2016年5月26日木曜日

八ッ場ダム 今どうなっている・・・



八ッ場ダム、最近、聞かないですが・・・

八ッ場ダム・・・一時は建設中止がマスコミで大々的に報じられ、「コンクリートから人へ」の象徴だった・・その後また建設再開となり、はて、その後はどうなった?・・・・
もうダムはできてるの?いや、そんな話は聞いてないと思う・・・・とか。
そんな方も多いと思います。

今はダムの本体工事が進められています。基礎岩盤の掘削がほぼ終わるころで、これからコンクリートの打設がはじまるといった段階です。
国交省ではダム見学と称して、マイクロバで観光客をダム工事の周辺へと案内し、ダムの宣伝に余念がありません。(工事現場そのものは遠くから見るのですが)。

そんなダム現場の今を見てきました。
 その前に、八ッ場ダムの歴史を、大急ぎでおさらいしてみます。

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1947年 カスリン台風により利根川流域の大洪水
1952年 八ッ場ダム構想 ・洪水調節目的 
   しかし凍結(草津の水などが入る吾妻川はコンクリートも溶かす酸性の水の
         流れる川)

1965年 ダム計画再浮上 ・治水、利水目的(1964年、吾妻川には中和工場が完成)
     住民の大反対運動が起こる

1985年 長野原町長と群馬県知事、生活再建案の覚書締結
1992年 町、県、国が八ッ場ダム建設事業に係る基本協定調印
2009年 民主党政権 国交大臣が八ッ場ダム中止を明言
2011年 国交大臣が八ッ場ダム継続を発表
2015年 ダム本体工事開始

 ため息のでるような歴史・・・親の代から子供の代まで延々と続くダム問題は、そこに住む住民にとって、大変な重荷の歴史です。
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 川の上流側から見たようす。ここにダムができます (4月17日) 

ダム本体工事が始まっているので、まずはその様子です。
写真はダムの上流側から見たもの
(ここにダムができると、手前側が水没します。)

これまで渓谷の岩盤を発破で砕き削っていました。 夜間にも明るくライトで照らし、発破作業を進めていたとききます。迷惑だったろうなあ・・・いや、ここまで来たら、早く完成して欲しいという住民の声だった・・とダム事務所。

下の写真は5月22日のダムサイトの様子です。



ダムサイトの左岸(川の北側、国道のすぐわき)には大きな茶色の”屋根付の筒?”が並んでいます。
骨材(砕石)を貯蔵できる骨材ビンとのことです。2日分を貯蔵できるように準備されているとのこと。コンクリートの打設がはじまれば、24時間作業となるようです。ダム本体を作っていく準備も万端なのでしょう。



 右はダム下流側からの光景です。
この正面にダムができる予定。

八ッ場あしたの会の現地見学会に参加し、緑のハイキングコースを歩き、小高い岩山の小蓬莱(しょうほうらい)から見ました。

削られて茶色い岩肌を見せている眼下の工事現場は吾妻川の流れる吾妻渓谷の一部で、観光客が歩く散策の場でした。
今、川の水はトンネルで迂回され、干上がった部分で工事が進行しています。

下はダム上流側の光景です。


ダム工事現場近くに設けられた「やんば見放台」からの写真です。
この写真の下半分はダムに沈みます。右すみの川は吾妻川。その上高くにかかる橋は
八ッ場大橋。この橋げたすぐ近くまで水がたまる予定。

その橋と同じ高さに左に向けて横一線に並んで見える家並みは、造成された水没地区の代替地にたてられたものです。新しく作られた共同浴場や温泉宿などもあります。
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ここは長野原町になりますが、長野原町水没予定地の世帯数の変化をあげてみます。

 1979年      水没予定地の世帯数 340世帯
 2015年3月末  代替地への移転世帯数 86世帯(外部からの流入を含む

       多くが代替地を選ばずに、他の地域に流出したということです。
    ため息の出るような数字です。
(国の政策との対立、さまざまに入り組んだ関係、そして先の見えないなか、代替地はなかなか完成せず、また分譲価格は、この地としては相当高価な設定でもありました)

