2021年7月10日土曜日

鶏冠石?昔、見たことある人いませんか。


  ご存じの方、いませんか  こんな鶏冠石

コロナに大雨、線状降水帯、土石流に盛土、残土・・・
聞きなれない言葉が日常の言葉になっていく・・・・自然を学ぶのが、命に直結する目の前のテーマになっていく昨今です。五感で自然を感じ取れるように、自然に親しむことの大切さを思いつつ、自然をナメてはいけないことを感じる日々。
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何から自然と親しむのもいいでしょうが、手に取る、集めるというのもその一つ。

 下仁田町の里見哲夫さん、今93歳で,とてもお元気。
特に植物に造詣が深く、野外に行けば、山の小路でも、いえ、近くの道端を歩いても、まわりの草木を眺める表情はワクワクとしていて、今でも目にとまった野草を採集して標本を作製される。
 昔つくった標本も持ち出して説明してくださる。60年とかそれ以上の昔、物のなかった時代に生徒の教材用にご自身で工夫してつくったという下仁田のチョウの羽の標本もたくさんお持ちで、その中にはもう下仁田では見られなくなった種類もあります。色もきれいに残っています。
 先日は、私の家の近くの利根川で、ずっと昔に見つけた植物ハナヤスリの標本と写真を持ち出してこられた。いえ、標本か写真のどちらかが玉村町五料のものでしたが。
我が家近くの河原を見る時、ちょっと気に留めねば・・・

その里見さんが昔、地元の下仁田町で手に入れたものに写真のようなものがあります。
 鶏冠石  下仁田町南野牧   
      採集年月日  1959年5月12日

どこで手に入れたか、記憶にないそうです。
他の鶏冠石も一緒に保管されていました。鶏冠石は下仁田にある鉱山のものです。今のように、ネットやら販売店やらで鉱物を買うような時代ではありません。だいいち、地元の鉱物を買うなんていう習慣はなかったでしょう。

1個ですので、角度を変えてとった写真で紹介します。
  


                    
    

普通にある鶏冠石の写真は下の写真のような感じです。赤い所が鶏冠石で、岩石の隙間に
うすく張り付いていました。
鶏冠石はヒ素とイオウの化合物で、As4S4 と表されます。Asがヒ素、Sがイオウ、というわけで、ヒ素の原子とイオウの原子が同じ数組み合わさって出来たものとわかります。

 ヒ素と聞くと、「ひえ~、それ毒でしょう」という反応が返ってきます。数ある毒物の中でもよく知られたものです。どうしてこんなに有名になったのか・・・王朝のあったような時代、毒殺に使われたりするお話がしばしばドラマなどで出てきたからでしょうか・・・二十数年前、日本でも毒入りカレー事件などという事件があったなあ・・・日本軍の毒ガス兵器に使われ、埋められたものからヒ素が流れ出て健康被害を引き起こしたことも記憶にあります。2003年の茨城県、あるいは中国大陸で。バングラデシュでは地下水にヒ素が混じり、被害をうんでいるといいます。このヒ素は自然由来で、広範囲に及んでいるといいます。何ともやりきれない話です。
 こう聞くと、「下仁田町の水は大丈夫?」と思いますよね。安心してください。水を飲んで何か困ったという話は聞きません。この仕組みを調べている人もいます。鉱山から水の流れ出る場所は、沢の底に黄色・茶色の物がくっついています。これは鉄を含んだ沈殿物で、これにヒ素はよく吸着され、支流と合流する前に自ら取り除かれる、つまり自然浄化されているのだそうです。ネットに金沢大学の研究が載っていました。鉄の沈殿物はシュベルトマナイトという、聞いたことのない名前でした。
 鶏冠石はヒ素の化合物ですから、やっぱり気になって、「さわったら手を洗いましょう」などと書かれてあったりします。



拡大したら、例えば下の写真のような感じ。細かいですね。大きな結晶は見当たりません。 
海外の鶏冠石の写真を見ると大きなものもあるようですが、日本ではなかなかそういったものは無いのでは。鉱物標本として採集できるような産地そのものも少ないと思います。
                             (スケールがなくてすみません)

