もあります。

まだまだわからないことがたくさんあります。


ところで、この化石を含んだ湖にたまった地層、現在は標高の高い、山の上部にあります。
昔、湖の水がひろがっていた場所が、今は高い山のてっぺん付近・・・・
下の図は地学講座という催しで兜岩の化石の学習会をしたとき、堀越武夫さんが書いて下さった図です。昔の湖の地層が、わずかに傾いているとはいえ、ほぼ水平に見えています。ずいぶん大きな湖だったのでは。この中の4カ所ほどで化石がみつかっていました。現在、標高1100m~1200mの所になります。

どんな大地のはたらきがあったのか、昔の地形はどんなだったのか、大地の世界は、どれも想像するのもなかなか難しい世界です。

自然学校名誉校長の野村さんが、下の写真のような図を黒板にかいて解説してくださいました。
これを見ても、この湖の地は,山のてっぺん付近。ずいぶん削られて残った部分というわけでしょうか。
大地の歴史・動きは、スケールが大きい・・・・・・・


地形模型を見ながら考えたら、湖の広がりなどが、思い浮かべるかもしれません。

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季節の便り
新緑の季節を迎え、下仁田の川や道のわきには、黄金色の山吹が輝いています。


                    絵手紙  小林生子さん

下仁田に行った日が雨。新緑の山の姿の写真が撮れない・・・そこで藤岡の新緑を。4月14日の光景です。
下仁田から東へ、富岡・藤岡・高崎と続くなだらかな丘陵地には、新緑の雑木林が続きます。
    ( リゾート開発の頃、ずいぶん沢山のゴルフ場がつくられた地域でもあります)

芽吹いた木々の緑と山のサクラの薄いピンク色が混じる柔らかな山の姿です。
ソメイヨシノが咲き終わったこの頃がこそが、林の一番きれいな時、と、私は思います。 

写真では山里の暖かで輝く雑木林がよくわからないのが残念です
ケヤキの新緑は輝くばかり


道沿いには時折、こんな花も。  アマナ  ・  ニリンソウ



  サクラとはいっても、ひっそりと咲くチョウジザクラの花         イタヤカエデの花


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下仁田市街地付近には、林の下にアオキが育っています。赤い実がきれいで、庭に植える園芸用の木かと思ったら、じつは野生のもの。
本州西部にひろがる林、照葉樹林という林によく見られる低木で、下仁田は照葉樹林がギリギリ分布。というわけで、アオキもはえています。

雄の木と雌の木があり、かつて18世紀後半、イギリスに持っていかれたのが雌の木だけで、実をつけなかったそうです。実をならせるべく、19世紀半ばにプラントハンターによって雄の木がもたらされて、やっと実が実ったという、有名な話があります。
ガーデニングの国イギリスでは、日本では普通にあるアオキやツバキが、珍重され愛された歴史があるのです。
                               
アオキ・・・実は目立つけれど花は目立ちません。今頃咲きます。探してみませんか。

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