2017年10月20日金曜日

雨続き・・秋の訪れも、味わう暇がない・・

秋なのだけれど・・・
  10月なのに・・雨ばかり

10月といえば空高く青空の広がるイメージなのですが、今年はちがう・・・雨、雨・・
紅葉を見る間もないまま。10月も半ば過ぎなのですけど。

なんだかご存知?
というわけで、紅葉を見るのもいつになるのかわからないので、今頃見られそうな秋の気配を、ちょっとお届け。
少し前の みなかみ町のものですが。

 左は虫こぶ。ちょっとした山なら、よく見かけますよ。切り株の上に置いたら、素敵でした。(ピントが合っていないのがお恥ずかしい。
シャッター押すだけでなく、ちゃんと勉強練習しなければと思うのですが・・・)

 虫こぶには、ぞくっとするような、あまり気持ちよく見えないものも多いのですが、これは透き通たようなほんのり赤い色も素敵です。何の虫こぶかって?  
  似た写真は見ますが、よくわかりません。

左の写真のように、葉について見つかります。




右の写真のもの、青や紫、白の玉、都会の公園脇などでも見かけるのでは。
ノブドウです。ちょっと一輪挿しに、いかが。
色がついたのは虫こぶだという人もいますが、いやちがうという人もいて、本当のところ、よくわからないようです。



☜いくつわかりますか?

先ほどの虫こぶ、ノブドウ、
山ぶどう(黒)、山の栗、
黄色く丸いのはマメ柿 昔は柿渋を取るのに使ったとか(防腐,防水などに使用)
山里には大きな木も見かけました。
私が今まで見たのは、盆栽に仕立てたものばかりでした。たまたま山道のわきに、大きな木がありました。そのすぐあと、公園に植えられているのも見つけました。)


 左下は言わずと知れた柿。小さいものがたわわに。少し寒い地域ですから、渋柿でしょう。里山風景の定番という気がします。
 


道端にはチカシバが水滴を付けていました。少し日差しがあれば、水滴が輝いていたでしょう。


(紹介文書いてから、以前にも書いたこと思い出しました。そちらの方がいいので、ちょっと変えて、再度、それを載せます)

子供のころ、夏休みが終わって学校へのあぜ道を歩くと、このチカラシバが生い茂っていました。
素足に触るとむずがゆく、ちょっと嫌でした。紫がかった穂はブラシのよう。踏まれても平気、それどころが、固い土にはえ、引き抜こうったって引き抜けない。力いっぱい引いたって引き抜けないから”力芝”。道端のに、人の踏むようなところにはえるので、別名ミチシバ。
 このいかにも生命力のありそうな草が、繊細に美しく見えるときがありました。細かな水滴が大きな穂をおおい、輝くときに。いくつもいくつも群れてはえるチカラシバに水滴がきらきら輝く姿は本当に美しく、同じように水滴に輝くクモの巣とともに心に浮かびます。あの水滴は雨のしずくだったのだろうかと思い浮かべながら、ふと気づきました。雨のこともあったろうけど、でも、朝露だったのではと。

白露(はくろ)という言葉があります。暦の言葉の一つです。

   白露に風の吹きしく秋の野は 
        つらぬきとめぬ たまぞ散りける     小倉百人一首

 今年の白露は9月7日。なんだかまだ暑くて・・・秋の気配あるかなあ?
でも、夏の中にも秋の気配が感じられ,露をむすびはじめるということ・・
 寒露という言葉もあります。今年は10月8日(あるいは8日から22日)。朝露が一段と冷たく感じるころ、露もびっしりつきます。
 「露は秋のもの」と人々は感じたのですね。
 露を感じた人々の感性を美しいと思います。でも、今年は雨にたたられて終わるかも。
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 ところで、群馬県庁近くの水路にあったバイカモがほとんどなくなっていました。花も見えませんでした。とても残念。探せばあちこちあるのかも。
みなかみにあるバイカモもなんだか元気がない…
10月の今になって元気になって、花まで咲いていました。よかった。
いつもは8月とかに花を見るのですが、10月初旬という遅い時期にも花が咲くのですね。
バイカモ きれいな水に育ちます

イモリ 最近見かけなくなった場所で発見。よかった!
 イモリもいました。みなかみには結構いる、といわれました。
レッドデータに登録された生き物、どうぞいつまでも元気で。

エリマキツチグリ かな?
         キノコも、もちろんあります。ちょっとかわいいキノコを。押すと、真ん中の穴からホコリが、いえ、胞子が飛び出します。乾くとまわりの花びらのような所がくるっと内側に巻いてきます。
 普通のツチグリは周りの皮のようなところに模様があり、形も尖っています。ちょっと違うなと写真で見比べ。これはエリマキツチグリというもののようです。




その他、秋の山で見かけたものを。      
トリカブト いわずと知れた猛毒植物


なんといっても多いのはこれ、ミヤマガマズミ
たくさんあって、とても目立ちました

赤い実がぶら下がるこんな仲間も多い。いくつかの種類が
見られました。これはツリバナ
ダイモンジソウ 
水辺の滴る岩にまだ咲いていました。

リンドウ 道端にあちこち咲いていていました
きれいですねえ
ホツツジ 
花はふつうもっと早い時期に見られます
センブリ  薬草になります。苦~い薬草。
                       
これが足元にビッシリだと、とてもすてき
ツルアリドオシ


セキヤノアキチョウジ 写真がよくないけれど、
素敵な色合いの素敵な花です。
マムシグサの実
ちょっと不気味な雰囲気も・・


というわけで、ちょっと目をむけると、小さな花や実の世界が見えてきます。
これから紅葉の季節、楽しみたいですね。      
10月8日の三国トンネル付近です




2017年10月13日金曜日

ジオパークの見どころも、簡単に破壊?阿蘇ジオパークで

自然遺産は邪魔なもの?