赤い色は光に当たると黄色く変化していき、パラ鶏冠石というものに変わります。


パラ鶏冠石をと思って、ちゃんとした写真のないのに気づきました。左写真は鶏冠石が黄色く変化したもの、つまり
パラ鶏冠石。

光にさらされて、石の表面が赤ではなく、黄色いものでおおわれています。







ある日、鉱物に詳しい知人が、「ネットで見つけた」という写真を知らせてくれました。
以下のものです。「結晶美術館」というサイトに載っている写真です。


 「溶融鶏冠石」   中国ではこの形でよく売られているとのこと



もしかして‥‥と思いませんか
里見さんが持っていたのは、西ノ牧鉱山で鶏冠石を溶かして固めたものなのでは、と。
どなたかのお宅に、こんな石、ありませんか。

西ノ牧鉱山は終戦のころまで、鶏冠石の採掘を行っていました(いつからいつまで稼行かは、はっきりしません)。詳しい記録は残っていませんが、鉱山跡地には今でも坑口のあとや鉱石処理した場所の石垣などが残っています。産出した鉱物・鶏冠石は、日本地質学会選定・群馬県の「県の石」に指定されています。
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 2016年、偶然のことから、西ノ牧鉱山が稼行していたころ、鉱山に行ったことがある人、働いたことのある人のお話を聞く機会を得ました。昭和3年生まれの方と,大正12年生まれの方で、お二人とも女性。
 お一人は、小学校の頃トロッコで遊んだりしたこともあったといいます。こどもたちが精錬の燃料用に使う薪を背負って持っていくと、2銭5厘くらいのお金をもらえたとのお話。ちょうどふもとの集落の沢を挟んだ山の木の伐採があて、その木から作った薪があったそうです。学校も上級生になると学校が遠くなるので、薪運びの時間はとれなくなったということですが。当時、農家以外で出られる人は働きに来ていました。農家は食糧増産で仕事に手いっぱいで人手は足りず、娘もお年寄りも働いたと。火を燃やすと鶏冠石が溶けてた垂れてきて、それを固めて下に運んだが、どこに運んでいたかはご存じないとのことでした。
 もう一人は、鉱山で働いたことがあるという方でした。女性は5~6人で働き、卵大に砕いた鉱石の選別作業。メンバーは10人ほどで、ほとんどが集落の人だったそうです。砕いた鉱石を竹のへらで仕分け、鶏冠石の赤い部分をとるという作業をされたそうです。男性は坑道内に5~6人、運ぶ人が2人,精錬する人が2人で、釜に入れて溶けて流れ出たものを固め、事務所へ運び、粉にし、すべて東京に運んだとのことです。精錬作業では手ぬぐいで口をおおって、なるべく息をしないようにしていたとのことでした。
何に使ったかというと、軍事用の煙幕に使ったようだという話をされていました。鶏冠石の用途として、本には「花火」と書いてあったりしますが。
 新しい鉱脈が見つかった後,坑道に入ったこともあったそうです。20~30㎝くらいの幅で、カンテラに照らされて、真っ赤な帯が続いていたそうです。美しかった・・・と。
昭和20年には鉱山はほとんど動いておらず、働く人もいなかったそうです。昭和19年頃には実質閉山だったかもしれない、若い男性が兵隊にとられ、男手がなくなったのもその原因かもしれないと。
 地元在住の人の家には、当時の鉱山関係の書類もいくつか残されており、その中には陸軍・海軍の事務用箋に書かれた書類もあり、軍事との関連もうかがわせます。戦争末期、国民総動員で耐乏生活の時代、鍋・釜からお寺の鐘まで供出された時代ですから、当然、鉱物資源には政府の目が入っていたでしょう。いえ、人も召集され、消耗品のように戦場に送られた時代ですから。兵士の命は一銭五厘と言われたのですから。赤紙(召集令状)が一銭五厘だったから。小さな子どもが薪を運んでもらったお駄賃が2銭5厘・・・・
また、養蚕の盛んな頃、精錬の煙は,蚕に悪影響もあったようです。

詳細は、以下に載っています。
「群馬歴史散歩」262・263・264号  執筆 本多優二(2020年 群馬歴史散歩の会)

