2014年12月28日日曜日

地質案内 その6 歴史の道 町の裏山

 
下仁田の古き道を訪ねて・・歴史の道・・・

 今年も終わり・・今年をふり返る気分ですが、そんな時、私たちの先人のことも心のどこかに思い浮かべてみたくなります。日々の暮らしのまとめの気分にもなります。
下仁田の「歴史の道」という資料がありますので、紹介します。
 
下仁田町市街の北側は雑木の茂る低い山、裏山といった感じの山になっています。
かつてここには、人々が行き交う道がありました。


 いまでは鏑川には両岸に車の走る道路がはしり、川にかかる橋では、自由に行き来できます。ですが、かつては 、川を渡るのはたいへんだったことでしょう。。
下仁田の市街は川の北側に位置していますから、下仁田に行くには、川の北側(下流に向かって左側)を通った方が良かったはず。
紹介する「歴史の道」は川の北側の低い山の中を通っています。
かつては 多くの人が行き交う道だったそうです。

   ”歴史の道に沿った地質学” も ときには いいかもしれません。
下仁田地域の中央構造線の南側の紹介を続けてきましたが、今回は中央構造線の北側の紹介です。
     中央構造線を境に、南と北で、まったく違った地層が分布しています。

②ゴミ処理場付近の道路わきには、南蛇井層の黒色泥岩(黒っぽくこまかい割れ目)、砂岩(暗灰色、やや塊状)が見られます。たくさんの割れ目は南蛇井層が地下深くで強い圧力を何回も受けてできたものです。下仁田構造帯の岩石に共通した特徴です。 


あまり広くはない道がうねうねと続きます。

岩石はたいてい苔などに覆われています。というわけで、
少々わかりにくい場合が多くなります。

所々で見られる岩石をたよりに、この地域の地質を見ていくことになります。







なにやら複雑な雰囲気の岩ですが、これが
南蛇井層の泥岩
古い時代に海につもった泥が固まった石です。
その後、押されたり切れたり、いろいろな歴史をたどって、こんな顔つきになりました。
 苦労が忍ばれる顔つき・・・・人と同じかなあ・・







道路に沿っておよそ150mの間に平滑(なめ)花崗岩が見られます。崖の色がいままでみてきた岩石より、少し白っぽくなるので、見わけられます。ハンマーでたたいて新鮮な面をよく見ると、白い大きな鉱物が見えます。およそ6500万年前、花崗岩のマグマが地球内部から突き上げ、南蛇井層に入り込んだ出来事を見ていることになります。













    これが花崗岩とは、ちょっと思えない顔つきですが、これが平滑花崗岩。もともとわかりにくい石なのですが、風化で、さらにわかりにくい顔つきだなあ・・・

道路脇に、鉄橋への案内板があります。
ここには今から100年以上も昔に造られた鉄道の鉄橋が残っています。上信電鉄の前身、上野電鉄時代のもので、苔のついた赤煉瓦造りの鉄橋はしっかりとしており、当時の姿を伝えています。
 案内板をたよりに道路から南に下ります。鬼が沢とよばれるこの場所では石の様子が一変し、丸い石のゴロゴロした礫岩、神農原礫岩が崖をつくっています。鏑川と合流する場所には鉄橋が見られます。

















鉄橋は 舗装された道からほんの少し奥にはいります。
道沿いに、鉄橋への案内看板がありますから、迷わずにたどり着けます。
                       

鉄橋の下やすぐわきの崖は礫岩の崖で、礫には平行なひび割れがたくさんみられます。神農原礫岩の"ずれ礫”ですね。                                          




上信電鉄千平駅の南の不通橋から、上流にある鬼ヶ沢の合流点付近までの鏑川は、渓谷となっています。ここを不通渓谷といいます。
両岸の高い崖は主に南蛇井層の黒色泥岩でできていますが、鬼ヶ沢合流点より200mには神農原礫岩も露出。鬼ヶ沢合流点や不通橋には平滑花崗岩の小さい露出もあります。
 


 
 
















写真左は狭まった渓谷部分、右は不通橋から下流方向を見たようす。  
                  下流はおだやかな川筋にみえます。

昔、荷物を運ぶのに川を利用したでしょうが、登ってきた舟も、この渓谷からは「もうのぼるのは無理」と、荷物を陸揚げして運んだとか・・・
かつて人々は、どんなところでも、いとわず歩いていたのでしょうね。
すぐに車に乗ってしまう私たちの生活、少し反省した方がいいかも。

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少し前、 この「歴史の道」の場所にはゴルフ場建設計画が持ち上がり、それがつぶれると、産業廃棄物処分場計画が持ち上がりました。ほとんど人が立ち寄らなくなっていたとはいえ、町の中心部のすぐ裏山への計画・・・町一丸となって反対運動を繰り広げ、最終的には処分場予定地は町が買い取ることとなり、この計画は取り下げとなりました。町の環境は守られたわけです。ただ、小さな町としては、多額の出費も伴ったわけです。下仁田自然学校も地質・水質調査という面から、協力しました。
 バブルの頃のゴルフ場ブーム、高額のゴルフ会員権が飛び交ったことを思い出します。また、大量消費大量廃棄の時代のゴミ問題と、地方の小さな町が、時代に翻弄されたという、これも「歴史」。
静かに眠ったような裏山の雑木林も、さまざまな歴史を持っているようです。
皆さんの近くでも、身近な地域の歴史をたどってみてはいかがでしょうか。知ることは、それを大切にする気持ちもはぐくんでくれます。
  
身近な歴史、自然も、我が目で見て、自分で判断して、物事を考えていく力も養っていきたいものです。
    どうぞ 良いお年を



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