2014年3月10日月曜日

大地の大きな構造 その3  下仁田構造帯

 中央構造線に接して  下仁田構造帯
             

鏑川に沿ったそれほど広くはない平坦地にひろがる下仁田町の中心街。その北の端、国道254号線わきにある町役場の北側からは、標高300m~400mの「低山」の地形がひろがります。

 人が生活を営む場所に接し,人が利用した山・「里山」。
   ・・・・・ おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・・・・・・

 こんな昔話の語り口から感じられるのは、小さな川と低い山の接する場所は、本来、人の生活しやすい場所だったのでは、ということです。水も燃料も、身近に手に入りやすい場所ですから。
 ところで、家の北側にある山は、裏山とよばれることもあります。ただ、この言葉では、「里山」と違って、あまり顧みられない場所、あまり,価値のない場所という雰囲気も漂います。ですから,裏山は手入れもされず、ゴミも捨てられる・・・・

 町の北側にあるこの低い山の地域は、昔は利用価値があったかもしれませんが,今は顧みる人もない場所・・・そういえば下仁田町でも、ゴミ焼却場があり、火葬施設も建てられている。沢を見ると、不法投棄のゴミが見えたりする・・・           山は浅間山(せんげんやま)、中腹に白く見えるのが
                                      骨立山凝灰岩、山の手前の建物は病院,右手に役場、
               最前面は鏑川


まさに「裏山」になっていたわけです。かつては鏑川にある難所を避けて、下仁田の物資輸送に使われた街道が通った地域でもあったというのですが・・・
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下仁田町の「裏山」
 2002年、この場所、町の中心街から目と鼻の先に産廃処分場の建設の話が持ち上がり、大問題になりました。下仁田町の市街から1kmほどの場です。高速道路で首都圏のゴミが持ち込まれるのは確実で、町中で反対運動がおこりました。町の飲料水の汚染、ゴミを運ぶトラックの往来・・・ここはもともとはゴルフ場計画として1993年に業者が取得していた土地だったそうです。リゾート開発ブームで日本中が血眼になっていた頃です。その後,ゴルフ場計画は頓挫、転売され産廃計画に行き着いた・・・、結局は町が買い取ることで決着となりました。2007年のことです。もし、このとき、産廃処分場が建設されていたら、町の姿は変わり、ジオパーク設立にも多大な影響が及んでいたことでしょう。

 この反対運動の中で、下仁田自然学校では、地質・水質・植物分布の調査を行いました。後援会の方々だけでなく、他の町民の方々、小学生の参加も実現し、かなりの回数を実施。さらに、全国の後援会員の中には、産廃問題等に関わってこられた専門家、地質の専門家の方々もおられ、専門的立場からの助言、あるいは実際の現地調査への参加をいただくことができたのでした。(詳しくは、下仁田自然学校手作りパンフレット”下仁田町の「産廃問題」を考える本)。

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 町の「裏山」の「歴史」を長々と書いてきたのは、その時代の世の中の動きそのままを映したような出来事がふりかかった場所で、そこを町の人たちが乗り越えてきた場所だったということを紹介したかったからです。そして、地質的に見ると、,この場所、ちょっと変わって見える場所だということも,紹介したかったからです。
 この場所の岩石研究は1930年代からはじまり、1966年に「下仁田構造帯」と名付けられました。
1980~90年代からは多くの研究者の注目を集め、測定制精度が向上してきた岩石の放射年代測定も精力的におこなわれています。地域の人々がこの場所を忘れていたころ、地質研究では注目を集めていたというわけです。

 最近では、「構造帯という言い方はしない」という意見もあります。こういったことは専門家の方々に検討していただくことになりますが、いずれにしても、「まだまだ様々な意見が出てくるものなのだ」、というところがおもしろいです。
ここでは、今までに使われている、「下仁田構造帯」という言葉で,解説を書きます。

どんな場所?
  • 狭い範囲に多種類の岩石が分布   東西10㎞、南北3㎞ほどの地域に、でき方もできた時代もまるで違った,赤の他人のような岩石が、8種類も複雑に入り組んで分布
  • 中央構造線に接している 
上図の色の付いた部分が下仁田構造帯に当たります。図の真ん中下に下仁田駅があります。
ただし、黄色の富岡層群のうち、右の広い部分は,構造体の上をおおっているものです。





南蛇(井(なんじゃい)
下仁田構造帯に,いちばん広く分布します。この分布場所にかつて産廃処分場が計画されました。
古そうな顔つきで,何だかぐちゃぐちゃした泥の地層・・・