代替地は、背面の山を削り、さらに30m以上もの盛り土の人工造成地です。数ヶ所ある代替地の中で一番厚いところでは50mもあるような・・・・こんなにも厚い高盛り土・・・今までに例はあるのでしょうか・・
写真で見ると、その様子がよくわかります。代替地に建設された家並みと、その下の斜面が見えます・・やがて水没予定の斜面です。ここが高盛り土。
家並みの後には、切り取られた山の大きな法面が見えます。
 (付け加えると、写真左端、法面に見えるくぼみは、斜面が崩れたあとだとか・・
   これからの管理をしっかりやってもらわなければ)

 水没後も気になります。写真の水没予定斜面はまだ暫定のもので、さらに工事をおこなうため、調査もしているといいます。水没してもしっかり頑丈に支えられる埋め立て斜面をつくらねばならないはずです。
かつて、水を溜めはじめたら、ダム湖周囲で地滑りが起きたダムもある・・・この地域のダム湖予定地周辺は、もともと地滑りの発生している場所も多いのです。21ヶ所とか22ヶ所の地滑り地帯があると聞いたこともあります・・・
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八ッ場ダムといえば、下の光景を思い浮かべる方も多いのでは。十字架のようだ と。
この写真は2009年10月のものです。たまたま榛名山をこえて、下を見ると、この橋の光景が目に飛び込みました。


左写真の手前の橋は丸岩大橋、建設中の橋は不動大橋。
なお先に写真を載せた橋は 八ッ場大橋で、一番下流になります。
狭い範囲に何本もの立派な橋がかけられています。



このダムでは、水没地区の人が別の場所に移住するのではなく、町をダム湖周辺にそっくり底上げして作るという「現地再建ずり上がり方式」をとりました。
(きっと住民の反対運動をなだめるためだったのでしょう。何といっても、古くからの由緒ある温泉のある場所でしたから。住民の反対運動も激しいものだったとのことです)
というわけで、この周辺は、大規模土木工事の現場です。里山的山がちの地域を車で長く走っていると、突然、さまざまな土木工事の結果が現れます。

「付け替え国道」「付け替え県道」「JR吾妻線のつくり替え・線路も駅も」「何カ所もの代替地」 などなど 。具体的にはわかりにくいので、昔と現在を比べた写真を載せます。国交省が観光客用に掲示しているものです。

静かな山あいの町が激変しているのがおわかりいただけるでしょうか。
写真上の方向に進むと、草津温泉方面へ向かいます。
急峻な地形の場所に平地を造成する工事は、簡単なものではないのも想像できます。
 
じつはこの現地ずり上がり方式のために、工事はブラックボックスのようにお金を吸い込んでいったといわれます。



 ・写真で八ッ場ダム予定地と書いてある近くが、旧川原湯温泉街
・「川原湯地区代替地」には民家と温泉旅館が、トンネルをくぐって少し離れてJR川原湯温泉駅がつくられています。
ここには付け替え県道も作られています。立派なトンネルを通って代替地に達するこの県道は、一部斜面の工事がまだ完成せず、片側1車線交互通行が続いています。
・写真右にある川原畑代替地には付け替え国道がつくられ、道の駅八ッ場もこちらがわに建設されています。草津へ向かうメイン道路です。交通量も多い。草津へ向かう道路を走ったとき、長いトンネルをぬけた所が、この写真の部分です。


川原湯温泉駅近くに口を開ける工事用の大柏木トンネル
この山の向こう側で山を崩して砕石を得、ベルトコンベアー
ダム工事現場まで運ぶ
・写真ではわかりませんが、道路や鉄道には、長いトンネルが掘られています。JRの場合、岩島ー長野原草津口駅感の約10.4kmの77%はトンネルだとか。まさに、トンネルだらけ・・・
さらに、ダム建設に必要な骨材(砕石)は写真の山の裏側にある山を崩して運びますが、そこまでは大きなトンネルが掘られ、ベルトコンベヤーが作られています。コンベヤーの全長約10kmになるそうです。

延々と続く工事用ベルトコンベヤー
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ところで、先ほど、地滑りの心配にふれました。

