2017年3月9日木曜日

中小坂鉄山・近代的製鉄所があった場所

いろんな大地の姿が見られるね 下仁田町

   昔の鉱山跡を訪ねました。中小坂鉄山です。

 ずっと以前に一度行ったことはありましたが、今回は解説してくださる方の案内で見ることができました。案内してくださったのは、地元の人たちが中心になって頑張っている「中小坂鉄山研究会」です。
あまり知られてはいませんが、明治の早い時期に、優秀な技術による近代的製鉄所が造られた場所です。

 この製鉄所は日本の産業を支えた釜石の製鉄所より早く造られています。近代的な製鉄施設としては日本最初、と言いたいところで案内板にもそう書かれていますが、”最初”というには諸説あるような。間違いなしに「日本最初」は、「蒸気機関による近代的な熱風送風施設」です。
ここは近代化の早い時期に建設されていながら注目されることなく埋もれ、名前もほとんど聞くこともありませんでした。

 日本の製鉄所というと、私たちのような戦後世代では海外から鉄鉱石を輸入するイメージが強く、海岸沿いが思い浮かびますが、中小坂の場所は内陸の群馬県の下仁田町。
鉄鉱石の産地に作られた製鉄所です。




下仁田から長野へ向かう谷沿いの道・国道245号線から山腹へ、徒歩で歩いていきます。楽に歩ける距離に、いくつかの穴、かつて鉄鉱石を掘った場所が見えてきます。

坑道が見えてきました

危ないですから、立ち入り禁止
 

研究会が書いた説明板もあります


右のドーナツ 型のものは何でしょう?
左の穴の中は広く、人のヘルメットが白く見えています
左下の写真が、穴の中のようすです

鉄を含んだ鉱脈も見えます。
ところで、鉱脈は何からできている?

上写真のドーナツ型のものは磁石。
鉄山研究会が見学者のためにあちこちに置いてくれています。
磁石が壁にペタンとくっついている!
普通、磁石は石にはくっつかないですよね。
磁石のくっつくこの場所は、特別の場所とわかります。

磁石にくっつくものには何があるか? もちろん「鉄」。クギだって鉄でできています。
他には?・・・・磁鉄鉱という鉱物もくっつきます。
そしてこの鉱山の鉱石は磁鉄鉱です。丸いドーナツ型の磁石がくっついていたら、そこは磁鉄鉱の鉱脈なのです。
 中小坂は不純物の少ない良質の鉱石を産しました。鉄の含有量が重量の70~80%といいますから、すごい。黒っぽい色の鉱石のかけらを手に持つと、ズッシリと重い。(同じように重く感じても、磁石にくっつかないものもあるので、ちょっと要注意)
 調査に慣れた方はライトを持ってきていました。真っ暗な坑道内では必需品でした。

            他にも、いくつか坑口が見られます。


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 ところで日本古来の製鉄法「たたら」では、原料は砂鉄。砂鉄はほとんどが磁鉄鉱の細かな結晶です。砂鉄も磁石にくっつきますよね。
鉄山研究会では、一昨年から、たたら製法で砂鉄から鉄を取り出す試みを行っています。
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  鉄山の坑道は山の尾根付近にあります。少し高い所です。そこで、掘り出した鉱石は尾根から下に落としました。
 そんな山の一角には、祠が祭られていました。聞けば、本物は下仁田町歴史館に保管し、ここには同じ形に作ったものがおかれているそうです。赤い鳥居と祠の柱は鉄製。もともとは鉄山で作られた鉄を使用していたとのこと。なるほど。でも、鉄ですから、やっぱりボロボロとなってきたでしょう。

 危険も伴う鉱山の仕事、人々は神様に祈りをささげながら仕事を続けていたのでしょうか。というより、以前はそれぞれの家にも氏神様を祭っていたわけで、八百万の神様は身近で、常日頃、周囲の自然に祈りを込めていたのかもしれません。
 ところで、坑道陥没の事故もあり、死者もでたそうです。その折の、わずかに窪んだ地形を教えてもらいました。

 下っていった人家近くには、右のような碑石もありました。文字が刻んであります。”越中鍋屋彦・・”だったかな?ちゃんと説明していただいたのに、メモしておかなかった・・お恥ずかしい・・・でも、「鍋」という文字が面白いと感じました。鍋??現代人なら、なんでそんな雑貨が?生活用品が?と思うかも。でも、当時お鍋といえばステンレスやアルミではなく、「鉄鍋」。とても大切なものだったのだろうなと感じました。
 戦争中、鉄の供出を強要され、多くの貴重な鉄製品が失われたと思います。下仁田には、中小坂鉄山製の大きな火鉢が残されていますが、よくぞ残してくれたと思います。今回案内をしてくださった鉄山研究会の会員のお宅にも、鉄製火鉢がありました。強制供出の時に隠し通し、今に残ったものを見つけ出されたのだそうです。
  (なんと・・・火鉢の写真撮ってこなかった。今度またお邪魔して、写真撮らせてもらおう。自家製野菜ふんだんの、おいしい手作り食事もいただきました。ありがとうございました。)