「古そう」ってなに?といわれそう。
     堅くしまって、けっこうつぶされたり割れたりしている感じ・・・かな・・
黒色泥岩が多く、砂岩もあります。砂岩は断層で切られ、引きちぎられて塊状に見えたりします。
      
圧力を受けたらしく、鏡肌のようにツルツルして光っていたり,波打ったような面がたくさん見られた
りします。はがれていきそうな感じです。






  ずいぶん破砕されていて、小さい断層もたくさんあります。砕けた後、再び硬く固まった感じです(下の写真2枚)。どうやら破砕作用は2回ありそうです。
    
    
古い時代の岩石は固まっていて,水がしみこまない、汚染水がしみこまないと思われやすいので
すが、この例から見ても、そうは単純にいえないでしょう。産廃処分場でいつも問題になる,汚染水
による水源の汚染・・・地層の顔つきを見ただけでも、すき間からのしみこみ・・そんなことも心配さ
れたのでした。
「古そう」と言ってもいつのものかわからなかった・・・・あるとき、顕微鏡で見るような小さな化石・
放散虫が見つかって、中生代ジュラ紀から白亜紀に海に堆積したものとわかりました。
   "古い層"で正解!でした。
































   

神農かのはら礫岩  
 割れ目がはいった「ずれ礫」が見られる地層。これも何か力を受けたのでしょう。
この礫も切れています

                                   
ずれ礫 縦方向にいくつか切れ目が入っていて
そこでずれています

ひび割れがたくさん入っています
いろいろな大きさの礫が混じっている礫岩です

神農原礫岩の崖・はねこし峡

礫は丸く、赤みがかった石英斑岩が多く、他には黒色の泥岩、凝灰岩などあります。
礫が赤っぽいのは,含まれる長石が赤みがかるから。石英斑岩は8500万年前にできたといいます。
   でも礫岩がいつ堆積したのかは不明。時代のわかる化石がでればいちばんいいのでしょうが、この礫岩から化石が見つかるというのは、ちょっと望み薄でしょうね・・・


立山(こつたてやま)凝灰岩    5500万~6000年前の火山灰の層、

    



赤津では川にごろごろと巨礫になってみえています。
ここでは赤っぽい色に見えます
          


                    


浅間山(せんげんやま)を見たときの白っぽい帯状の部分もこの石。ふるさとセンターの崖もこの岩石。
火山灰といっても、溶結した部分も見られ、溶結凝灰岩といえます。硬い岩石になっています。石英の
粒がたくさん入り、長石、黒雲母の粒も。
黒雲母は変質して緑泥石になっています。少しの場所に分布のみられる岩石です。


平滑(なめ))花崗岩 
 
下仁田から富岡に向かうと、道に沿うように低い山が続きます。神成山(かんなりやま)といって尾根
じは手近なハイキングコースになっています。周囲を見渡せる気持ちのよい道です。
この山、ほぼすべて平滑花崗岩でできているのです
ちょうど写真の前面、手前の農地から、100mの断崖絶壁の平滑花崗岩の崖が急にそそりたっていま
す。この崖をつくったのは鏑川。昔の鏑川がここを流れていて、平滑花こう岩の山を削ってできたの
だそうです。川の力、恐るべし。
  
神成山   山はまだまだ右手に続きます


平滑花こう岩は西牧川方面(色を塗った上の図の左部分)に、もっとも広く分布します。ここの南蛇
層に平滑花こう岩が貫入したことで中小坂鉄山ができたと考えられています。南蛇井層の分
地域を歩くと、時々、平滑花こう岩がちょこっと顔を出しているのに出会います。


6500万年前のかこう岩ですが、、一般の花崗岩とは趣が異なります見た目は花こう岩にみえないのです。黒雲母は見られないし、ただの白っぽい石の塊という感じで、チャートかな?と思ってしまいそうだったり・・・風化で少し赤みがかった色になっているところが多く見られます。
   
顕微鏡写真でも見てみましょう。
左が中小坂の平滑花こう岩、右が神成山付近の花こう岩。
    典型的な花こう岩がどう見えるかって?・・下の小さめの写真で見てください。
                    (渡良瀬川上流にある沢入(そうり)花こう岩です。黒い横線は1mm)

                           

    この3つの写真、まるっきり違って見えます・・・・
      どれにも○○花こう岩という名が付いているといわれると、
     「えーっ??・・・・」ですよね。これだから専門家の言うことは
     わからない。  
   普通の花こう岩は,左写真のようなものです。上の二つが特殊なのです。
    つまり、下仁田の花こう岩は変わっている!!

