2013年9月11日水曜日


はじめに  下仁田の大地の全体像を紹介します。

 
最初からやたら難しそうなこといっている,といわれそう。。。。たしかに・・・
パスしてもいいかも。
でも、何かを見るとき、細かいことばかり見ていると,何が何だかわからなくなるかも。
全体がわかると、なるほど!とわかることも。というわけで、役に立つこともあるのではと、最初に書きました。ご参考に。

下仁田は複雑な地質,いろいろな岩石など、難しそうなことがたくさんあります。
研究者の意見も様々あるというほど。

そこで 下仁田について、以下のようなことをちょっと頭に入れていたらどうでしょうか。
 ・さまざまな時代の,さまざまな地層・岩石が分布している地域。海の底だった時代の地層もあります。
 ・それぞれがしばしば断層で区切られ、なかには1000kmも続くという大断層があったり、断層の上にのって,どこからか大地の塊がやってきていたりという、大変動のあった地域
 ・今噴火している火山はないけれど、かつては大規模なマグマの活動もあった地域

他にも特徴があるかもしれません。以下の図と資料をご参考にしていただけましたら。

 

下仁田地域の地質は、いくつかのグループに分けられます。

下の図の色分けされたグループが、それぞれ違った歴史を持っています。

                        群馬の大地 上毛新聞社 より
 
それぞれの解説


    中央構造線(大北野―岩山断層)

日本で一番大きな断層です。九州から関東地方まで見られるというからすごい。
横に大きく動いた断層で、下仁田付近では、大北野―岩山断層とよばれる断層が中央構造線にあたります。さらに東、牛伏断層へと中央構造線はのびていきます。

1億年ほども昔から活動をはじめたのではといわれますが、最近動いた場所もあります(活断層・西日本に多く見られます)。
下仁田の町の真ん中を通っていて観察もできますが、よく見ると、西方の内山峠近くにも、ちらっと顔を見せています(上の図のさらに西の地域なので、上図には入っていません)。断層そのものは下仁田駅からすぐの場所にある諏訪神近くに、「川井の断層」としてはっきり観察できます。こんなによく見えるのは、関東地方ではここが一番、といわれています。

 

    クリッペ
どこからか横滑りしてきた大地の塊。滑った境目は水平に近い断層になっています。
その後、雨風で削られて山の形になりました。こまかくいうと、岩体が削られて独立した山になっている時はクリッペ、塊のままの場合をナップ(デッケ)とよびます。(用語の違いは、もとが英語だったりドイツ語だったりするため)。中央構造線の南側で見られます。
日本でこんな現象の見られる場所はめずらしく、日本の地質100選にえらばれています。
 

  下仁田構造帯
下仁田市街地の裏山では、狭い地域に、時代も種類も異なる、何種類もの地層や岩石が複雑に入り組んで分布しています(東西10km南北3kmの地域)。中央構造線の北側の分布になります。ほとんどの岩石は強い圧力で圧砕され、岩石をつくる鉱物の変質も進んでいて、過去の激しい地殻変動を示しています。最近は「構造帯」とよぶのをやめるという意見もあります。まだまだ分からないことがたくさんあるのです。
 
 
④本宿(もとじゅく)陥没
下仁田西部・荒船山から鹿(かな)(だけ)にかけての地域に、かつて直径10km、深さ数百mの大陥没が発生しました。950万年ほど前のことです。その後も再度陥没したりしていますが、現在は、当時の大量の火山の噴出物で埋めつくされています。ですから、陥没のあとは、へこんだ地形にはなっていません。やがて火山活動は北東方向に移動していきました。北東方向には妙義山もあります。
 

三波(さんば)(がわ)結晶片岩の分布地域
中央構造線に沿って南側に、三波川結晶片岩の仲間(青岩)が見られます。結晶片岩は九州から関東地方まで、中央構造線沿いに細く長く延々と分布するという岩石です。
きれいで、庭石としてよく知られています。

 

⑥秩父帯の岩石
古い時代の地層が分布する地域で、中央構造線の南側地域の分布です。
主に中生代にできた様々な岩石の中に、もっと古い時代・古生代にできた石灰岩などの大きな岩体が転がり込んでいるといわれます。砂や泥、チャート、昔の火山噴出物から少し変化してできた石など、様々なものが見られます。

 

 

⑦第三紀層と貫入火成岩
新しい時代の地層で、1600万年から1000万年ほど昔の海底に堆積した砂泥が広く広がり、現在は丘陵をつくっています。この地層の仲間は、富岡・高崎へと丘陵になって連なっていきます(高崎に分布する地層は800万年ほど前のもの)。海の生き物の化石もたくさん見つかっています。
大桁山(おおげたやま)日暮山(にっくらやま)御場山(おんばやま)など後から突き上げてきた(貫入した)火山活動でできた山も見られます

 

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上の図の原図は、下仁田自然学校の運営委員の人たちによってつくられました。

 

  

「群馬の大地」にある上の図の元になった図を左に載せます。

赤線が中央構造線です。

図の作成は細矢尚さん

 
このメンバーは鏑川団体研究会という地質調査のグループをつくり、長年にわたりこの地域の調査をおこなってきました

1 件のコメント:

  1. ブログ開設、おめでとうございます。
    私のブログにリンクさせていただきました。
    これからもよろしくお願いします。

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