中之条ビエンナーレ 町全体が 芸術の町 になる日々・・・1か月の間
8月24日から9月23日 もうすぐ終了ですね
旧太子おおし駅
終戦末期の1944年、群馬鉄山からの鉄鉱石を運ぶために作られ、
索道で運ばれた鉱石を、ここから鉄路で運び出しました。1970年、太子線廃線。
ビエンナーレの作品のキラキラしたリボンが、かつての積み出しの施設を飾ります。
現代アートは私にはなかなかわかりませんが、雷雨の大雨の中若い人たちがカメラを向けていました。
この先に、鉄鉱石を採掘した群馬鉄山がありました。
閉山した今、強酸性の水の中に育つチャツボミゴケの緑一面の広がりが見られる場所として知られています(国指定の天然記念物)。
養蚕の里 赤岩集落
1806年建てられたといいます。
蘭学者・高野長英をかくまったとされる部屋があるとか。
旧五反田学校
明治42年(1909年)建築。その後ほとんど改造されずに残されているという。
立派な建物ですね。 この中にアート作品があるというわけ。
主要道からもはずれ、普通、外部の人は訪れないと思うが、この日、平日の水曜日にもかかわらず、若者、中年と、何組もの人の姿が見られました。
こうしたら、片すみにある宝物にも光が当たるなあ。
ミュゼ ミュゼって何??
普通なら、「中之条町民俗資料館」とか名付けそうなのに、
何やらおしゃれなネーミング。
(観光総合案内所のようなところは、「つむじ」と名付けていました)
蚕農家の道具、その他農具などもたくさんあって、私には何だか懐かしい物でした。
何に使ったか、わかりますか?
母や祖父がこういったものを使っていたのを見ています。
お米、豆・・食べられるようにするには、こういったものを使った作業が必要でした。
本当に手間暇かかったのです。考えてみたら、ほんの少し前の話なんですね。
人の歴史から見たら。
お蚕の道具もあります。さすがに、糸取りや機織はしていませんでしたが、隣の家では
おばさんが機織りもしていました。
アートからちょっと外れましたね。
中之条町一帯に、こうして47カ所がプロットされていて、土日にはパフォーマンスや参加型のワークショップや様々な体験もあるとのこと。2年に一度開催で7回目といいますから、エネルギーありますね。
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一昨日、原発ゼロを求めて活動を続ける城南信用金庫(顧問)の吉原毅氏の講演を聞く機会がありました。福島の事故以来、店舗で使う電気を東京電力から買うことをやめ、自然エネルギーの電力会社に切り替えてきた推進を進めてきた信用金庫だ。気骨あるなあ。
その中心を担った人。
元気の湧く話。「電力切り替えと言っても、どこで買ったらいいか判断がつかないんですが」との質問に、「どこでもいいんですよ。原発推進の東京電力を先ずやめればいいんです。簡単ですよ。紙1枚ですよ」と。
中之条電力の話が出てきて、そういえば、と頭の片隅にあったことを思い出しました。私も質問者と同じことを思っていた・・・
中之条電力を立ち上げた人は、中之条のエネルギーいっぱいの人の一人なのでしょう。
頑張れ、という気持ちになりますね。
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