   どうやら下仁田の平滑花こう岩は,高い圧力を受けて変形、再結晶もしているようなのです。左上の中小坂のものは、ほとんどが                   ひどく細かい石英の粒になっています。神成山のものは、少し
                      花崗岩の構造が残っているようです。
岩石薄片作成・写真撮影 中島啓治さん   
    

大きな断層では,まわりの岩石に影響がでてきます。
  ● 粉々に砕けてさらに固まる・・・・こうしてできた岩石をカタクレーサイトとよんでいます
  ● もっと深い所で温度が高めだと,壊れることなく塑性変形。再結晶作用も・・・マイロナイト(圧砕岩)とよんでいます 
  聞き慣れない名前です。断層に関係しているということですから、”断層岩”とよびたくなりますあまり一般的でないけれど、大地の歴史を語ってくれる変わった石たちと言えそうです。
 
下仁田には中央構造線が通っています。 これに接したり近くにある岩石には、きっと影響は出るで
しょう。 平滑花こう岩はそんな岩石?顕微鏡の下で見た顔つきは、まさにそんな姿ではと、研究者
がいうわけです。1966年の論文でもマイロナイトと書かれてあります(論文には下仁田自然学校運
委員の細矢さんや高橋さんたちも参加されています)。2002年の論文でもこうかかれています。
「平滑花崗岩は、細粒化の進んだマイロナイトや破砕が著しいカタクレーサイトの組織が記載され
る」(小林・新井)。
   それにしても、この石を「花崗岩」と分類した方、どんな方かと思ってしまいます。

というわけで、ここも研究者が訪れる、下仁田の大地の不思議の一つになっています。

千平(せんだいら)花崗閃緑岩  6500万年前のもの 千平付近にみられます
 馬山まやま)花崗斑岩   5500万年前のもの  小岩体

     あちこちで年代測定がされていて、研究者たちが熱心に取り組んだ様子がうかがえます。    

 富岡層群    
   1500万年ほど前の海の地層。化石も産出。千平駅下の鏑川べりなどにみられます。
    下は只川橋からの光景。

只側橋付近で、子供たちと化石採集をしていたら、サメの歯が出てきました。
   富岡からさらに東へ、丘陵をつくっている富岡層群ではサメの化石なども多く見つかるとききます。その片鱗が下仁田でも見られるわけです。


 下仁田層    
2000万年前の海の地層。




千代橋付近では貝化石がたくさん見られます。白く丸っこく見えているのが貝の化石。2枚の殻がくっついているなら、貝がここで生活していた証拠になります。死んで流されて積もったものなら、貝殻がバラバラになってしまうはずですから。ここではくっついていそうですね。ここでは砂質の地層です。全体としては泥岩が多いそうです。
化石については,後ほどもう少し詳しく紹介の予定。

こんな様々な岩石が、隣りあって分布している場所、これはやっぱり、大断層があるためなのでしょうか。不思議な石がたくさんある場所です。
どこにでもありそうな裏山ですが、不思議はつきません。産廃関連の調査の時には絶滅危惧種に指定されている植物や群馬植物誌で「まれ」とされている植物が9種類見つかっています。きちんと見つめると、さまざまなことが見えてくるものです。


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今回は,やたらと石の説明になってしまって長くなりましたので,これで終わりにします。

先日、下仁田町で,下仁田自然学校に参加している研究グループの発表会がありました。11グループがあり、それぞれ、こんなことをやっています,と紹介。町民の皆さんにも呼びかけての発表会でした。調べてみたいテーマのつきない場所なのですね。
こんな調査には誰でも参加できます。
大学などの研究者も一般の人も、だれでも自然の不思議にふれるのは楽しいこと。
  一緒に自然学校に参加してみませんか。

2014年3月2日日曜日

大地の大きな構造 その2 中央構造線



 大地の大きな構造

②  中央構造線

中央構造線・・日本を横切る大断層・・・断層を境に、まるで違った岩石・地層が分布する・・・宇宙から写真を撮ると,ちゃんと線になって見える断層・・・・・

何となく知っているつもりで,いざ説明をしようかと思うと、上にあげたような言葉が見出しのように 出てくるだけ・・・ここで、本当のところ、何もわかってなかった・・・と気づくお粗末さ。
 とはいえ、説明を試みてみようかと。        なお、図で、特に断りのないものは下仁田自然学校作成

