2018年3月21日水曜日

なごり雪 冬鳥たちは北へ 

 なごり雪‥‥3月21日なのに…お彼岸なのに …  寒い … 昼間の気温 2℃

 でもほんとうは「なごりの雪」なのだそうです。辞書に載るのはこちらの言葉だけ。
「なごり雪」は歌手のイルカの歌声で広まった言葉。素敵な響きの言葉です。
気づいたら、雨になっていました



~~~~ 鳥たちのはるかな旅 ~~~~
 鳥って、渡りのタイミングをどうやって知るのだろうかと、前回書きました。
 そうしたら、ナショナルジオグラフィックの3月号に、上のタイトルを見つけました!!
 渡りの時期についてはこんな記述。
    
 ★    太陽と星を見る
  「渡り鳥は太陽と星を頼りに方位と渡りの時期を知る。たとえば日照時間が短く
   なれば、そろそろ出発の時期だというように判断する。」

たとえば…?? …ということは、もっといろいろな事例もあるのでしょう。
鳥たちの出発日は毎年ほぼ決まっているのですが、オオソリハシシギのニュージーランドでの記録では、最近出発を早めているそうです。
理由は明確ではないが、鳥たちは本能だけでなく、経験からも学習しているのでは と。また、人による環境への圧力の影響も多々言われてきています。

★  どうやって目的地を知る?これは、様々な手がかりから方位を知ることによるといいます。太陽・地上の目標物・星・さらには地球の磁場まで利用。そんな鳥たちは、膨大な歳月をかけて、渡りのルートを確立してきたわけです。
 オオソリハシシギはなんと、アラスカからニュージーランドまで、8~9日休みなしに飛び、1万1500㎞を旅すると。これは今でも渡り鳥の無着陸飛行として最長記録。これがわかったのはここ数十年のことだといいます。
 1970年までには繁殖地のアラスカから越冬地のニュージーランドにわたることわかっていました。ルートがはっきりわかったのは、2007年。人工衛星用の送信機を鳥に装着する技術が生まれてから。(鳥たちの渡りのルート図が付録でついていました)

★ 1週間以上も休みなしに飛ぶ??寝ないで大丈夫なの??
以前、鳥の観察会で、あの鳥は繁殖期以外、ほぼずっと飛び続けるんだよとの説明を聞いてびっくりしたことがありました。「いつ寝るの???」。はっきり答えてはいただけなかったのですが。アマツバメだったかなあ?・・・オオグンカンドリに脳波を追跡できるセンサーを埋め込み記録とったところ、滑空しているときごく短い睡眠、12秒ほどをとっていたとか。多くの場合、脳の半分だけが眠り、半分は活動しているそうです。人の常識は通用しない。

昔から多くの人が関心を持ってきたが、確実にはわからなかったことが、現代科学技術の利用で、新しい事実が次々解明されてきています。
 身近に目にする鳥にも、まだまだ謎がたくさんあるということ、楽しい話。
 今、渡り鳥たちは激減しているといいます。ここ50年ほどの間に、50%、70%減少したなど、残念な報告も聞きます。
この地球を、人が作った国境など関係なく飛び越えて旅し、生き続けてきた鳥たち。そう思うと、いつまでも共に生きられる世界を実現したいと、心底思います。

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たまたま、身近で楽しんだことの紹介。芸術の春?

太鼓の講演 鬼太鼓座(おんでこざ)の公演を楽しみました。
講演中の撮影はできませんので、終了後の片づけの写真を。
大太鼓にふんどしひとつの男が背を向けて立ち、バチをふるう姿、ポスターで見たことあります。
 とにかくその音の迫力!!