 日付を見たら9月22日ですので、すこし前のものになりますが、こんな投書がありました。朝日新聞の「声」の欄です。

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以下は毎日新聞の記事です。
◆2017年9月16日 毎日新聞
 <阿蘇・立野峡谷>別の柱状節理「破壊予定」 ダム建設でー
 世界ジオパークに指定されている熊本県・阿蘇の立野峡谷の柱状節理(ちゅうじょうせつり)が国の復興工事で破壊された問題で、峡谷内にある別の柱状節理も国が進めるダム建設で数年後にほとんどが削り取られる予定であることが分かった。
 破壊された柱状節理は白川の支流、黒川に架かり、熊本地震で崩落した阿蘇大橋の600メートル下流の右岸にあった。この現場の約1キロ下流の白川右岸にも高さ約60メートル、幅約300メートルにわたって溶岩が柱状に縦に割れた柱状節理がある。板状に横に割れた「板状節理」と交互に重なっている。
 この場所は国が進める立野ダム(同県南阿蘇村、大津町)の建設予定地で、国土交通省九州地方整備局(九地整)が設置した有識者会議「熊本地震後の立野ダム建設に係る技術委員会」に国が示した資料によると、本体工事に伴い幅約200メートル、高さ約90メートル、厚さ最大約40メートルにわたって削りコンクリートで固める予定になっている。
 破壊されたものとダム予定地の柱状節理は立野峡谷内でも特に規模が大きい。
 阿蘇ジオパークガイド協会員の中島一美さん(69)は「破壊されるのは非常に残念」と語る。九地整立野ダム工事事務所は「柱状節理の掘削を最小限にするなど十分配慮する」としている。【福岡賢正、中里顕】

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写真がないとイメージがわかないので、写真の載っている市民団体のチラシを以下に載せます。立派な柱状節理が見えます。


個人の方の言葉も(小口さん)

阿蘇カルデラ西部の立野峡谷にあり世界ジオパークの見所だった柱状節理が土木工事で破壊された。昔この地域を調査した際に撮った二枚の写真。破壊された溶岩は数万年前のもので、板状節理を持つ新しい溶岩に覆われる。 より古いラフな柱状節理を持つ溶岩もあり、鮎返ノ滝が懸かる。多様な溶岩の展示場。(写真は1つ省きました)


これらの資料は、八ッ場あしたの会のHPから引用させていただきました。
八ッ場あしたの会 http://yamba-net.org/  
トップページの事務局だより欄には、立野ダムについての項目もアップされています。

希少な生き物が見つかったりすると、「開発の邪魔になる」とされてきたものです。
地質についても同じことが起こっている・・・

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浅間山麓はジオパークに認定されてます。よく見れば、浅間山からはずっと東になる八ッ場ダムのある地域も範囲に入っています。長野原町の範囲になります。

”上毛カルタに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と読まれ、群馬でも、もっとも美しい紅葉スポットの1つ。”と、ツイッターで書いている方がいました。
  上毛カルタは、群馬県で育った人ならほとんどの方が知っているという、よく知られたものです。
でも、その吾妻峡には今、ダム建設工事が進行中。
国は、「吾妻渓谷の最もいい場所はちゃんと残しています」といいますが、まさに地質・地形の見どころの場所を壊していて、そこがジオパーク登録されるというのも、なんだかブラックユ-モアのよう。  
 ここは観光としても、JR旧川原湯温泉駅から簡単に歩いていけた距離で、駅のすぐ近くには、温泉もあるという好条件だったのですが、以前のような観光好条件は、もう、望むべくもないでしょう・・・
 下仁田ジオパークは、こういった問題には、今のところ縁がないようで、よかったですね。
 天然記念物の岩脈もあったのですが、やがて水没地域する予定。もう、立ち入り禁止ですので、見られません。以下は、その天然記念物の案内板の写真。




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 現在は、水没予定地域の発掘調査が進行中。膨大な遺跡が発見されています。
天明3年の浅間噴火の時の江戸時代遺跡があり、その下からは、これもたくさんの縄文遺跡が発見されてます。この地域は縄文遺跡のとても多い地域なのです。
でも何が見つかっているのか、まったく報道がない・・・
 普通なら、新聞報道され、説明・観察会が開かれ、たくさんの人が押し寄せるでしょうに・・・見学を申し入れても、断られました・・・
   この遺跡については、以前に紹介しました。