大断層

九州から関東まで、1000kmを超えて続く断層です!・・・位置は左図で。

関東地方では、じつは中央構造線がよくわからず、教科書でこうしてしっかり線が引くかれるようになったのはけっこう最近の話なのです。1995年発行、2002年印刷の高校地学の補助教材の本では「フォッサマグナ以東への延長は明瞭でない」と書かれてありました。2003年発行、2007年印刷のものでは関東までしっかりと線が引かれてありました。
糸魚川ー静岡構造線の東側・フォッサマグナ地域とよばれる地域には厚い地層がたまり、火山噴出物でおおわれ、中央構造線は見えなくなり、関東平野は厚い土砂に埋まっていて、わからない・・・
埼玉市岩槻区では地下3,000mから鹿塩マイロナイト(中央構造線北側にくっついて狭い範囲で分布する岩石)が確認されているので、ここを通っているのは確実。成田周辺のボーリングでは地下深くで三波川結晶片岩が見られた・・・・といったように、さまざまに苦労して,位置を確認しているのです。

こんな中で,下仁田はフォッサマグナの東側で、中央構造線が地表ではっきり見られる場所なのです。

下の写真で、四国、紀伊半島を通る中央構造線の位置を探してみませんか。高校地学教
科書補助教材より写真を引用させていただきます。
上の地図と較べると中央構造線の見当が付きます。断層で破砕された場所が削られ
谷になり、写真にあらわれるというわけ。宇宙から断層の位置が見える!
                                    浜島書店 図説地学 2003年度用より
下仁田自然史館にも、こういった宇宙からの写真が展示してあります。館に立ち寄られたときは、ぜひごらんになってください。


中央構造線は下仁田のどこにある?
   大北野―岩山断層といわれている断層が中央構造線になります

下仁田駅近くでの位置を見てみます。赤い線が中央構造線の通る位置


   
            

中央構造線が、しっかり・はっきり見られるポイント ・・・・川井の断層
  みやま文庫 日曜地学散歩  1971年 より

下仁田町中心部近く、川井の善福寺下の川岸で
中央構造線の断層が
はっきり見られます。

左図の赤い線が断層です。
                        
下仁田駅の西、諏訪神社に行くと、中央構造線をながめられます。ちょっと離れてはいますが、・・・

 諏訪神社で、社殿のきれいな彫り物を見たら、川の対岸も見てみましょう。対岸の川下に緑色片岩、上流側に2000万年ほど前の砂岩の地層・下仁田層がみえます。境目が断層。これが中央構造線です(下の写真)。
川井の断層と呼びならわしています。
対岸の善福寺からは断層部分に行くこともできます。



川井の断層

諏訪神社から見たもの


手前が下仁田層の砂岩、
左奥(川下方向)が緑色片岩(三波川結晶片岩)。
両者の間が断層で、中央構造線。

善福寺方面から、通路を通って行って見ると、、ここはほぼ垂直な断層になっていて、砂岩層と緑色岩が断層で接しています。
この断層では、断層面に沿って,岩石がすりつぶされて粘土状になった数十cmの黒色の部分(断層粘土・断層ガウジ)が見られます。
緑色片岩(三波川結晶片岩)は断層近くで広く破砕されていて(断層破砕帯)、断層の大きさを物語っています。     

下も断層付近の写真です。

                                               写真 関谷友彦さん


断層部分を少し角度を変えて,正面から見た写真です。右が下仁田層の砂岩、左は緑色岩。砂岩は断層面が崖になっています。・・・・ちょっとわかりにくいかな・・・


真ん中や左のほうは何となくぐちゃぐちゃしていますが、これは断層の影響で緑色岩が砕けているため。地質調査をする人はこんなようすを,「もめている」といいます。
右にそんな緑色岩のようすの写真を載せます。

なお、断層の諏訪神社側でもかつては断層が見られましたが、行きにくい場所で、さらに現在は護岸工事でほとんどがおおわれています。河床には断層粘土がみられますが、これも行きにくく、場所的には見学には適しません。  





下図で、もう少し広い範囲でも見てみます。「大北野岩山断層」が中央構造線です。「本宿陥没の壁」より西では火山噴出物に覆われてしまいます。


<中央構造線の通っている場所>

大北野集落手前には断層破砕帯の斜面がありますが、石垣で覆われています。
ここでは川井山石英閃緑岩が分布し、そのさきに中央構造線の断層がありますが、よくみえません。中央構造線を超えると、川井の断層で見られるのと同じに、下仁田層の砂岩がみられます。というわけで、断層を直接みるのは難しいです。                     

岩山付近
  鏑川の河原へ降りると、下流方向(北方向、ここでは川が北方向に向いている)へ向かって、
   青岩から続く緑色片岩(三波川結晶片岩)  赤褐色の礫岩(神農原礫岩)と、石が変化  します。境目が中央構造線。


かつてはここでも断層面が見えたそうですが、川の流れの変化で埋まってしまいました。ですから、今、断層面はみえません。流れの作用で,またいつか、
断層面が河床にあらわれるかもしれませんね。