 山の中にひっそりと眠っている場所ですが、その場で生きた方々の記憶は70年以上たっても鮮明でした。
鉱山跡などはすっかり忘れ去られてしまっている場所がほとんどでしょう。お話を聞けたのはうれしいことでした。そこに生きた人々の生活・思い、さらに、こうした資源を生み出した自然について少しでも知って残していければ、とおもいます。
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 鶏冠石は、今、「県の石」となっています。光に当たるだけで色が変わってしまうので、展示には不向きですが、「赤い鉱物」は多くはないわけで、魅力があるとききます。
光のエネルギーで色があせる? たしかに布の染色の色も、看板の色もあせるけど。あせるというより、正しくは「違う鉱物・パラ鶏冠石」になってしまうというわけか・・・・

・・・・・ちょっとぐちゃぐちゃした話になるけれど・・・・・
 ネットで見たら、1980年に新鉱物となったと書いたものがあったのですが、そんな最近の話?本当? 
すこし昔の解説では、「鶏冠石は長時間光にさらされるとAs2S3(オーピメント 石黄)とAs2O3の混合物に分解される」と書いてあるから、「1980年」は本当なのかな、などと思ったり。この解説、間違っていたというわけですよね。しかも、日本名の雌黄とか雄黄が間違って取り違えて使われたり、鶏冠石の中国名は雄黄だったりと、名称は混乱のきわみ。表にしてみたこともあるけれど、どれがどれやら、すぐに忘れてしまう・・・というわけで、そういった名前は使わないことにしようと思うわけです。

・・・・・次もちょっと教科書の勉強みたいな話ですが・・・・・
 鉱物の解説では、多形とか同質異像の関係と書かれてあります。普通なら、「なにそれ」
と思いますよね。どこかで勉強したことのある人は、それでわかったつもりになったりして・・・同じ原子の組み合わせでできた鉱物だけれど、原子の並び方が違ったりして結晶構造が違い、違う鉱物になる、といったことですが・・・普通に考えても、材料が同じでも違うものができることはありますよね。

 多形(同質異像)では、教科書ではたいてい石墨とダイヤモンドの例が載っています。おなじ炭素(C)からできているのに、こんなにも違ったものになる、と。石墨から思い浮かぶのは、鉛筆の芯ですから。この二つは炭素原子の並び方がまるっきり違います。でき方も、ダイヤモンドはかなりの高圧下でないとできないものです。
 鶏冠石とパラ鶏冠石は、たかが光に当たったくらいじゃないか・・・どこが変わるのだろうか、というわけで、結晶構造の図をみてみました。









            鶏冠石からパラ鶏冠石への光誘起構造相転移メカニズムの解明 より

 そうか、鶏冠石って分子でできているんだ、と思ったり。ダイヤモンドは分子という単位がなくて、炭素がつながっているものですから。
パッと見て、形がちょっと違うなと感じます。でもそれは見た角度などでも代わってくるでしょうから、もうちょっと詳しく見ます。赤がヒ素の原子、黄色がイオウの原子です。
鶏冠石はヒ素の原子1個のそれぞれに、2個のイオウがつながっています。
パラ鶏冠石は、1個のヒ素に1個のイオウがつながっているのと、2個のイオウのつながっている、3個つながっているのが見えます。これって、今まで仲良くしていたものと手を切って、他のものとつながったということになるのでは。そんなことするにはエネルギーがいるでしょうが、それが光のエネルギーだったというわけか。実際には途中で酸素も手伝ったりと何だか複雑な説明が書かれてありましたが。

 こういうのって,化学の世界では異性体という言葉があったな、と。有機化学で出てきて、覚えられない、なんて思ったり・・・
いろいろな呼び名が出てくると、それだけで嫌になるかな‥いろいろな人がいろいろな面から調べた、ということで、いいことではあるのですが。

それより何より、よくまあ、小さな小さな原子の並び方がわかるなあ、と、そのことに感心してしまいます。

 こんないろいろなことのあった西ノ牧鉱山ですが、ここでは世界でもまれな「若林鉱」という鉱物も見つかっています。1970年に発表されました。標本のコレクションの中から見つかりました。針状の石黄(オーピメント)と名前が書かれていたが、ちょっと変だなと思って調べた人がいたわけです。材料にはヒ素とイオウにアンチモンが加わっています。
 ちょっと見て探せるものでもわかるものでありませんから、「よし、見つけよう」なんて思わないでください。
というより、ここは私有地で、勝手に入ったり採集することはできません。 

 大切な場所として、皆さんと共に守っていきたいですね。

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