  今しか見られない・・・ダム工事? いえ、ダムに沈む遺跡群

あしたの会のツイッターから引用します。
八ッ場ダム水没予定地の東宮遺跡。現在、群馬県が江戸時代の天明浅間災害遺跡の下に広がる縄文遺跡の調査を進めている。
列石遺構、土器など貴重な歴史遺産が出土しているというが、国交省による立ち入り禁止で遺跡の全貌は不明。

県議会でも、そのことについての質問がされています。

群馬県議会における県の答弁ー東宮遺跡を立ち入り禁止にしているのは、工事車両が走る工事現場で危険だからと国交省が説明している。 現場を知れば、この説明で納得する人はいまい。これまでも住民の居住地を工事車両が走り回ってきた。
 「立ち入り禁止は、よほど貴重なものが出ているから」と住民。

 
頭が痛くなるような話ばかりです。
とにかく、何も見せたくない…見せるのは、ダム工事現場の「技術がすごいでしょう!!」という話ばかりのようです。


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 こんな記事が紹介されていました。

ワシントンポスト紙は、米国のジンキ内務長官が過去の大統領が定めた自然公園や国定公園10カ所でその指定範囲を変更することをトランプ大統領に提案したと報じた。これらの場所は、聖地、川、森、砂漠、海などの保護地域。
今回は、指定から外し、石油やガス、鉱山開発、漁業を行う目的がある。

やっぱり、金もうけ の世界が優勢なんでしょうか。

いや、人類はそんなのばかりじゃない、と言いたいです。












2017年10月3日火曜日

ワンカップで雨量計、防災は自分たちの手でも

「自分で雨量を調べると、
   雨の降り方が感覚でわかるんですよ」

NHKの番組で、下仁田町にお住いの方の防災への取り組みが紹介されたと聞きました。
自分の手で雨量を計って、防災に役立てようというのです。
 テレビ番組は見なかったのですが、お話をうかがう機会を得ました。

これが雨量計   お酒のワンカップの廃品利用です。目盛りを張り付けていますね
     
カップにたまった雨の量を記録します。
1つは一日の雨の量、もう1つは大雨の時の1回分の雨の量を測るのだそうです。
 なんと2011年の5月からず~っと測っているとのこと!

 きっかけは、防災の取り組みに、お住まいの下仁田町川井地区が参加することになったこと。
2010年の秋に、群馬大学の片田先生の講演があり、同じく群馬大学の金井先生から、どんなことをやったらいいかを教わったとのこと。(片田教授については、2011年の東北の大津波の時、指導していた釜石の子供たちが、片田教授から教わったように行動して助かったことで、お名前を憶えていらっしゃる方も多いかと思います。釜石の奇跡などと言われたりしました。)

 どういう災害があるかと聞かれたので、「土砂崩れがある」と答えたら、「雨量計が必要だね。測る道具はワンカップがあれば大丈夫」と。そして自作の雨量計で、2011年5月からずっと、今は2017年秋ですから、6年以上測り続けているというのです!!

 ワンカップは、家の裏の手作り棚の上、石で作ったテーブルの上にあります。この記録を取っていらっしゃる市川さんは、本業が石屋さん。石の残り物のきれっぱしも使ったというわけですね。
 やってみて、降水量何ミリというのがどんな雨か実感して、わかるようになったとおっしゃっていました。すごいな。私、わからない。
 「何年も測るなんて、大変だったでしょう」
 「な~んも。朝ここにきて見るし、雨降ったときはちょっと見ればいいんだから」
   いえいえ、それがなかなかできるものじゃないんですよ」

資料を見せていただきました。





お年寄りからも話を聞いて、それも参考に、川井地区の防災マップも作成しています。
  
一部を拡大してみました

 地元の地形を細かく観察して、いろいろ書き込まれています。こういう記録は、住んでいる人でなくては作れないですよね。

 災害の記録も調べていらっしゃる。
1947年(昭和22年)のカスリン台風では、家が1軒流され、歩いていた人を含めて
5名がなくなっています。
昭和62年にも土石流が発生。
 古い資料も調べています。200年ほど前に土石流があったらしいのですが、古文書に「寛政3年(1791年)8月の大雨で2町歩余の被害を受けたが百姓家は無事だった」といった記録があるそうです。この記録なのでは。
近隣にある桑本地区では、1742年に70余の家が流され、死者50余名という記録もあるそうですから、土石流はおそろしいものです。

 こういった活動をしていると、「何かやっているみたいだから」と、昔の沢の名前が細かく書き込まれた古い地図を持ってきてくれる人がいたりと、活動も広がるといいます。

 防災活動を始めてすぐ、2011年の大地震がありました。停電がありましたね。計画停電で、大騒ぎした記憶があります。寒い頃で、暖房に困るお年寄りの家があるかもと、ペットボトルにお湯を入れて暖を取るようにと、民生委員と一緒にお年寄り宅をまわったそうです。ペットボトルには、熱いお湯を入れても大丈夫なものとダメなものがあるとかそんなこともいざという時には必要な知識。(そうだなあ)