 尾根から落とされた鉱石は、トロッコに載せて運ばれました。今はその跡が遊歩道になっていて、皆さん、「トロッコ道」と呼んでいました。鉄山研究会の方々が降り積もった落ち葉を掃いて、きれいにしてくださっています。
 道はわずかな傾斜の下り坂。この傾斜で、動力を使うことなく、手動のブレーキのみでコントロールして、重い鉱石を運んだとのことです。エンジン付きの動力の無い時代、自然の重力を生かして、無理なく物を動かしていく、よく考えた設計です。
エネルギーを大量投入して、強引に物事を進める現代社会のやりかたに、少し反省を促したくなります




 トロッコ道の少し下に、製鉄所跡があります。石垣が残されていますが、当時の姿は、パンフレットに残されている写真で見るしかありません。
もう少し何か残っていたらなあ・・とは、みんなが思うところです。




製鉄所跡は、現在民家が立つ山すそです。見下ろすと、ゆるやかな坂がよくわかります。
 (鉄山研究会ではおそろいの”はっぴ”を作って、案内の時にも身に着けていました。鉄の昔の字が書かれ、なかなか素敵。右写真の方がまとっていますが、ちょうど文字が見えない角度でしたね。)
鉱石と木炭を投入して過熱しました。
こうして鉱石を細かく砕く
ことができました。



 石垣の上の方、山の木々との境あたりに、左写真のようなカーブしたレンガ積みが残っていました。山から落とされ、トロッコ道を下ってきた鉄鉱石は、このレンガの入れ物の中に木炭と一緒に投入され、加熱されたといいます。
ここで鉄を取り出した??いいえ、違います。
   では何のため?
磁鉄鉱は簡単には溶けたり変化したりしない鉱石です。とくに、山から運んできた大きな塊では。製鉄のためとけにはもっと細かく砕かねばならない。でも、この石、とても固い。少々たたいたって砕けない。どうしよう・・・砕く簡単な方法が、「加熱」なのだそうです。ここで加熱して、割れやすくして小さく砕いていったのだそうです。
このさらに下に、溶鉱炉の施設がありました。

  製鉄には大量の水が必要なのだそうです。その水も、山から流れ落ちてくるものを利用。ポンプアップなんてない時代とはいえ、実にうまく考えています。水をためる大きな水槽の跡も、下にありました。
 もう一つ必要なものがあります。石灰です。下仁田には石灰の鉱山もあります。すべてを自前で手に入れられた場所、それがこの鉱山だったのです。

製鉄に必要なもの
①良質の鉄鉱石(鉄含有量70~80%) ②燃料の木炭、 ③炉に投入する石灰、
          これらすべてが調達できる好条件があった

 合理的なシステムを作り出し、製造コストを低く抑えることのできた鉱山だったのですが、世界の金融恐慌など様々な条件にさらされ、利益を上げることは難しかったとのことです。
優秀な技術・優れたシステムであっても、それを生かすことの難しい世の中の厳しさを感じながら、忘れ去られてしまうのは惜しいと思わずにはいられない思いでした。

こういった様々なことは、案内の方に説明してもらわないと、なかなか理解できません。ありがとうございました。
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 世界の鉄の大きな鉱山の鉱石は、「磁鉄鉱」ではなく「赤鉄鉱」です。鉱物ブームの最近では赤鉄鉱というより「ヘマタイト」といった方が通りがいいかもしれません。
 製鉄の主力鉱石は赤鉄鉱です。海外には露天掘りの大鉱床があります。はるか昔、20億年とか30億年とかいった時代の海に堆積した酸化鉄、というから驚きます。縞状鉄鉱床と呼ばれています。
中小坂の磁鉄鉱は、南蛇井層というジュラ紀の(1億年より少し前、2億年にも近い昔、かな・・)泥岩などの地層に、花崗岩が割り込んできたときにできました。6500万年ほど昔の話。花崗岩は平滑(なめ)花崗岩よばれ、地元の方ならご存知のハイキングコースの神成山はこの岩石からできています。
 製鉄やその歴史には、ネットで見てもじつにたくさんの資料が出てきて、なかなか理解も難しいものです。それでも、この小さな鉄山についてさえ、まだまだ調べたいことがたくさんあるといいます。自然の仕組みから、人間社会の経済にまでわたる話、深く難しい世界だと思いました。
 以前に、中小坂鉄山について紹介したことがありました。同じような内容とはなりますが、以下になります。

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