2014年5月18日日曜日

下仁田の化石その6 放散虫 、 生きている化石


初夏の野道   話しかけてくるものが いっぱい たくさんあります





  花はハルジオン   明治の頃、北米からやってきた外来種ですが、すっかり日本の道端・空き地になじんでいます                                                         絵手紙 小林生子さん

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下仁田町のほたるやま公園では、オキナグサがつやつや光る綿毛を、5月の風に揺らしていました。

今にも飛んでいきそうな銀白色の綿毛も。釣り鐘のような形にうつむいた濃い赤紫色の花も見えています。
下仁田のすぐ近く、富岡の神成山(かんなりやま)付近ではオキナグサがたくさん植えられているそうです。
昔、この地域には野生のオキナグサがあったと聞きますが、今ではほとんど見られない・・・環境省レッドデータの絶滅危惧Ⅱ類に指定され、都道府県単位の指定では、45都道府県で絶滅危惧種指定されています。
要するに、日本中ですっかり見られなくなった植物なのです。
草原に育つ植物のため、農家が草刈りをおこなわなくなり草原が減り生息場所がなくなり、またきれいな花なので掘り取られてしまい、どんどん減ったのです。  






宮沢賢治もこの花のことを書いています。賢治のふるさとでは「うずのしゅげ」とよぶそうです。
この綿毛が飛ぶ瞬間を描いた部分を下に紹介します。
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宮沢賢治  「うずのしゅげ」より
奇麗きれいなすきとおった風がやってまいりました。まずこうのポプラをひるがえし、青の燕麦オートなみをたてそれからおかにのぼって来ました。
 うずのしゅげは光ってまるでおどるようにふらふらしてさけびました。
「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがとうございました」
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下仁田でも、ねぎ畑にねぎ坊主がならんでいます。

馬山(まやま)丘陵にはネギ畑がひろがります。
写真遠方のに見える2つこぶの山は鹿岳(かなだけ、右側の平ら部分は荒船山


ここでは種子を取るための栽培はあまりないでしょう。下仁田ネギの栽培される畑には ねぎの
小さな苗がたくさんうえられていました。






二毛作地域の群馬県平野部では、今の時期、田んぼには麦畑がひろがります。
下仁田にはこうした田んぼはありませんが、少し東の地域では、麦畑の光景が広がります。
5月の風が、ここでは麦の穂を揺らしています。
  このあと、梅雨の雨と競争するように麦刈りが始まり、あとに田植えがおこなわれます。
ですからここの田植えは、日本全国でもいちばん遅い時期になるのではないでしょうか。

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下仁田の化石  放散虫

放散虫の化石・・・・化石採集にいっても、聞いたことない名前なのではないでしょうか。
なぜかというと
  • 小さい・・・肉眼ではほとんど見えない。顕微鏡がないと見えない。
                     だから化石採集会の対象にならない。
  • どれくらい小さいか・・・ふつう1mmより小さい。今生きている放散虫を研究している人が,ご自身の調査のものを0.04mm~0.40mmと書いていました。
    下仁田の化石で紹介されているのは、どれも0.1mm以下
  • どんな生き物の化石?・・・・アメーバのような単細胞の生物。ただしアメーバと違い、ガラス質の骨格、殻を持っている。これがまるでガラス細工のような繊細なつくりで、多種多様な形がある。・・・・骨格??・・・何だかよくわからないけど・・この生き物、私の感覚では、「虫」ではないなあ。   
  • 今でもいるの?・・・・います。私は実物をみたことないですけど。見たことある人、あまりいないかも
  • いつからいるの?・・・・カンブリア時代には確実にいたそうですから、古生代のはじめにはいたという生物。
  • どうやって生活している?・・・・・海に浮いて漂って生活。ネット情報では、ケイソウや原生動物をたべていると書いている人もいたけれど・・・
  • 死ぬと海底に降り積ります。骨格は珪酸・石英成分SiO2でできており、ガラスと同じように、なかなか溶けたりしません。 ・・化石になりやすい・・・
  • 魅力は・・・・美しい!!電子顕微鏡写真をみると、その繊細さ、形の多様さに見とれます。


岩石のチャートは放散虫が積もってできた、といいます。チャート中の化石はそのまま顕微鏡でのぞいてもほとんど見えず、見るには、処理・工夫が必要です。今では、放散虫を粒として取り出すことができ、そのおかげで美しい繊細な形が見えてくるのです。

チャートは下仁田では南の地域たくさん見られます。地質では秩父帯です。このチャートから下仁田の放散虫がみつかったと思われそうですが、じつは違います。南蛇井層という地層の泥岩の中からみつかりました。
  泥岩??・・・放散虫は泥岩からもみつかります。
 下仁田のチャートの中からはみつからないの?  聞いていませんが・・・どうなのでしょうか・・・・チャートがあっても、いつもそこから化石がみつかるわけではないようです。
(同じように、生き物からできたという石灰岩があっても、化石がみつかるのは、その一部から   ですよね)