 有名国立大学の先生が、「いちいち測らなくても、ドラム缶を使って雨量をはかればいい」と言ったそうです。レーザーを使って、反射を人工衛星に飛ばしてそれをパソコンに受けて記録するシステムとかいうことのようです。今、開発中のようです。でも
  「体験するのが大切なんで、こういう雨でこういう雨量と、
   やっていると体験でわかるんだよ。それが大切なんだよ」 同感!!
それに「災害の時は、だいいち、停電しちゃうかもしれないじゃないか。そうしたら、電気がこなけりゃ、測れやしない」  納得です。

 最新技術の利用も、自分たちでやることも、どちらも大切でしょう。まさに目の前で災害が起こりそうな時、自分たちで判断できるということは、大切です。

 自分の命は他人任せにしてはダメ。自分で考えて、やる。専門家はそこに適切にかかわるのが大切。そんなことを教えられたような気がしました。

 地域の防災委員は次々変わります。情報が受け継いでいかれる保証はありません。
「避難場所は小学校、これだけはみんなに覚えてもらうのが大事だよ。地区の集会所は危ないところにあるから」 地域の実際を知る方の言葉は、重みがあります。

ところで市川さん、本業は石屋さん。本業の様子を載せましょう。
この作業所の裏に、ワンカップが置いてあります。

防災なんて、考えたことなしで生きてきました。でも、最近は豪雨も増えています。
地震も活動期に入ったといわれています。
テレビの教育放送に「学ぼうBOSAI」という番組もあって、びっくりしたものです。
 自然災害の多い国・日本と言われています。ちょっと考えてみたいです。
市川さん、ありがとうございました。




2017年9月27日水曜日

石灰岩利用の工場見学 古い施設も残っています

下仁田自然学校鉱山研究会主催で
   下仁田町にある石灰の工場をみんなで訪ねました 
 
工場全景
訪問したのは白石工業㈱白艶華工場です。
石灰石を原料に、炭酸カルシウムを製造している工場です。

 この企画は白石工業の皆様のご理解とご協力により実現しました。ありがとうございました。参加くださった方は47名で、この皆様にも感謝です。

 町はずれにある、なんだかよくわからないそれほど大きくもない工場・・・・・?
 つくっているという炭酸カルシウムって何? などといった調子で、どうにも馴染みがない・・・
 それが、お話を聞いて「へえ~」という気分に変わったのです。さらに、昔の施設も残されていて、それを見るのも興味深いものでした。

 地元出身の方は「いつも見ていたのに、知らなかった」と。ここで働いていた方のお話もうかがい、懐かしむ地元の方々もいらっしゃいました。
 そんな声の一部は、以下のブログ、「ひとりごと~気の向くままに」に
 紹介されています。

 ここは1932年(昭和7年)操業開始といいますから、長い歴史を持つ工場です。斜面に立つ工場は、その背後の山と向かい側の石灰岩の山を崩し原料として利用してきたわけです。
 古い施設も残っています。炭酸カルシウムの粉を乾燥させるための建物など。
今と違って、昔は自然の力に任せる天日乾燥です。下仁田町の気候は乾燥に適していて、それがこの地に工場が立てられた理由のひとつです。まずは、その写真を紹介します。
      乾燥施設の前で、みんなで記念撮影 
         こんな建物が100棟を超えてあったということです。



奥にある木組みの見えている乾燥棚は老朽化で危険なため、
今年取り壊すとのこと。

昔は吹きさらしの木枠の棚に、木箱に入れたぬれた炭酸Ca(カルシウム)の粉の塊を、人の手で運び上げて乾燥させたわけです。重労働だったことでしょう。

こういった施設が今後保存されるかどうかもわかりませんので、写真をいくつか載せてみます。


トタンで囲った施設は、建物の下の部分は広々とした空間になっていました。内部が物置にでも使われたのでしょうか。

工場敷地の外に向かうと、石灰の岩壁が見えてきます。昔はこの山の下を通る道は石灰岩の岩が覆いかぶさっているようで、子供たちが「こわいから、さっさと通り過ぎよう」と言っていたそうです。


工場では石灰岩の山を発破で崩し、使いました。浅間山が小噴火をしていたころには、
「発破の音か、浅間の噴火の音か?」などと言いあった、そんな思い出もあるとか。参加者の方が話されていました。

 なお、工場の敷地は許可なく立ち入ること禁止です。
道路から、下のような乾燥棚の姿が見えます。


 現在稼行している工場内を案内していただきました。貯水池や脱水設備・乾燥設備など説明していただきました。
なお工場内は撮影禁止ですので写真はありません。

 外を見れば、かつて電力を得るために作った水力発電の跡なども見えます。興味のある人には「ワクワクする」ものでしょう。発電のための水の流れのあることも、この場所が工場立地に選ばれた理由の一つです。
建てるにあたり、製品運搬のできる鉄道があるなど、いくつもの条件を考えて、この場所を選定したとうかがっています。