太鼓をたたき続けるその音と肉体の迫力。真剣勝負。文句なく楽しめます。
尺八も加わり、また県内のお琴の演奏者とのコラボも楽しめました。
 私はずっと以前、この公演を見たことがあります。今回初めての高崎公演ということで、まだ知る人も応援者もいないのでしょうか、空席も少し目立ちました。

 
 それにしても、この体力のいる公演をできるというのは、スポーツ選手のようなトレーニングなのでしょう。とにかく走りこんでいるようです。
舞台での真剣勝負といった姿にわくわくします。
こういう力いっぱいの姿って、ストレートに胸に響きます。




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次は、美術館。
群馬県立近代美術館で古代オリエント・エジプト・ギリシア・中国の世界と銘打って、「永遠の至福をもとめて」という展覧会を見に行きました。3月25日まで。

鋭い表情が素晴らしい。
獲物を加えた作品もあった
紀元前1世紀 イラン
金・銀を使った工芸品がたくさん展示されていました。
頂いたチラシの掲載写真なのですが、これなら紹介してもよかったでしょうか・・
      娘がかつてこうした展覧会を見てすっかり魅せられ、大学ではアラビア語学科を選び、エジプトに留学中に知り合った現地の人と結婚して・・という人と一緒に見学。政情不安の地域に娘が行ってしまい、美術品を見るのも少々複雑でしょう。しかも相手は金細工を仕事にしているそうです。感性豊かな子供ではあるのでしょうが、親としては、ごく普通でいいのに、などと思うものです・・・でも、友人は美術大好きの人ですから、一緒に見ると楽しい。精悍なヤマネコや何ともいい味を醸す羊、カバなどの造形は、二人で、「気にいったねえ」。(ここに、カバの写真はありません)


 驚いたのはこのコレクション、日本の美術館の持つものだということ。滋賀県の信楽町の山の中にあるMIHO MUSEUMという美術館のものだということ。1997年開館とのことで、ミシュランガイドで三ツ星を獲得しているとようす。ビデオで美術館を紹介していました。
紀元前4世紀 ペルシャ
これを見た次の日、テレビでの桜の見どころ紹介で、何やら見たような光景・・なんと、このミュージアムの桜の光景でした。
何とも贅沢に作られた場所のようで、素敵な美術品がたくさんあるようで、ちょっと見てみたくなりました。
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美術に縁のない私ですが、友達のおかげで、こうしたものに行ってみれば、それはそれで楽しい。いろいろな世界にふれたいですね。それと、もつべきものは「友」。
 
暑さ寒さも彼岸まで、とんでもないお彼岸天気になりましたが、これから、さあ、芽吹きと花の季節です。


 

2018年3月14日水曜日

春 サクラ カザグルマ


 

春が来た!!  と、言いたくなる陽気
      明るい陽ざしを見ただけでも、うれしくなる

 一方、世の中では、「決裁文書の改ざん」「書き換え」・・新聞社・放送局によって、「改ざん」か「書き換え」か、表現は違いますが、とにかく、民主主義の根本の危機ともいえることだと、のんきな庶民にも、だんだん理解できてきます。
 「働き方改革なんて言って法律を通そうとした時だって、でたらめデータでずっとやってきていた。きっと、他にもいろいろウソやってるに違いないよね。私たち、なめられてる。」こんな会話も出てきます。

 こんな中
サクラの新種が発見された!!。うれしいはなし。
 日本人が大好きなサクラ、みんなが見ている・調べている”サクラ”に、新種発見…
 にわかには信じられない。
  まだまだわからないことが、世の中にはいっぱいあるんだ、と、うれしくもなる。
日本の桜の野生種は9種類だったと聞いて、慌ててネットで調べた方もいらっしゃるでしょう。昔調べたはずの私も。
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 ヤマザクラ・オオヤマザクラ・オオシマザクラ・カスミザクラ・エドヒガン・
 マメザクラ・タカネザクラチョウジザクラミヤマザクラ

 (色違いのは、群馬で目にした野生の桜です。カスミザクラ・チョウジザクラは里山で、ミヤマザクラは山、タカネザクラは赤城山の上でも見たなあ。)
これらの花が開いたら、写真載せましょう。
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「ソメイヨシノがない」「川津桜もない」「八重桜は?」「サクラなんて何種類もあるんじゃないの」などと、いろんなことを思った人もいるのではないでしょうか。