 右図が岩山付近の地図です。岩山と書いて
 ある付近から,河原におりて、観察できます。


    さらに東に行くと・・・

   中央構造線は馬山付近で北にずれています。そのあと、さらに東に続きます(下図)。
    
赤い線が中央構造線が通ると考えられるところ


上の図の矢印の場所では、中央構造線の北側と南側の岩石が、すぐ近くで見られます。
  ただし、残念ながら、川井の断層のように、接してはいません。 
 
  下に 地質のようすの図を加えます。青い部分は三波川結晶片岩の分布する地域                                     黄色はナップ・クリッペの場所




右図で見るように、中央構造線を境に、大まかにいえば
      南側には波川結晶片岩        (図の青色)がみられ、
      北側には第三紀層の富岡層群
    の砂岩や泥岩が分布します。

ただし、下仁田付近はとても複雑で、もっとさまざまな地層・岩石が分布しているのです。
  
 中央構造線の南側には、三波川結晶片岩(青岩の石)だけでなく、クリッペを作る跡倉層の砂岩や泥岩、石英閃緑岩、ホルンフェルスが見られます。
一方、北側には、平滑花こう岩、ちょっと変わった礫岩の神農原礫岩、下仁田層の砂岩、蛇井層の泥岩などといった、さまざまな地層・岩石が見られます。
   専門家は「領家帯の岩石が見えている」といいます。

幾つかの場所の様子を紹介します。
 
大塩胡
湖岸の岩石に黒ずんだ部分がみられますが、これは、たぶん断層部分にあたります。
大塩湖は農業用に掘られた貯水池で、その工事の折、湖底になる部分が黒く見えていたそうです。断層部分だったのではないでしょうか。
貯水池の周囲ほとんどは粗粒の砂で、第三紀層の富岡層群小幡層になります。小幡層は中央構造線の北側に分布する地層です。


長厳寺裏山  観光用に公開されている楽山園の近くです
お寺の裏山に、高さ8m砂岩の崖(富岡層群牛伏層)があります。この崖いっぱいに大きな仏様の顔がきざまれています(磨崖仏)。この崖の下の方をよく見ると、ツルツルの鏡肌になっている部分や、右下がりの筋(条線)がみられます。崖の面が断層面だった!

寺から少し離れた川の底には、三波川結晶片岩が現れています。というわけで、磨崖仏の刻まれた砂岩と、川で見られる結晶片岩の間に、中央構造線が通っていることになります。



牛伏(うしぶせ)砂岩の崖に刻まれた磨崖仏
     (黒い線は木の影です)

この崖は断層面!
     
     下の写真は鏡肌と条線。








ここから左手に、裏山に登る道があります。その道沿いにも、これらの断層面が広く残されています。

右写真は道沿いに残る、断層の面と断層のすり傷・条線。 (木の影が映って見えにくい写真で
すみません。条線は左真ん中付近から右下がりにみえています)



牛伏砂岩は第三紀層の富岡層群のなかで一番古い時代に海に積もった地層で、約1600万年よりもう少し古い地層です。
中央構造線の北側に分布する地層です


寺のすぐ近くの川底には、三波川結晶片岩が露出しています。中央構造線の南側に分布する岩石です。
 橋の下に見えています










 

クリッペの話の時、「クリッペは低角断層の上にのっている」という説明をしました。そこで、水平に近い
彽角度の断層の上に、クリッペの山がのっている断面図を描きました。
では、中央構造線は、,どんな向きの断層?断面図を描いてもらえませんか・・・といわれそう・・・

下仁田の中央構造線・「川井の断層」をみると、垂直方向の断層が見えます。
  だったら、垂直方向(高角度)の断層?・・・・そうは簡単にいえないようです・・・・断層面は北に傾いているのではと推測されているようですが・・・
  それに、断層は1回動いて地面が切れただけでなく、何度も活動するものです。しかも,中央構造線の活動の歴史は長い・・・。低角と高角の断層両方があるということだって考えられる・・・

というわけで、断面図,難しそう・・・・・私にはちょっと理解できていません。
   ここでは断面図は「なし」にします。これからも,多くの研究の進展することを期待しています。


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中央構造線は活断層なの?