 今回、最初に炭酸Caの説明や、ちょっとした実験をしていただいています。

 石灰といえばセメント、コンクリートが思いうかびますが、ここの製品はもっといろいろなものに使われているのにびっくり。
「生活に欠かせない、いつもお世話になっているモノじゃん」という投稿が、それを一言で表わしていますね。
一番みんなの印象に残ったのが、「食品に使われている」ということかもしれません。飲み物、ビスケット、カップラーメン・・・それから、以前伺った話では、グミにも、またカマボコのあの弾力を作るにも・・。他にも様々、タイヤのゴムを硬くするのに使われ、紙、インク、プラスチック、シーリング材等々・・・。知らなかったなあ。
 細粒の粒子を作る技術を持っていて、国内で生産を続けています。石灰岩は、今、国内で自給できる地下資源なのです。

ちょっと実験を ・ 炭酸カルシウムの性質を知ろう


昔、ここ青倉地区では家族の誰かが白石工業で働いていたと言えるほどだったとききます。

 ここで働いていた方、堀越明子さんのお話も伺いました。工場のすぐ前で生まれ育ち、昭和24年から37年までここで働かれたそうです。当時の写真も整理されてお持ちで、いくつかを資料として紹介させていただきました。
 工場には石灰の製造過程で発生する熱を利用したお風呂があり、いつでもお風呂にはいれたとか。従業員の方はもちろん、周囲の家の人たちも、顔パスで入っていたり。
旧青倉小学校に二宮金次郎像や書籍を寄贈したりと
地域貢献も
毎年従業員の慰安旅行があり、あちこち旅ができたり、春には下仁田のはねこし峡での桜見物が恒例だったりと、楽しい思い出もお持ちとのこと。おしゃれや旅行を楽しんだりもしたそうで,農家の女性など多くがモンペをまとっていた時代に、ハイカラな雰囲気を楽しむこともできたわけです。

 ご家族が働いていらしたという方からも発言があり、昔の写真を披露してくださる地元の方もいて、貴重なお話を聞くこともできました。工場主宰の運動会もあり、楽しみにしていたという方もおられました。

小沢岳 写真を撮らなかったので
以前の写真です。当日はよく晴れて、
青空で、もっと素敵に見えました



 下仁田自然史館からこの工場まで、2kmちょっとの距離は、正面に「群馬のマッターホルン」と呼ばれる小沢岳が見え、道脇にある石垣には植物も育ち、それを見ても楽しいものです。植物の研究者、里見哲夫氏のお話も聞くことができました。道沿いには青倉川が流れ、地元の方は「ここには水車がまわっていたんだよ」など、あれこれお話がありそうです。

よく晴れた日、多くの方々のご協力で、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。



 












2017年9月17日日曜日

わが町自慢もいいですね 鶏冠石など 

鶏冠石って何?」専門家からの紹介 
 
  
下仁田町の鶏冠石は「群馬県の石(鉱物部門)」として公式に選定されています。 
元の紙面
下仁田町の町の広報にとてもすてきな紹介がされていました。
お読みいただくと、鶏冠石のことがスッと頭に入ると思います。
印刷紙面をそのまま載せると文字が薄くて読みにくいので、横書きにして、以下に書いてみました。


世界に誇れる下仁田のお宝
 菅原久誠(群馬県立自然史博物館)・
  吉川和夫(群馬大学名誉教授)

 世界に誇れる下仁田のお宝といえば下仁田ネギのほかにいくつ思いつきますか?胸を張って世界の宝だといえるもの、それは大字南野牧にある西牧鉱山(にしのまきこうざん)の鶏冠石(けいかんせき)という石です。鶏冠石はヒ素とイオウでできていて、読んで字のごとく、鶏の真っ赤なトサカのような色をしています。
 鉱山というのは、私たちの生活に役立つ資源となる石を掘り出す場所です。西牧鉱山はもともと金鉱山で、その後にヒ素の鉱石を掘った鉱山ですが、県内の多くの鉱山と同様に、すでに閉山しています。残念と思いきや、鉱山跡地を訪れると、かつて鉱山がにぎやかだったころの作業所の跡や、石をとりだすために潜った坑口や鉱石を処理した跡などが残されています。これぞ産業遺産と言ってよいでしょう。賑やかだった頃は、重たい鉱石を運ぶためにトロッコも通っていたとのことです。
 今年、下仁田で発足した鉱山研究会の聞き取り調査で、当時西牧鉱山で働いていた小金澤正代さんにお話を伺うことができました(詳しくは、「くりっぺー下仁田自然学校だよりー」第。93号10~13ページをご覧ください)。小金澤さんによると、石を取り出すトンネルの奥に、幅30センチもの鶏冠石が見つかったことがあるそうです。鶏冠石はトンネルの奥で、たなびくきらびやかな帯のように赤く光っていたことでしょう。ついでに、西牧鉱山は、若林鉱という美しい黄金色の石が世界で最初に見つかった鉱山でもあります。そんな石たちが織りなす光景を想像すると下仁田町の西牧鉱山ってすごいな、としみじみ思うのです。
 実は昨年、日本全国からの一般投票と、石の専門家たちによる「県の石」の選考が行われ、西牧鉱山の鶏冠石が群馬県の石の一つとして選ばれました。これは、一般の人たちにとっても、専門家にとっても下仁田町の西牧鉱山の鶏冠石が「すごい!」と認められている証拠です。日本全国の県の石は、それぞれの県の専門家によって読みやすくまとめられて、1冊の本になる予定です。
 これだけ知ってしまったら実際に鶏冠石を見てみたいと思いませんか?少しだけ石の特徴をお話しすると、鶏冠石は光と湿気に弱い性質を持っています。つまり、展示することで光にあったっていると、きれいな赤色がだんだん失われてしまいます。それでも下仁田町の皆さんにぜひ下仁田のお宝を見ていただきたいと言うことで、青倉にある下仁田自然史館は鶏冠石を展示しています。これを機に、自然史館にお越しください。
鶏冠石