下仁田自然学校では、地学講座という勉強会を開いていますが、その中で、放散虫をさがしたことがありました。


岩石のなかから化石をバラバラに取り出す処理がしてあって、砂粒のような中から化石をさがすのですが、はいっているといわれてもなかなかみつからない・・・大人が必死で顕微鏡をのぞいていました。

左はそのときの放散虫のひとつ。とんがりコーンのような白いのが放散虫。双眼実体顕微鏡の接眼レンズに直接カメラを近づけて撮りました。
  秩父地域の研究グループの松岡さんが準備  してくれたものです。 写真は本多優二さん

 
放散虫がよく見つかる岩石は泥岩とチャート。みつかる放散虫は、化石を含んでいる地層の堆積した時代を決めるために利用できます。(示準化石)。すごく重宝しています。

1970年代あたりから放散虫をチャートから見つけられるようになり、「秩父古生層」といっていた部分が古生層でなくなったり・・・・。日本列島の歴史がずいぶん書きかえられた・・・
小さいのに、すごいね。
        地学図表 浜島書店より
(右の表でペルム紀の時代は古生代、トリアス期・
ジュラ紀は中生代です)


生物は長い間には進化して変化します。
放散虫も時代によって変化します。しかもこの生き物の進化スピードは速い。
そこで放散虫を区別すると、生きていた時代を決めることができ、それを含む地層の時代がわかるという仕組みです。小さいけれど数はたくさんいたわけで、化石も各地からみつかります。大きな貝などよりもみつかる可能性は高いので、利用価値もあるわけです。事実、今まで化石がみつかっていなかった地域から放散虫がみつかり、いままで年代のわからなかった地層が、いつの時代のものか判明したりしています。
前回紹介の微化石、・有孔虫も、同じように、時代決定に使われます。

  それにしても、この小さな化石を見つけ、数限りない種類の中から同定し、種類構成から時代を決めていくというのは、根気が必要でしょうね・・・

下仁田からみつかった放散虫は中生代ジュラ紀のものです。種類は
     ゴンギロトラクス   スティコカプサ  ディクティオミトラ    
 和名(日本の名前)はなく、みんな学名なので、何だかわからないような、舌をかみそうな名前になってしまいます。
これら化石から、南蛇井層はジュラ紀後期と考えられました。
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生きている化石

イチョウの花が咲いています。 どれが花でしょうか。  
   花粉を運ぶのは風。ですから、きれいに着飾って花粉を運ぶ昆虫を呼ぶ必要はないので、
    花びらはありません。
 
イチョウの雌花
                                                                                                    
誰もが知っているイチョウ。神社、お寺、公園、並木道・・
日本人なら 知らない人はないというおなじみのこの木。
しかしヨーロッパの人にとっては驚きの的の木でした。 1690年、鎖国中の日本にやってきたドイツ人ケンペルは長崎のお寺の境内のイチョウを見てびっくり。それを伝えられたヨーロッパの学者もびっくり!なぜって
イチョウの仲間は化石ではたくさんみつかるけど、もうとっくに死に絶えたと考えられていたからです。今でも生き残っていたなんて!
    「生きている化石」 これがイチョウに与えられる言葉

 イチョウの仲間はジュラ紀という時代などに全盛を誇っていました。映画のジュラシックパークの時代、ということはまさに恐竜たちと一緒に生きていたということになります。 2億年よりもう少し前にあらわれて、その後たいへんに栄え、世界中にひろがっていたのです。それが中国で生きのび、たぶん仏教伝来の頃、日本に伝えられました。日本に自生していたわけではないのです。そういえば、自然の森の中では見かけない木です。
今では親戚にあたる木は一つもなく、分類上では1属1種、それでもたった1種で頑張っています。そして、こんな古いタイプの生き物たちを守ってきたのが中国や日本の地域だったわけです。
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                              下仁田にある「ほたるやま公園」には、左のような看板が置かれた場所があります。

よくみると、看板の近くには、絵に描かれた植物のいくつかが植えられています。
下仁田自然学校がつくられたころ、「公園に、化石でみつかる木、生きている化石を植えよう」と、看板をつくり、苗木を植えました。
看板も古び、木にも枯れてしまったものもありますが、元気に大きく育っているのもあります。
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ところで、中生代の恐竜の絵を見ると、恐竜の尾が地面に垂れ下がっていて、今の復元
図とは違っているのがあります。
恐竜がしっぽを横にぴんと伸ばして走り回っていたというのが確立されたのが、けっこう最近のことだという、そんな歴史も感じさせます。
ちなみに、手元にあった高校地学の教科書の図を見てみると・・・

 1993年文部省検定済・2000年発行の教科書では、 ティラノサウルスはしっぽを引きずるゴジラ型、ちょうど左の看板タイプ。大型恐竜ブラキオサウルスは体を水の中に浸していた!・・かつては、こんなに重い体を支えるためには水の中にいただろうと考えられた(ずいぶん昔の説の気がするので、ちょっとびっくり)。 
1997年検定済では、ティラノサウルスのしっぽは地面を引きずらず、少し上になっているけれど、まだ今のように、水平にはほど遠い・・・・
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生きている化石といえる植物を、もう一つ紹介します。メタセコイアです。