西日本地域では明らかに活断層です。
今、原子力発電所の立地について、活断層が大問題になっています。四国の伊方原発は佐田岬半島にありますが、中央構造線は佐田岬半島の沖合をとおっているのです。建設のための調査当時から,このことは指摘されていたはずなのです。

下仁田では、ほとんど動いていないといわれますが・・・さて、どうなのでしょうか。
いや、うごいた跡がある、という人もいます。


中央構造線の起源や歴史・・・・・  

こういった大きな話、長い歴史を持つ、たくさんの方々の多くの研究のなされている話については、まったく私の手に余る内容なのです・・・・         
 よく知らない話なので,困っていますが,とりあえず・・・HP等で見たものを、ちょっとだけのせてみ ます・・。
  詳しい方、今の研究の最前線を知る方に,語っていただきたい,などと希望しているところです。

 中生代白亜紀(恐竜のいた時代です)に動き始めたという、古くからの断層です。
横ずれの卓越した動きで長期にわたってずれ続けたため、数百km(最大2000kmという人もいる)の
ずれになったといわれ、そのため、この断層をはさんで、まったく違った種類の地層が接することにな
ったといいます。
活動が活発だったり不活発だったりと、いろいろな時代に異なる動きをくり返し、そのたびにずれ動く向きや早さが変わったようです。
最初は左横ずれ運動をしていましたが、最近の時代(第四期後期)には右横ずれに動いているといいます。現在でも紀伊半島から九州にかけては明らかに活断層となっています。
断層は九州から関東まで、1000kmを越えて続きます。
  歴史も規模も、半端じゃない!!

この断層、日本列島を形づくるのに大きく関わった動きなのでしょうね。
こんな大地の大変動の跡の一端を,下仁田で身近に見ることができるというわけです。



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大塩湖    話がちょっと長くなりましたが・・・・・

この貯水池は南牧川からトンネルで水を運び、さらにトンネルで藤岡の竹沼へ水を送っています。今は農業用というより上水道水源として使っているそうです。

2008年にここを訪ねた時、水辺の岩に,黒い貝がかたまりになってびっしり付いているのを見ました。海にいるイガイのようなイメージ。スペインの炊き込みご飯・パエリアなどに使うムール貝のような形の貝・・・こんな所にイガイがいるわけないし,何だろう?と思いました。
家に帰って調べてわかったのは、「カワヒバリガイ」という貝だということ。
じつはこの貝、大問題の貝なのです。困りものの外来生物「特定外来生物」に指定されているのです。水路・水道管に入ると増殖で詰まらせてしまい、深刻な被害を引き起こす貝。水道局だったら、この貝が入ったと聞いたら,衝撃が走るのではないでしょうか。
魚類にも被害を与え、生態系を乱す生き物・・・大塩胡では2005年に確認されていたそうで、これは全国でも最も早いほうになります。

大塩胡では、藻類の増殖で困り、さらに「カワヒバリガイ」の発生という大問題がおきているというわけなのです。
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3月  春が来る !

   2月はずっと雪に振り回されていた気分
    この冬は12月から寒い日が続いていました。    春が待ち遠しい 
         天気予報ではまだ雪マークのでる寒さですが・・

     川辺のヤナギはどうなっていますか。   
     絵:小林生子さん


やはらかに 柳あをめる北上の
岸辺目に見ゆ  泣けとごとくに        啄木

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

昨年の夏はとりわけ暑かった。夏は暑く,冬は寒く、春と秋が短い・・・・・そんな印象を持ってしまう。気候変動が激しくなったら、たいへんなこと。


我が家から2kmほどの所のトマトの大きなビニールハウス、
1000坪の面積だそうです。ご夫婦2人で手入れをしていたといいますが、雪でつぶれました。72歳のご主人、体の動くかぎりはたらきたかったけれど、あきらめると。淡々とハウスの撤去をはじめていました。今年中いっぱいかかるかな、と。
その近くの,脱サラしてナスの栽培をはじめた若い夫婦のハウスもつぶれていました



食料を作るという基本的・大切な営みをなさっている皆さんが
これからも、張りのある生活をおくれますように。



   

2014年2月23日日曜日

大地の大きな構造 その1 くりっペ


    クリッペ(根なし山)

下仁田の地質案内といえば、もう、第一にあげられるのがこれ ・・・・・「根なし山」・・・・
   下仁田ジオパークの「目玉」でしょうか。

とはいえ、「きれいな花」のように、「見ればだれもがイイナと感じる」というものではないところが、観光資源というには、相当の工夫を求められそう・・・ 
  頭の中で想像力をはたらかせると、やっと「すごいことだなあ・・・・」と・・・。
というわけで、少し解説をします。    (なお、図はことわりのあるもの以外すべて下仁田自然学校作成)