すでに地面の変形が見られる所もあります。
前橋からこちらに向かい、付け替え国道の長いトンネルをでた所、ダム本体工事をしているすぐ近くの場所です。
道路を作るとき、山を崩して平らにして、道路など施設をつくったと聞いています。

 
路面に補修のあとが見られます。
デコボコしてしまうため、何度も補修しています


近づくと、赤茶けてボロボロとした感じです
歩道の縁石は茶色く変色し、道路側にせり出し
傾いています。
調査のための装置が
あちこちに見られます
この場所は専門家から見たら酸性熱水変質帯。

岩石が切り出され、空気に触れると急速に変化をおこします。さらに地下水は強い酸性となり、構造物に被害をもたらすといいます。
ダムサイトはすぐ近くなんですけど・・・

国道をさらに走ると、他にも赤茶けた場所がみつかります。
割れ目やずれが広がってもいます。



      



 

「八ッ場ダムは完成したら 難しい維持管理が永遠に続くダムである」といっていた人もいます・・・・

  もし地滑りが起こるようなら、その維持管理にはお金も相当かかる・・・ところでこの国道は、管理が群馬県になる種類の道とのことですから、管理費用は群馬県の税金でまかなうことになるのでしょうね。

以下に調査の資料をのせます
ダム予定地から上流の地滑り地区です


 国道沿いの 熱水変質帯の法面の様子  亀裂もあちこちに
道路脇の法面は、赤茶社に変色 
びっしりと置かれたアンカーボルト
水も赤茶け、酸性に
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最近、また新たな問題が・・・

2014年8月、毎日新聞のスクープが報じられました。
渋川にある大同特殊鋼の鉄鉱スラグに有害物質のフッ素と六価クロムが基準値を超えて含まれていたというものです。道路の路盤等さまざまな場所に使用されているものです。また、これを使った場所で、スラグが膨らむことにより、家が傾いたり、道路がデコボコになったりと、さまざまな被害が生じている、というのです。本来きちんと処理していれば、スラグの膨張は起こらないはずなのですが、それもされていなかったということになります。
六価クロムといえば、発がん性があり、かつての「鼻に穴があいた」という話が思い浮かびます。

県内各所で次々みつかっているのですが、スラグが盛んに搬出されていたのが2002年~2014年1月。八ッ場ダム予定地で多くの工事が行われていたのが2000年代~2010年代まで。
代替地造成、付け替え国道・県道・町道など・・・  一部からラグが見つかって、撤去作業も行われています。。
でもいったい、たとえば30mの厚さの盛り土にはどうなのか、とか、心配は尽きません。
 

道路がひび割れていても、これはスラグがあるのでは・・・とか、あれこれ思ってしまいます。皆さんの家の近くにも、使用した場所があるかもしれない、という、身近な話でもあります。
 それにしても、あまりにもさまざまな問題が出てくるこのダム関連の話・・・書いているだけで、なんだか疲れてきました。
 しかもここでは、このダムのそもそもの意味には、一切ふれてもいないのに。

吾妻川の川原に積み上げてあったというスラグの場所の写真をのせます。撤去作業が勧められていました。

 さまざまなことの詳しい説明が やんばあしたの会 http://yamba-net.org/ のHPに載っています。

鉄鉱スラグについて調査報告されている 名付けて「リットン調査団」のページもあります。
 http://blog.livedoor.jp/lytton_cyousadan/
楽しく(??・・・”楽しい”は変なのですが・・・)書かれてあります。
載せるつもりで忘れていて、追加です。ごらんになってください。


丸岩大橋の近く、吾妻川の川原に大量のスラグが
 野積みに・・・

鉄鉱スラグの塊です
磁石にくっつきました。



道にこんな茶色のしみが。
スラグが混じっているのではと聞いたのですが・・・

 わが家の近くのサイクリングロード取り付け道路にも、こんなしみがあるなあ・・


あれこれありすぎて、こんなページ1回では取り上げきれないこともわかりました。簡単に説明できる話ではないと、あらためて感じているところです。
それでも、またこの場所にも目をむけていただくことがありましたら幸いです。
 




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