  下仁田の鉱山に関する情報をぜひ下仁田自然史館にお寄せください。
   ℡0274-70-3070

とてもありがたい紹介を書いていただきました。感謝です。
 
          
それぞれの地域、場所で
  「わが町のお宝」
を語るのも楽しいかも。
こんなふうに、楽しくわかりやすく
紹介できたら、もう、素敵です。

 そんなお宝なんかないよ、という声が聞こえてきそうですが、どこかのお墨付きをもらっている必要はなくて、自分たちで、価値を発見するつもりで周りを見回すことがいいことかと。

 NHK番組の「ブラタモリ」は地質を広めることに貢献していて、地理学会賞、地質学会賞を受賞していますが、自然や歴史を探してあちこち旅し、それぞれの地域で解説してくれる人がいて、見ていて楽しい番組が成り立っています。ほんのちょっとした坂や段差、道の曲がりが、突然意味を持って、きらきらと輝いてきます。それを解説する地元の人がいて、立派なわが町発掘になってもいると思いませんか。
 一人で見るのも楽しいけれど、誰かと一緒だと、また楽しい。一緒にうなずいたり、解説してくれる人がいることが、理解も感激もふかめるし、記憶にも残る・・・

 SNS発信大好きな現代っ子たち、「いいね」の数を競うばかりでなく、「価値をみつけてみよう」と頑張っても面白いかも。
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 鉱山は大地の財産、人は実に多種多様なものを見つけ出し、利用しています。最近は、レアメタルなどと言って、ハイテク産業に使われたりする、聞いたこともなかったもの達も多種あります。化学の時間に眺めた周期表の下の方に載っていた聞いたこともない元素達たちレアメタルが、たくさん見られます。 携帯電話などにもいろいろつかわれているといいますから、知らないうちに、その恩恵をうけているわけです。あらためて、地下の資源たちにも目を向けてみたくなります。
 石油、石炭から金、ダイヤモンドまで、古くから重要な資源とされた鉱物たちを見たとき、それならその富を大量に持っている国たちは、それを売って豊かに幸福になりそうだと思えば・・・たいてい、その逆に思えてきます。国民は貧しかったり、戦乱にさらされたり。石油産油国が国民が豊かで穏やかに暮らせるかというと、むしろ逆かも。ダイヤモンドだって掘り出す最下層の人たちは極貧で、一方で「血塗られたダイヤ」などと、闇の世界の暗躍を感じさせることもあります。
 人は、こんなにも様々な資源の利用法を見つけ出す賢さを持つのに、欲得が絡むと、どうしてこんなにも愚かなのかと思ってしまうほどです。そういった世界への関心も無視してはいけないでしょう。

 下仁田には複雑な地質があり、珍しい鉱物も産出します。こうした純粋な自然への関心とともに、そこに生きた方々もいたわけで、そういった面に関心を寄せてもいいのかも。人と大地のつながりがここにもあるわけです。
 ハイテクとは縁のない時代、そこで鉱山を掘った方々が、数としてはわずかとはいえ、今でもご健在でお話をお聞きできる、そんな今を、大切にしたいですね。
体験をお聞きしてそう思いました。 
 こうした方々は戦争を体験され、鉱山の厳しい労働も目にされています。どうぞお元気でお過ごしください。











  

2017年9月5日火曜日

いろいろな形の山  鹿岳 荒船山・・・いろいろあるね

 山の形   山の生い立ちを伝えることもあります

空気が軽やかになってきて、秋が近づいてきたことを感じます。
今までの空気は、なんだかねっとりと、肌にまとわりつくような感触がありました。
  遠くの山々が見えてきています。 

秋のハイキングシーズンも間近。そんな時に山の生い立ちなど考えるのも、ちょっといいかも。 久しぶりに、下仁田の紹介をします。

   下図は下仁田の山の紹介です。 
   標高は高くないけれど、面白い形の多い西上州の山々です。
 (図は貼り出し用に作ったので、ここに載せると、文字が少々小さめになってしまいました。ご容赦を)



高速道路を西に向かって走ると、写真の山々が見えてきます。とはいえ、運転中によそ見は厳禁。下仁田インターを降りた付近でも見えます。
 図の写真は、インター付近の丘陵から見たものです。写真は5月ですが、ここは下仁田ネギやこんにゃくのたくさん栽培されている丘陵です。