園芸種、突然変異種、原種…いろいろな言葉の意味を知る必要がありそうです。

 3月13日の川津桜です。”いせさき市民のもり”のさくらです。2005年に植えたと書かれてありました。ソメイヨシノ以外の桜もあちこち植えられるようになってきました。川津桜は人気種のようです。
この日は暖かくて穏やかで、たくさんの人がお弁当をもってきていました。この日の気温、なんと24.9℃。全国一の気温でした。

サクラの種類なんて、数限りなくありそうだし、野生種との違いって何なの?と思った人もいるでしょう。園芸種はたくさんあります。これを機会に、桜のこと、勉強してみてもいいかも。
穂状の花でサクラの名の付く、ウワミズザクラ、イヌザクラは、この分類には入らないのですね。 種類がいっぱいあって見分けられないからとよく見てこなかったサクラ、これを機会に、少し注意して眺めてみようかな。

 上野三碑で有名になった山名丘陵には、自然歩道が整備されていて、4月半ばころはサクラでおおわれます。葉っぱと花が一緒に見られる桜で、「ヤマザクラ」とみんな呼びますが、カスミザクラだと思います。これはケヤマザクラとも呼ばれ、花に「毛」が見られます。
 気に入った散歩道で我が家から近いこともあり、20年以上も前から、サクラの季節にはなるべく散策に行くようにしていました。
 大きな観音様のある高崎の観音山周辺も、素敵です。
    これからの季節、里山は生き物と花に溢れますよ。
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私の住む付近にいるけもの、前回あげましたが、忘れていたものがありました。
今、どんどん増えているものがいますね。
 12月末、我が家の入り口近くにハクビシンが倒れていました。交通事故死です。
 1月には立て続けに、道端のハクビシンの死体を2匹見ました。そのあとにもあったけど、いつだったかな。そして今日も。みんな、道路わきで交通事故で。
ハクビシン、すごく増えているのでしょうか。
顔の白い筋が特徴的



しっかりした足、指。屋根裏に住みついたりするとか。
近所のブドウ畑、網でしっかり囲っています。
ハクビシン対策?
木に登るので、果物など食べてしまうとか。


他にも、もっと茶色の生き物が交通事故死していたときも、あったなあ。あとで写真探してみよう。

もう一度川原の足跡を見れば・・・
偶蹄類だよね・・シカはいないし・・・イノシシ?
点々と歩いた跡が、見られます
 


ハクビシンもいるかな・・・
 

ちゃんと足跡の主の名前がわからないので、サマにならないのですが・・



JR高崎線新町駅からそれほど遠くない岩倉橋のある川原です。ここ烏川の川原では、にぎやかだったハクチョウたちはすっかり姿を消しました。
また来年、来てね。  
今は水鳥たちの数も減って、静かな場所になりました。


少し前まで、この場所は、こんな感じで
白鳥が群れていました。
北国へ旅立った白鳥たち、無事に到着してね
春がやってきました。

ハクモクレンのつぼみが膨らんでいます。
先っぽが北を向いています。北の方向を示すから、方向を知らせるコンパスプラントです。

この姿はわずかの間です。ごらんになってみませんか。



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3月11日は 東北の大震災のあった日。その後の原発事故災害も。
毎年、この日の前後、全国で反原発集会が開かれています。高崎でも。
 今年も高崎市役所前の公園で開催です。
少し遅くなりましたがちょっと報告。
写真を撮り忘れたのでどうしようかと思ったのですが、数枚の写真があるので紹介。

広場ではコンサートなども開かれます。
作業中です。写真をたくさんぶら下げて、
解説の印刷物を置き、
長野原町産の豆なども売りました。
たくさんのブースでは、食べ物等売ったりもしています。家族連れも来ています。
 日差しがあって、よかった。
まだ寒いことも多いこの時期、震災で亡くなった方の中には、きっと、津波では生き延びたのに、その後の寒さの中で低体温症で命を落とした方もいらしたでしょう・・まだ雪もある寒い東北の地です。

何か起これば、関係者に「死を覚悟して対処」させる原発、作業員に被ばくの危険を強いる原発は、それだけでも非人間的だと私は思う。しかも、出したゴミは、処分の仕方もわからず、そんなものを将来の人に押し付けるのだから。昔、日本では「立つ鳥跡を濁さず」と言っていたはずなのに。