  青岩公園の岩の上に立って周囲を見渡した時、川の南側にポコポコといくつも見られる小さな山々の起伏は、じつは多くが根なし山です。
  雨もようの日、この山々に霧がかかり、墨絵の世界のような幽玄な姿がみられました。下仁田町役場から見た景色でした。写真に撮っておけばよかった・・・今頃思っているところです 。
  北側にも同じような高さの小さな山々がありますが,これは根なし山ではありません。まったく違った誕生のドラマを語る山々なのです。
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 下仁田ではどこか別の場所からやってきた岩体(黄色の部分)が、青岩の石(緑色片岩)や秩父帯の岩石の上に乗っています。 下の図のイメージです。


の下仁田の南方向から町のほうを見た図
 青色でぬった下の地層との境目は断層(赤い線)で、これを境に,黄色い部分が、どこからか動いてきたことになります。
 この断層部分を「すべり面」などとも言っています。ツルッと簡単に滑ってきたわけじゃないでしょうが・・・・

下仁田自然史館の入り口すぐ近くのジオサイト・有名な青倉の断層は、この低角断層を見ていることになります。下の写真です。


この写真で、人の頭の上付近、左から右上方向に走っている割れ目のように見えるところが,低角断層です。
              写真:下仁田自然史館



クリッペの山々

下仁田市街地の南にはクリッペの山々が連なっています。
下図は北から南方向を見た図で、薄い黄色の部分がクリッペ群です。

これがいったい、どこからやってきたか・・・・わかっていないのです。

下図の赤い線は中央構造線です。大断層ですが、クリッペをのせている断層とは別のものです(上図と同じ赤い線で書いてありますが、違うものです)。     
              下仁田自然誌館は大崩山の右下付近です。

たまには、クリッペが削りとられて穴があいたようになり、断層の下の石が顔をのぞかせることがあります
  (左図)。
この現象が下仁田自然史館のすぐわきでも見られます。青倉川の川に沿って、クリッペを作る砂岩層の下に、下の地層、左図の緑色で示した緑色片岩がちらっと見えています。
こんな現象を、フェンスターといいます。(最近はウィンドウとよぶことが多いようです)
このフェンスターの場所で、ぼんやり川沿いの石を見ただけでは、「違う石があるなあ」という程度にしか感じませんが、きちんと説明を聞くと、「ヘエー、そうだったんだ」と思えるものです。

クリッペといい、フェンスター(ウィンドウ)といい、丹念に山を歩いて地質調査をして、はじめてわかるものです。交通事情の悪い時代、こうした場所をじつに丹念に歩かれ詳しく記録された先人の苦労がしのばれます。
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下仁田のクリッペを最初に見つけたのは藤本治義氏で、1942年に講演会で発表しています。「跡倉おしかぶせ」とよんでいたようです。戦中戦後の印刷事情のため、印刷公表は1953年になりましたが。


ところで、下仁田には古くから地質案内の看板が立てられていたということです。写真に残っています。この写真がいつ撮られたのかははっきりしませんが、下仁田自然学校運営顧問の細矢さんは、1953年にはこの案内板を見ているそうです。

ジオパーク認定には、地域の自然の解説板のあることも条件になっています。下仁田は、はるか昔からそんな取り組みがされていた地域だったわけです。
  なお、この古い案内板は現存しません。

     解説文を読むと、跡倉層が「青倉礫岩層」になっています。間違いなのか,当時はそう       言っていたのか?  つくったのは「下仁田観光協会」とありますね。
            
     写真は みやま文庫 1967年 自然の歴史 より


現在の解説板


現在、下仁田ジオパーク地域には10基の立派なつくりの地質解説板があります。2000年~2001年に、県の補助金などをうけ、下仁田町と
下仁田自然学校が協力してつくりました。地質見学に来た地質に関心を持つ人、学生の方々に役立つように、という目的でした。
まだ、ジオパークといったものは、提唱さえされていない頃の話でした。

ジオパークの活動に伴い、解説内容をより幅広い人向けの内容に変更することになり、現在、ジオパーク推進室により取り組まれています。


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クリッぺをつくる岩石

クリッペをつくる岩石で一番多いのは跡倉層の泥岩・砂岩・礫岩です。下図の黄緑部分になります。
ほかに、古い時代の石英閃緑岩(赤・オレンジ部分)と、石英閃緑岩が入り込んだ時に周囲の泥岩が熱で変化してできたホルンフェルス(紫部分)があります。


下仁田町から南方向に見えるクリッペのスケッチ   色の付いたところがクリッペ



それにしても、こんな岩のかたまりが,どこからかズリ動いてくるというのは、想像をこえます。
どんな力がはたらいたのか?どれくらいの時間をかけて動いていたのか?
地球にはたらく力・・・・簡単に想像できるものではないですね。