学校や公園などによく植えられていました。かなり大きな木になっていると思います。
下仁田にもあると思います。
右下写真のような葉っぱの木です。
新生代の最後の看板に描かれています。

  「生きている化石」 この木ほどこの言葉にふさわしい植物はありません。

現在、新生代は260万年前~と変更されています
1941年三木茂博士は岐阜・和歌山などで、地層の中から見つけた植物の化石に「メタセコイア」という名前をつけました。セコイアという木に似ているけれど、少し違うので、こう名付けたのです。セコイアは高さ100mにもなる木で樹齢も4000年にもなるものがあるとして知られています。現在は北アメリカ西海岸にしか自生していません。そのセコイアの親戚で、もう絶滅してしまった木、それがメタセコイアと考えられたのです。
 1945年中国四川省で新しい種類の大木が発見されました。調べてみるとなんとこれがあの化石で見つかり、絶滅したと思われていたメタセコイアだったのです。

新生代第三紀という時代に栄え、200万年ほど前には絶滅したと考えられていた木が、今でも生き残っていたのです。
その後、メタセコイアは増やされ、あちこちに植えられました。丈夫で成長が早く、挿し木でも簡単に増える木。いわくのある木だと聞きながら、父が挿し木をしているのを、かたわらにしゃがみ込んで見ていたというかすかな記憶があります。
そんなわけで、日本には樹齢70年を超えるものはないはずですが、でも、どこでも大きな木になっています。
ほたるやま公園には、他にも古い時代に出現した木が植えられています。

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「ねぎとこんやく下仁田名産」 といいます。
そこで、仁田自然学校では、コンニャクについての冊子も作成しました。著者は里見哲夫さん。                

コンニャクの花、ご存知でしょうか。 今、山裾に入って歩いてみると、コンニャクに似た花が見られます。
ちょっと「不気味な」感じの花なので、印象に残ります。

こんな感じの花はみんな「マムシグサ」と呼んでしまいますが、もっとたくさんの種類があるようです。下仁田に見られるコンニャクの仲間は以下です。
  



下仁田自然学校・下仁田の植物より

ヒロハテンナンショウ・ヒトツバテンナンショウ・クロハシテンナンショウ・ミクニテンナンショウ・           マムシグサ・オオマムシグサ・
カルイザワテンナンショウ・
ウラシマソウ・ミミガタテンナンショウ・カラスビシャク・
ザゼンソウ

これらはサトイモの仲間です。
コンニャクはサトイモ科コンニャク属
マムシグサはサトイモ科テンナンショウ属
  「サトイモの仲間」と言うことにびっくりします。

マムシグサ : 目立つのは「ほう」といい、ミズバショウの白い部分と同じ。本当の花は、中にある棒のようなところにたくさん付く、小さいものです。


他のテンナンショウの仲間
ウラシマソウは、場所は下仁田から少し東の地域で見ました。5月2日のものです。
浦島太郎が釣り糸を垂れていると見立てたとかで、長く糸のように伸びた部分があります。これなら区別できます。
ウラシマソウ
コンニャクの親戚は、どれもおもしろい形をしていますね。
コンニャクは日本の自生ではなく、中国からもたらされたようなのですが、詳細は不明とのことです。

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町のまわりに咲いていた野の花たち

下仁田の町周辺の山すそも、緑がだんだん濃くなってきました。林に咲く花は白い色がめだち、少し地味な感じになってきています。5月15日ころの下仁田で見た花です。マムシ草は先にのせました。
    
   キリの花 昔は女の子が生まれると植えて          ヤブデマリ 沢沿いなどで花をたわわに
     嫁入りのタンスを作ったとか。人が植えた木です




   カジノキ  クワの仲間             ヒメコウゾ  これとカジノキの雑種が和紙の原料のコウゾ。 
                                     道端や荒れ地 にはえている。枝は少しつる状。
                                     雄花と雌花が見える。                                                                   




                       ウツギ
                 
ミツバウツギ 
                          



左写真の大きい木はミズキでしょうか。道端には
コゴメウツギの小さな花が咲き出しています(右)。

木々の梢には、目立たない花・実もついてます。


左下:アカシデの実



     
               
                   シナノキ
真ん中あたりに花が付いている。熟すと、へらのようにみえている部分で風に乗って飛ぶ
写真がわかりにくかったですね

草花も、春早くより少し地味になっています。

  道端や荒れ地の花: クサノオウ                  山すその道端:ウマノアシガタ
                               日に当たってキラキラ輝く、キンポウゲと呼んであげたい!

      ミヤマハコベ  沢沿い近くに                             ホウチャクソウ


ラショウモンカズラ                               ?


ウワバミソウ  ミズナという名で呼ばれる山菜                                                     カテンソウ
似たのがあるので、違っていたらごめんなさい                

















水上にお住まいの写真家埴沙萌さんが、カテンソウの花粉の飛ぶ様子をテレビで紹介してくれました。この地味な植物が、急に魅力的に見えました。


     この時期は、花はちょっと地味ですが、風も緑も本当に気持ちがいいです。
    外に出てみませんか。                                                                                                                                      



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