 八ッ場あしたの会”でもテント一つに写真など展示。会場の準備中の写真しかないので残念です。写真をたくさんぶら下げました。美しい花々、里山の風景など、皆さん眺めていました。ダムに沈む川原湯温泉に何度も行かれたという人、早春の花々をいとおしそうに眺める人、水利権の問題を気にされる人など、様々な関心が寄せられていました。

 「もうダムができるのに、どうしてまだこんなことやってるの?」と思う人もいるでしょう。でも、これからも何が起こるかわからない場所… 
 今、ダムは華やかに宣伝されています。「素晴らしい技術の建設工事、見られるのは今だけ。すばらしい光景」「ダムカードを集めよう」「おいしいダムカレー」等々。見学会も盛んに開かれ、多くの人がやってきています。夜もこうこうと明かりに照らされ、工事が続く…ここでも、うまいことやって、大規模工事で儲けることだけ考えて来た人たちがたくさんいたのでしょう。

・水没住民の3/4は、すでにこの地を去っていること、ご存知でしょうか。お金をかけてつくられた学校に通う生徒はほんのわずか。(最大の集落だった川原湯地区では・・もともとは201世帯が住んでいたのに、代替地に移っているのは31世帯・・・・昨年3月末の資料です)
・30m、50mといった厚い盛り土の上に作られた代替地。ダムに水が入った時、地すべりの恐れは無いの? 地滑り対策をする地区は、一度決められて予算までついていたのに、削減された。
・代替地は買う人が少なく、土地が余っている・・土地代で造成費用を賄おうとしたものの、土地代金はこの地域としては高額・・・
・代替地には鉄鉱スラグという廃棄物、それも有毒物質が入り、膨張もするスラグが見つかっている・・・だいじょうぶなのか。
・付け替え国道わきでは斜面が赤茶けて、道路の縁石は傾き…熱水変質帯だという・・ここでは地滑りが起きているという、国交省は認めないけれど・・・ずっと修理し続けるのでは。草津へ向かう主要道路は建設も膨大な金額がかかったけれど、これからも金食い虫・・・
・温泉は今まで自然に湧き、自然に流れ下る温泉水を使っていたのに、今はポンプでくみ上げ、パイプで運ぶ…この管理費用は高額になる・・・地元にとって、大変な負担だろう・・・
・「今しか見られない工事現場、見どころいっぱい」とダム工事現場を宣伝するが、水没地域の遺跡発掘現場でも、「今しか見られない」。この地域は縄文遺跡が多く、ここでもたくさん見つかるし、天明の噴火で埋まった江戸時代の集落もそのまま埋もれて見つかる。まさに、今しか見られない。でも、見せていませんよね・・・

 ちょっだけ考えても、いくつもの項目が思い浮かぶ・・・・こうしたことを、今後も見つめる必要があります。
 自分には関係ないと思われるでしょうか。でも、地下水で賄っていた水道水に、利根川の河川水をお金を払って使うということだって起きてくるわけ。
 あまりにいろいろあって、よくわからなくなってきます・・・・
  
 面白くないことばかりずらずら書き連ねました。
八ッ場ダムの建設現場のすぐ近くの水没地には、カザグルマという、クレマチスの原種の大きな群落がありました。貴重な植物です。絶滅危惧種等は移植するということですから、どこかに運んでいるのでしょうが、はて、どうなるでしょうか。できるだけたくさん移植できたのでしょうか。生き延びてくれるのでしょうか。


この地域はカザグルマに向いた土地のようです。
カモシカたちもすみかを追われます
「カザグルマの里」としてたくさん育て、広く知られるようなことができたら…などと思ったり。でも、無理でしょうね。やる人、マンパワーだって必要なのですから。
 
かつて自生地で撮った写真、載せますね。
いくつもの種類の花が見られたといいます。
4月から5月に咲く花です。
園芸にとっては、原種は本当に貴重なものです。この花は、クレマチの原種として重要視される貴重なものです。生き残ってほしいです。



2018年3月7日水曜日

春ですよ~ 川辺に行ったら 何みつかる? ~

春までお休み といったら
 ”春ですよ ~” と言われてしまいました

寒かった冬、、、、外に出るのもおっくうで。
このところ何日か、ポカポカ陽気の日。 
この暖かさに誘われて、自転車にのって川辺に行きました。
  去年の2月27日には、水のたまった場所に、アカガエルの卵があったなあ。

利根川の川原です。水には水鳥たちが浮いています。
冬にはカモたちも渡ってきます。もう春、そろそろ北帰行が始まっているでしょうか。 夏も日本にいて子育てをするカルガモを除いて、カモたちは北国へ旅立ちます。
毎年わが家の庭に姿を見せるジョウビタキ、北国へ向かったかな?