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ところで、別の場所から動いてきた地層・岩石のかたまりが、一つ一つの山になっている場合をクリッペとよびますが、大きな塊状ではナップ(デッケ)とよびます。(デッケはドイツ語、ナップは英語かなあ・・)。専門家の話にはしばしば出てきますので、ちょっと解説を。こういう用語名は,解説してもらわないと何のことかわかりませんので。高校地学教科書の図をのせてみます。

下の図のaのようにぐっと曲がった地層が、さらに押されて一部が切れ、別の場所まで動いて行ってしまう(bのように)・・・動いていった境目は断層として残されます。
  この図では断層の上と下の地層が同じ種類のもので描かれていますが、下仁田では断層
  の上は跡倉層の砂岩や泥岩、下は青岩の石(緑色片岩)で、まったく異なる岩石にな
  っています。
右の図の「衝上断層(しょうじょうだんそう)」が、クリッペをのせている低角断層にあたります。
                                        図: 第一学習社・高校地学教科書より


衝上断層の上の部分のことをナップとよびます。ナップは遠くからやってきた岩のかたまりかもしれない・・・・。こんな構造を,このブログに前回のせた図では 「押し被かぶせ構造」とよんでいました。藤本治義さんが使った言葉がこれです。


このナップが削られ、ポコポコと別々の山の形になったものをクリッペとよびます。

                                       
他の場所にも,ナップ・クリッペはあるの?

下の図の黄色い部分はクリッペ・ナップです。埼玉県小川町のほうまであるんだ・・
こんな中で、下仁田のクリッペは日本の地質100選に選ばれています。
どんな地層でできているのでしょうか。
神流湖のわきにある神山クリッペは跡倉層からできています.
小川町には石英閃緑岩が分布し、石英閃緑岩の研究をしている方は、下仁田のものと岩石学的特徴が一致すると述べています。ホルンフェルスも分布します。
下仁田だけでなく,もっと広い範囲での出来事が想像されてきます。







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ナップのような構造は,じつはヨーロッパアルプスなどで大規模に見られるといいます。そういった図を載せますので,ご参考に。ナップという言葉で説明されています。
  見ただけではあまりよくわかりませんが、雰囲気を感じられるかも。
第一学習社 地学教科書より

次の図もヨーロッパアルプスの構造。アルプスの山々は、とにかく、たくさんの褶曲と断層の組み合わせで、できている!

          東京書籍地学教科書より

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関東地方に2月14日金曜日から15日にかけてから降り続いた雪、大変な被害!!
  当日家に帰れなかったり,車を放置せざるを得なくなったり、雪道を長時間歩いたり・・・

下仁田も麻痺状態だったようです。孤立世帯も・・・。「あそこの集落はどうかな・・・」と、地質見学で訪れた場所が頭に浮かぶ・・平原(へばら)、七久保・・・・
学校は授業ができず、再開は24日月曜日からだそうです。

春の花のシーズンに,何となくドライブした場所も思いおこされます。三波川結晶片岩の地域を流れる鮎川に沿って、なにやら上る道があるので行って見たら,相当登った上に、手入れのされたハナモモなどが美しく咲き乱れる集落があり、びっくりしました。奈良山といいました。周囲の山々をみわたせ、気分もよくなる・・・でも、毎日の卵や牛乳はどうするのか、とか思ってしまう・・・あそこも孤立しているのでは・・さらに進むと、「名無村」などと言う集落があったり・・(この文字を見て,びっくりしました。「ななしむら」ではなく、「ななむら」と読むそうです。ちゃんと2万五千分の1の地図に載っています)。家があったかなあ、と、記憶が薄れているのですが、名前からして辺境の地で、いかにも孤立しそう・・
他にも、春には花の咲き誇る、山奥の桃源郷の趣の集落が思い浮かびます・・どこも、雪に閉じ込められたのでは・・・


ビニールハウスの被害は,本当に痛ましい・・農業をおこなっている方には高齢の方も多く、野菜作りをやめると言っている方がたくさんいると聞きます。ビニールハウスを再建するには相当高額の資金が必要なのです・・・つぶれたハウスのパイプて撤去だけでも、手に余るほどの作業です。規模の大きなハウスは,かなりの借金をしての建設だったことでしょう。
下は、玉村町の農業用ハウスの様子です。

バラのハウス・相当高額の投資をされているはずです
被害に遭われた皆様の、少しでも重荷の軽減がなされることを願ってやみません。


つぶれたハウスの下にはイチゴが・


キュウリが凍っています


雪国からしたら,普通にある程度の雪・・・でも、備えがないということは、こんなことになるわけです・・・


毎日を安全快適に過ごしているのは、きちんとしたシステムと多くの人の力のおかげと、つくづく思った雪の被害でした。