 荒船山は下仁田の町中では見えなくなってきますが、インター出口右手付近では見えています。我が家からもよく見え、幼い頃「屋根みたいな形だなあ」と思っていたものです。厚い硬い溶岩がこの地形を作っていたわけです。
 下仁田の町中に行くと、鹿岳の右手に見えるのは荒船山でなくて三角形の山です。右の写真です。落沢とよんでる山(名前が間違っていたら、教えてください!)。
貫入した玄武岩でできた山とのことです。登山ルートもなく、私もまったく知らない山です。町からはとてもよく目立つのですが・・・

 マグマが地下から上がってきた通り道・火道  これが固まってむき出しになって見えているのを岩頸(がんけい)と呼びます。それが鹿岳。写真の真ん中の二つのこぶです
宮沢賢治が、岩頸の説明を楽しく童話風に書いています。
以前書いた解説が以下にあります。
http://geoharumi.blogspot.jp/2013/09/1.html



下仁田の西部地域は、数百万年前(900万年前とか800万年前とか、もっとあとまで)には大規模な火山活動が繰り広げられていました。大規模な陥没がおこったりもしています。これらは陸上の噴火で、その名残が、こうして様々な形の山となって見えているのです。
              (気づいたら、数百万年前を数百年前と書いていました。すみません。)


 左手の四ツ又山は、下仁田の「クリッペ(根無し山)」の一つで、クリッペのなかでいちばん大きな山です。登山者が登る山で、気軽に行くというわけにはいかないかもしれません。四ツ又山から鹿岳を巡るコースもあります。いろいろな石からできていて、よくわからないなあ・・とにかく、どこからか移動してきた岩塊です。クリッペは、下仁田の地質を代表する現象です。
 下仁田自然史館では、10月から、四ツ又山を取り上げた企画展を開催します。

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 尖った山頂の小沢岳もハイカーの多い山かと思います。その姿から、下仁田のマッターホルンという人もいました。古い時代の地層からできた山で、山頂のチャートは深い海の底に積もったプランクトン(放散虫といいます)が固まってできた石です。ですからこの山は、火山ともマグマとも関係ありません。深い海の底が、今は山になっているんだあ・・と、考えてみれば、面白い世界。

 幼い頃、山というのはみんな火山が噴火してできたと思っていた・・・
 我が家からよく見える赤城山も榛名山も、みんな火山だったわけですから、無理もない。

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 車で移動する場合、下仁田道の駅に立ち寄ることも多いでしょう。
この場所の入り口には大きな「柱状節理」の「看板」が立てられています。
地質材料の豊富な下仁田らしくて、いいなと思います。




















 道の駅から見える 大桁山(おおげたやま)で採取したものです。山の形に特に特徴はありませんが、なだらかで、どっしりと、おおらかな感じの山が大桁山。マグマが地下から周囲の地層を押し上げてできた山。頂上には押し上げられた、昔の海に積もった砂岩や泥岩があります。その下には突き上げてきたマグマが固まってできた岩が見られ、そこでこの柱状節理が採取されました。骨材として利用されていました。
この柱は、操業していた会社から寄贈されたとのことです。

少し詳しく説明すると、頂上の砂岩・泥岩は 第三紀層の小幡層・井戸沢層、そこに火山岩体が貫入して押し上げたというものです。
 
採石場を遠方から見れば、写真のように 山が削られていますが、近づくと段々になっていて、それぞれに石が柱のようになっています。

下仁田町で廃校になった小学校2校の門柱もこの石を使っていたとのことです。
上の柱状節理写真は、掘り取った後に水が溜まっていた場所です。とてもきれいに見えました。
柱状節理の柱がたくさんありますが、現地は現在閉鎖されています。


柱状節理自体はあちこちで見られ、世界遺産になった荒船風穴周辺にもみかけました。
きれいなものというと限られるかもしれませんが、山に行ったときなど、ちょっと目をとめてみませんか。

遠くの山でも、近くの山でもいいので、その地形に思いを巡らせるというのはどうでしょう。

2017年8月27日日曜日

庭でも見られます、小さな野生の世界


 雨ばかりだった夏も終盤。
 夏の草たちの元気なこと。雑草との戦いには、毎年のことながら負けています・・

 お盆と、そのあとのパソコンの不調で、すっかりご無沙汰になってしまいました。
 網戸にくっついていたアブラゼミから、ツクツクホウシの声に変わる時期?…うーん、セミの声、聞いてないなあ。いえ、セミは鳴いていたかもしれないのに、まるっきり気づいていない・・・
 心にとめない、というのは、おそろしいものです。虫の声に耳をかた向けることもないわが身に、あらためて気づいたところです。
  でも、ツクツクホウシは特徴ある声なので、気づかないはずがないなあ。
セミの抜け殻調査の話を聞くこともあるのに 最近のセミ事情どうなっているのかもわからない。。。。

今どきの子供はカブトムシよりクワガタを好むという話、「お孫さんもその通り」と返信していただきました。そうなんだ・・・・

 というわけで、身近にいるはずの生き物について、もう一度、すこし報告を。


目の前の庭でも、野生の世界が垣間見られます。

 カマキリがトンボを捕まえていました。
そこらの草むらにもいる昆虫たちは、子供たちにとって、目に触れることの多い自然なのでは。アフリカの草原に行かなくても、あれこれ味わえる、大切な自然。
 クモが網にかかった虫を、あっという間に糸の束でぐるぐる巻きにした光景などもあったなあ