 (3月7日、庭仕事していたら、ジョウビタキ、掘り返した土の近くにやってきました。まだここにいます。)

 旅立ちを決めるのは、気温ではなくて陽の光の長さと、以前聞いたか読んだかしたことがありました。「光の春」。これなら旅立ちの季節を間違えません、と書いてから、ふと、本当かな?と。ちょっとネットで見ただけでは、これに関することは、何も見つからなかったのですが・・・どなたか教えてください。
    気づかぬ間に、生き物たちの世界も移り変わっています。

川辺の木が薄緑に煙るのは、まだもうちょっと後のようです。
水の中にはアオミドロの仲間がモヤモヤと育っていました。
そのためでしょうか、水に映る木々の梢はずいぶん緑がかって見えていました。

ヨモギがたくさんはえている
ヨモギがたくさん。子供のころ、お雛祭りには私が摘んで祖母や母がヨモギモチを作りました。うす紅に染めた餅と白い餅の三色で、菱餅も作っていました。
 ここなら犬の散歩道ではないので、安心して使えます。つくろうかなあ、と思いつつ、もう何年も作ったことない・・・・
これな~んだ

 草むらには
  ”ま~るい落とし物”がパラパラと。
 ノウサギの落とし物。フンです。
とんと見かけない野ウサギも、まだいることがわかります。

    
  
岸辺には砂が描いた縞模様

  近づいてみてみると、左写真のように砂粒の大きさが変化していたりします。水底に砂粒が堆積するときにできる模様です。
(大きい粒はすぐに積もり、その上にすこしあとから小さい粒がつもる・・・地層で見られる時は、海の中の海底地すべりで流れ下った大量の土砂が積もるとき、まずは大きい粒が沈むので、1枚の地層の下に大きい粒が見られ、上に泥質部分が見られます。地層の上下判定に使えます。)

 ここ利根川は、砂鉄がずいぶん見られます。砂鉄は重いので、まず積もるのでは。まとまって薄い層になって、黒い筋になって見えています。

砂や泥の上には、足跡も。
鳥の足跡、ですよね。 はて、誰のもの?
これも鳥の足跡








物差しを持ってくるのを忘れた。
適当なものがなくて、川原の柳を置いたのですが、これ、大きさの誤解を招きますね。
物差し代わりのネコヤナギの
つもりだったけど

          庭のネコヤナギと、大きさ比べてね。

庭のネコヤナギの穂は長さ4㎝ほど。川の柳の穂は1㎝程です。

左は、斜面を登るけものの足跡。爪跡がついてますね。
下の写真も、けものでしょうね・・・
  







ここらにいそうなけものは、
ウサギ・タヌキ・ネズミ・モグラ…10年ほど以前には、イタチを見かけたことあった。カヤネズミの球形の巣を見つけたことも。  
本を見たくらいでは、足跡を残したのが誰かなんて、私にはわからない。
    (私が子供のころは、道にイタチが出てきて、ふと立ち止まって、後ろを振り返ったものでした。
      ニワトリを殺されたこともありました。)


水面には たくさんの小さな羽虫が飛び回り、小石の上にも見かけます。
川底には水生昆虫がたくさんいますから、そんなのが羽化したのでしょうか。
 (こんな虫も、わかる人にはわかるんですよね。セッケイカワゲラを春先の雪の中に探しに行く人もいました。若くはないのに、寒い中、すごいなあと思ったものです。)

小石には、鳥たちの糞が、点々と白く残されています。 

