2019年2月11日月曜日

下仁田の蛇紋岩岩体

 季節の足音 

我が家のフクジュソウ
北海道には最強の寒波
我が家の庭にはフクジュソウが・・・春はちゃんと準備を整えています。

 昔札幌にいたころ、新札幌のある丘陵地帯では、早春、木々がうっすら芽吹きを始める頃、林の下や道のすぐ脇に、当たり前のようにフクジュソウが咲きました。野生のものだと思います。野生のものなんて、そこに住むまで、もちろん見たことはありませんでした。
 近所には、広大な面積の平地の林、野幌森林公園があり、林床には様々な野生の花が咲いていました。今なら絶滅危惧種に指定されているものが、たくさん。その公園区域から外れても林が続き、同じような花がたくさん咲いていました。新札幌駅の隣の駅、JR上野幌駅は当時無人駅で、周囲には林が広がり、こうした花々に当たり前のように出会いました。早春、沢沿いにはミズバショウやリュウキンカも顔を見せていました。今は、ほとんど住宅地等に開発されていると思います。
 ここ数十年で多くの植物が数を減らし、絶滅危惧種に指定されています。
 北国の早春の林床の花々の美しさを、とても懐かしく思い出します。そして、夏にかけて次々咲く花々の美しさも。
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 下仁田にはぽつぽつと蛇紋岩岩体があるそうです
  ~~三波川帯には、結晶片岩の中に、橄欖岩、それからうまれる蛇紋岩岩体が
         あるのだとか~~
 
このブログを始めたきっかけは、下仁田周辺の地質紹介をするためでした。
最近、そうした紹介はご無沙汰になっていますが、時には取り上げてみようかと。

 かつての調査の記録が報告書や論文として残されています。これらの文書は小説を読むような面白さはありませんが、記録としての面白さと役立つ面があります。
下仁田自然史館という地関連質のものを主に集めている場所があります。そのすぐ近くに、蛇紋岩の岩体があり、それを昔掘ったという話を聞きました。でも、地元の方は、何に使ったかわからない、と。
家の裏に釜が4つあったとか、ご存知なのですが、子供のころのことで、それ以上はわからないと。
すると、その資料を見つけてくださった人がいます。
 何しろ、1950年の報告書ですから、かなり読み取りにくいですが、感じだけでも。
終戦後、物資不足の中、とにかく利用できそうなものを全国で探した時期があったようです。
その一つだったのでしょう。蛇紋岩を採掘して、焼いて出荷したというのです。探していただいた文書を読むと、耐火煉瓦に利用しようとしたようです。下仁田は鉄道も通っていて、トラック輸送も確立していて、条件は良いとみられたのでしょう。図の左下が岩体ですが、ここからさらに少し道を南に行くと、白石工業白艶華工場があり、石灰の微細粒子を製造しており、そのためトラック輸送も完備していたわけです。
 地下資源としてはそれほど価値をうまなかったようで、昭和21年9月には休山と書かれてあります。ですが、蛇紋岩、橄欖岩(カンラン岩)、角閃岩などと、めったに見られないような石たちの名前を聞くと、興味津々の気分もしてきます。
 教科書に出てくる三波川帯という地域、庭石に使われた三波石のある地域とかも含めて、そういった場所には、点々と超塩基性岩(蛇紋岩とか橄欖岩とかいった石)が見られるのだとか。こんな石は地下深くに関係するようで、興味も湧きます。
下仁田にも、そういった地域に入る場所があるわけなのです。
  こうした文書、先人の残してくれたもの、これも大切にしたいですね。

 この土地の持ち主の方にこの資料をお届けしましたら、とても喜んでくださいました。
じつは以前に案内していただいたことがありました。「よく覚えていなかったが、道があるのを思い出した。楽に歩けるよ」と。そこを今度案内してくださるとか。ちょっと怪我したので、直ったら、とのこと。ありがたい話です。よろしくお願いします。




 


「この裏には釜が4つあってねえ」「この道を上の方に上って行って」「ここにトラックが入ってきて運んだんだ」 等々、地元の方のお話の通りのことも書かれてあります。
「裏にレンガを使ったところがあるよ」・・もしかして、耐火煉瓦?
時間がなかったので、後ほど見せていただく約束をして帰りました。

 道脇の石垣には、ぽつぽつと蛇紋岩も使われています。
 奥まで行けなくても、ちょっと通りがけに、こんな石を見て、地域の自然に思いを巡らすのもいいですね。




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