「いつでもどこでも 自然観察」・・・
これは小学校の先生をしながら、自然観察について熱心に報告している人の言葉。この題名の本も書いています。


 朝、ふと見上げた空にも、通勤途中の生け垣にも、どこにでも。奇麗な花、小さな昆虫は、そんな時の定番の登場メンバーでしょう。
 毎日忙しく働いていると、なかなかまわりのことに目がいかないもの。肩に力が入って、カリカリして。
そんな時、難しいことは言わず、お金もかけずに、誰でも自分なりに、心をゆったりできるかもしれません。

 戦場で書かれた手記に、砲弾の飛び交う中、ふっと目の前の地面に咲く小さな花を見つけて書いた文の紹介を読んだことがありました。地面に咲く小さな花は、こんな小さなものだけれど、誰が見てくれるわけでもないだろうに、花弁はきちんとそろい、めしべやおしべの細部に至るまで手抜きすることなく作られている・・・世界はそれぞれこんなに美しいのに、それさえ知らずに今自分は命を終えようとしている…ずいぶん昔に読んだものなのでよく覚えてはいないのですが、生きとし生けるものの命の価値を感じたであろうこの人、戦場で亡くなったこの方の思いが、心に残っていました。


 10年以上も前だったと思いますが、ビワの実るころ、庭のビワの木にアオダイショウがいて、なんと、ヒヨドリをぐるぐる巻きに。びっくり!!
ちょっとグロテスクだなと思いながら、でも写真を載せようと思ったら、アルバムが見当たらない・・整理整頓の悪さの証拠のようで、わが身を恥じてしまう・・・

 そこでみなかみ町の山すその沢沿いで見たものですが、アオダイショウがヤマカガシを捕まえている写真を。長い時間かけて飲み込んでいました。
これも、あまり見たいものとはいえないですけど。
 ヘビはどうも好きにはなれませんが、知人の庭先でカエルを飲み込んでいたときなど、あまり動かずに長い時間いましたね。

やっぱり昆虫くらいが見ていてもショックが少ないでしょうか。
でも、生き物と知り合いになって、一緒に生きていくことを学ぶには、こういった出会いも必要かも。
 



 空前の猫ブームとか。動物写真家の岩合さんの猫のTV番組なども、なんだかたのしい。
子供のころ、猫は、ネズミ退治に一役買う住人でした。もともとは、いやされるペットというより、ネズミ退治の住人だったわけ。
 養蚕農家の作りのわが家では、天井裏にはネズミもいました。猫はそのネズミを捕まえると、ご丁寧に,口にくわえて見せにくる。そして、じゃらして(人間から見たら、いたぶっているかのようにも見えてしまいますが)から食べるのです。なんとも・・

 今いる猫、家の中と外と、出たり入ったりする生活。最近は、猫は家の中で飼うようにと言われますが、到底そんなことする気になれないわけです。自由気ままに外を歩き、時折、獲物をくわえてきます。
 ハツカネズミなどはもちろんですが、普段ほとんど目にすることのないモグラを何度も捕まえてきています。どうやって捕まえるのか?あまり食べないようなのですが・・狩猟本能なのでしょうね。
モグラの前足をよく眺めてしまいました。実に頑丈で、穴掘りのために特化しているなあと思えます。








 他にもいろいろ捕まえてきたものです。写真はヒヨドリですが、スズメはもちろん、カラスまで捕まえてきたことがあります。
 元ノラ猫で、子猫のころ、追い払っても追い払っても台所に入り込んできて、ついに我が家の住人になった猫ですから、なおのことなのでしょうか。



これはジネズミ。ネズミではなくモグラの仲間です。
下半身が食べられていて、ちょっとどうかと思う写真ですが・・
 ネズミが次々しっぽを加えて列を作っているのを見たことがある、という人がいました.
これ、ジネズミのはず。外国の生き物で、キャラバン行動というのをテレビの番組で見たことはありましたが、身近に同じようなことをするいきものがいるのかと、びっくり。見てみたい!

 猫が庭で盛んにパンチしているので見たら、小さなヘビにちょっかいを出している。そういえばこの猫、ヒモが大好きで、ひもをゆらゆらさせると、10歳を超えた年齢になっていても、飛びついて遊びます。

カマキリの捕食の様子から始まったもので、つい、少々気持ち悪い写真になってしまったこと、ご容赦を。

気にも留めずにいると、いつの間にか身の回りの生物の様子も変わっていたりします。たくさんいたはずのものが見えなくなっていたり・・・どうぞ皆さん、身の回りの自然へ、目を向けてみてください。思いがけないことに気づくこともあります。
気づかぬうちに、消えていった生き物もたくさんいるわけですし、まわり中、外国からやってきた生き物に占領されていたりすることもある昨今です。
実に知識量が豊富な感じの小学生などをテレビで見ることがありますが、話しているのを聞くと、案外実物を見ていないことを感じたりします。
ウェブ情報ばかりでなく、自分の目で見て知ることは、決定的に重要です。
そこらの道端・草原と道草って、案外大切なのかも、などと思っているこの頃です。