川原の小石の上には小さな羽虫が
鳥の糞が白く点々と






  

 ところで、今年はアカガエルの卵はありませんでした。今年は寒かったものね。
これから見つかるかな。
   昨年の写真を載せます。 右はヤマアカガエル 
アカガエルの卵塊 玉村町 昨年2月27日
ヤマアカガエルの卵塊 みなかみ町 
2016年4月27日

少し山寄りになるとヤマアカガエルという、少しだけ違うカエルが多くなるようです。卵はアカガエルの方がゼリー状の寒天質がしっかりしていて、手にとっても形は崩れません。ヤマアカガエルの方はこれが柔らかく、指の間からこぼれそうな感じ。
誰かと一緒の時、こんな知識で、ちょっと知ったかぶりできます。

 子供のころ、水たまりにはところてんのような紐状のものがたくさんありました。手でつまんで引きあげたりしたものでした。「気持ち悪~い」などと言いながら。これ、ヒキガエルの卵だったはず。
   最近、見たことないなあ・・・
2008年5月3日 みなかみ町にて


以前みなかみ町で見たアズマヒキガエルのガマ合戦と”ところてん”を紹介します。
まだ春浅い山すそで、たくさんのガマが産卵のために集まっていました。
 左はその様子
 下はところてんのように水をうめる
  紐状の卵塊。カエルたちがちょっと顔を出しています。



 ここは浅い水の湿地なのですが、最近、水が減ってきて、カエルたちが集まらなくなってしまいました。
 新しい産卵場所は見つかったのでしょうか・・・

 昔は子供たちの遊び相手のカエルでしたが、最近は「気持ちわる~い」と、近寄らなかったりとか。少しは近寄ってみようよ。

世界中で両生類が減少しているといいます。だいぶ前からこう聞いています。1980年代からのようです。大きな問題です。原因についてはたくさんの説があげられています。
これからカエルの卵を目にする季節です。ちょっと目をとめてみませんか。

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これから否応なしにみんなの関心を引くのは、「花粉」。
私は花粉症ではないので、杉の花粉にも近寄れます。杉の「花」の写真を。
花粉いっぱいの杉の雄花。
ここに花粉が詰まっています。
ここから大量に飛びだします。

よくみると、こんな形のものもチラホラ。雌花です。
これに飛んできた花粉がつくと、種ができます。



真ん中のトゲトゲの丸い塊みたいなのは、
昨年の雌花。ここに種子が入っていました。


これでも花?
花なのに、きれいじゃない。花びらがない。

風が花粉を運ぶものは、「下手な鉄砲も数打ちゃあたる」方式で、大量の花粉をばらまきます。
花びらは花粉を運ぶチョウやハチの目を引くためのもので、おしゃれ、お化粧しているわけ。風に運んでもらう者には必要ないわけ。花とは思えない目立たない花は、杉もイネも、その他いろいろの植物にあります。

というわけで、これからしばらく花粉で悩まされる方にとっての憎き植物たちには、きっと花びらのない、目立たない花が咲いていると思いますよ。

今日はまた冬並みの寒さです。
でも、外に出れば、いろいろ春めいたものが見つかります。春ですね。














 




2017年12月17日日曜日

春までお休みします

霜枯れの景色が広がってきました。
自然もちょっと一休み?
私もこのブログを,春までお休みしようかと。

ですが、冬なのに今を選んで開く花もあるのですね。     
 ビワの花は今満開。ほのかな香りも漂います。
 目をとめてみませんか。
                  絵手紙 小林生子さん

 サザンカ、水仙、ロウバイと、寒い外にも、
 なじみの花が姿を見せます。
 パンジーはすっかり「冬に咲く花」になりました
 が、もともとは春の花。種苗会社の努力で、
 冬にもにぎやかに咲くように品種改良されたと
 いうことです。


 年の瀬・・なんとなく、いろいろ振り返る気分になる季節。
今年前半のNHK朝ドラの「ひよっこ」は、庶民や若者たちの高度成長時代を描いていました。どこかで見た光景、触れた感触があちこちあって、時代の空気を伝えていました。
 冒頭主題歌の場面で出てくる炊飯器の花柄模様、我が家にもあったなあ・・・工場の食堂や裏庭の、塗料が少しはがれたような細い柱・・この柱と雰囲気,記憶の奥にある・・などなど・・・よく再現しているなあ。もっとも、個人の感傷なんて聞きたくもないですよね。でも、下の新聞記事には考えさせられました。

 かつて大規模開発された町の今の姿・・・かつての「ニュータウン」の今を10ケ所取り上げています。今となっては高齢者ばかりが多くなった町・・時代の変化とはいえ、何という様変わり。多摩ニュータウンのことを「使い捨ての時代は、町まで使い捨てしてる」などと話していたことあったのですが・・・
 私は、この10カ所のうちの2か所を実際に知っているのです。

 下の新聞記事の一番右側にある札幌市のもみじ台団地、この場所がまだできたばかりの時、まだ造成中の場所もあった頃をよく知っています。
高齢化率42.7%で、10カ所中のトップ。
場所は北海道開拓記念館・野幌森林公園のある地域といえば、思い浮かぶ方もいるかもしれません。この近くでは新札幌という駅が作られ、地域開発を盛んにしていたころです。
 

 農地を開発して大きな住宅街を建設。若い世代急増で、中学校は1学年11クラス。1クラス45人学級の時代です。1クラス42~43名は普通、教室は机を置くと、ろくに隙間もないほど。昼休みに体育館で遊ぶにも、曜日で交代制。とにかく、子供であふれていました。
それまで、複式学級かといったような小さな学校で過ごしていた地元の子のなかには、戸惑った子もいたことでしょう。中学生時代は誰にとっても3年間。その3年間を少しでも豊かに過ごすにはどうしたらよいのか・・・なかなか難しいこともあったはずです。
 沢の残った斜面にはリュウキンカやエンレイソウが咲いていましたが、それも住宅地に変わっていきました。
 
 もう一つは明石舞子団地。日本の標準時の明石天文台のある明石の付近。舞子とは、何ともすてきな名前です。これも地名で、駅もあります。東へ行けば須磨の海岸へも続きます。なんだか源氏物語に出て来るような由緒ある名前がならんでいます。
 垂水の駅から明石駅に、しばらく通ったことがありました。電車の窓から見える緩やかな斜面には隙間なく家が立ち並んでいました。この団地のさらに西の丘陵を開発して学園都市とか工場地帯とかにするというわけで、里山の丘陵地帯が一面はがされるようにして、削られていた頃です。こちらは西神ニュータウンといいました。「西神戸」です。神戸から地下鉄がつくられています。
ここは春には一面にツツジに覆われるような明るい雑木林の丘陵でした。

 予測できたかもしれない変化にも、その時になっても手をこまねくばかり、という姿がしばしば見られます。なんだか賢くないなあ・・・かつてあこがれだった不動産は、今では「負動産」などと呼ばれたりして、あちこちで空き家が問題になっています。今人気のタワーマンションも、やがてどうなるか・・。
世の中そんなに思い通りにはいかないわけです。
 この団地の造成のころからリゾートに狂奔していたころまで、日本中で自然破壊が叫ばれていました。実は今でも生き物の絶滅危惧種は増えるばかり。
こうしてちょっと振り返るだけでも、それなりの歴史が垣間見られるわけです。

 あるとき、アンネ・フランクの生年月日を見て、目が釘づけになりました。
アンネの日記を書いたあのアンネです。1929年・・・・私の母の生まれたのが1924年。
母より年下・・まだ生きていて当然だったんだ・・・心に強く感じることでした。 
 それから、母の世代は女性が20歳で選挙権を持てた初めての世代だった・・今の若者には、歴史の教科書の世界の話としか感じられないのでは。

 そんなことから、幾人かの人の生年月日を調べたことがありました。
ローラ・インガルス・ワイルダー、「大草原の小さな家」などの児童文学を書いた人。テレビ番組でも人気を博しました。あちこち開拓地とも言えそうなところに移り住みながら生活していく様子を描きました。このシリーズは大好きで、せっせと読んだものです。彼女の生きたのが1867年~1957年。ここでびっくりしたのは、ずっと以前に生きた人と思っていたのに、私と同じ空気を吸った時間があること。

 こうして比べてみるだけでも、見えてくるものがたくさんあります。
 
はて、来年はどんな年となるのでしょうか。
不安ばかりつのりそう。
いえ、よい年をと願って、そのために少しでも寄与できることを願って。
わたしも、いろいろ学んでみたいものです。

少し早いですが、皆様どうぞよいお年を。