この言葉、ご存知だったでしょうか。はじめてこの言葉を聞いたとき、「なんとやさしく美しい言葉だろう」と思いました。夏と秋の行き交う空、夏から秋へ、次の季節に移り変わろうとする頃の空をこうよぶのだそうです。空も澄んできています。雲を無心の心で眺めていること、最近あったかなあ・・
というわけで、季節の便りをいくつか。
シュウカイドウの花が咲いています。
昔からあちこちの家の庭の隅などに咲いていた花。
さまざまな園芸品種が栽培される中にあっても、いまでも負けない美しさだと思っています。
学校へ通う道が舗装してないあぜ道の時代、夏休みの終わる頃、その道はすっかり草で覆われてしまいました。その草をきれいに刈りとってもらって、2学期がはじまりました。そんな道を歩くと、まわりにチカラシバがたくさんはえていました。素足に触れるとむずがゆく、ちょっといやでした。紫がかった大きな穂はまさに瓶を洗うブラシのよう。踏まれても平気、それどころか、固い土のところにはえ、引き抜こうったって引き抜けない。「力いっぱい」引いたってぬけないから「力芝」。人の踏むような道にはえるので、別名ミチシバ。写真がちょっと貧相でしたが・・
このいかにも生命力のありそうな草が、繊細に見えるときがありました。細かな水滴が大きな穂をおおい、輝くとき。いくつもいくつも群れてはえるチカラシバに水滴がきらきら輝く姿は本当に美しく、稲に張られて水滴に輝くクモの巣とともに心に浮かびます。こんな場所を、素足をひんやりぬらしながら歩きました。
あの水滴は雨のしずくだったのだろうかと思って、ふと気づきました。雨のこともあったでしょうが、でも、朝露だったのでは、と。
季節の変化を、秋の日の朝の冷え込みを、その秋の訪れを、チカラシバがやさしく教えてくれていたのかもしれません。(近所で写真を撮ろうかと思ったら、チカラシバ、あまりみつからないのですよね。最近、いかに身の回りの自然を見ていなかったか・・)
白露(はくろ)という言葉があります。今年は9月8日。秋の気配が露を結びはじめる時という意味でしょうか。夏から秋への交代の目印。 最近の日本の気象は、9月も亜熱帯のような日々だったりしますが、今年に限って言えば、まさに、秋の訪れです。
「白露(しらつゆ)に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬき留めぬ たまぞ散りける」 小倉百人一首
露は秋のものと、古来、人々は感じてきたのでしょう。(白露の美しい写真がほしいところでした・・・)
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長くなりましたが、秋と言えば、月を無視するわけにはいかないでしょう。今年の「中秋の月」はやけに早く、もう過ぎてしまいましたが。
また思い出を。
人は華やかな満月だけを愛でたわけではありません。
満月の日、月は太陽が西の空に沈むころ、東の空から登ってきます。満月が過ぎてから、月の出の時刻はだんだん遅くなります。昔の人は、それをいかにもふさわしい言葉で表していました。
ある国語の先生、それを黒板にこんなふうに書きました。
・ 望月、十五夜 (ほぼ満月)
・ 十六夜 (いざよい月、満月の次の日の月)
・ 立ち待ちの月 (満月から2日目の月)
・ 居待ちの月
・ 寝待ちの月 臥し待ちの月
・ 寝言の月
・ いびきの月
・ おねしょの月
・ おもらしの月
黒板の文字をせっせと写していた(と思うけど・・)中学生の生徒たち、このあたりで「ン?!」
「うそだア~」と大笑い。
どこまでが本当だと思いますか?表現が何となく上品なところまでです。
答えは "臥し待ちの月”。満月から4日目の月です。
これよりあとの月は、まとめて"有明の月ありあけのつき”。夜半に月の出を待つには遅く、むしろ明け方の空にかかる月を見ることになる・・・だんだん月の出が遅くなっていく様子が、本当に見事に美しく現されています。月の出を、立って待つ、座って待つ、横になって待つ・・・電気という夜の照明のない時代、人々はこうして夜とつきあっていたわけです。(現代人は宵っ張りなので、”有明の月”の時期の月も夜に眺めていそうですが)。
満月から後、東の空に姿を見せる時刻が遅くなるだけでなく、月はだんだんやせてゆきます。やがて月は、夜を越して、朝、太陽といっしょにのぼり、夕方、太陽といっしょに、西の空に沈みます。つまり、見えないということになります。新月です。
それから3日ほど後、夕方、西の空には細い月が見えます。この月は昼間、太陽を追いかけるようにのぼってきたものの、明るい太陽の光でみえなかったもので、お日様が沈んで、やっと見えるようになりました。そして日没のすぐ後、太陽を追いかけるように西の空に沈みます。どうぞ美しい三日月を眺めてください。
細かった月もだんだん太ってきて、やがて新月から15日(月齢では14)、再び満月。満月は新月から指折り数えて、だいたい15日目。なーんだ、十五夜ってそういう意味だったのか、というところです。満月の前の月も、十三夜といって、愛でていますね。
ところで、月はふしぎな力を持つと、昔から人々は考えてきました。
生物たちの産卵が満月と関係のある例はたくさんあります。満月と関わる大潮の日、
海を波立たせて魚たちやカニたちの大群が1カ所に集まり、産卵をしたりするのです。
古来、人は月の光を味わい、優れた文学や名曲を生み出しました。
空を見上げたら、そんな人たちの爪のアカ程度でもあやかりたいものです。
地球と月は兄弟ではないかといわれます。火星くらいの大きな天体が高速で地球に衝突し、飛び散ったかけらから月ができたとか・・さまざまな説がありますが、こんな説が今、有力なようです。
大地を見る、地球を見る「ジオパーク」にかかわる私たち、時には空の月にも夢をはせ、大地の生い立ちを思い描くのもいいなあ・・・
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月の話なので、ススキの話も。
十五夜には、ススキを飾りましたか? 子供の頃から、ススキは「そこら」に行って調達、つまり、近所の川原でとってきたわけです。ずっと後になって、それがススキでなく、オギだと知りました。
オギとススキの違い
株立ちになっているか、いないか
といったところでしょうか。
フサフサと銀白色の穂を揺らすのはオギ。少し赤みや黄色みを帯びたのがススキ。
はえる場所も少し違います。オギは少し湿り気のある所、ススキは乾いたところ。水ぎわをヨシがおおい、オギが銀の穂を見せているかもしれません。
萩原さんはハギの花をご存知でしょうが、荻原さん、オギがどれだかご存知だったでしょうか。
最近は園芸用の斑入りススキをいけることが多くなって、川原に取りに行かなくなりました。今年あらためていって見たら、ヨシの穂はあるけれど、オギが見当たらない・・・
オオブタクサが背高く生いしげるのが目立っていました。右写真です。花粉を飛ばし花粉症の原因のにっくき草、外国からやってきた外来種ですが、大きな顔をしてはえています。
草花遊び
夏から秋へ 草と遊んだ記憶を どうぞ。。。。。。。。。
サツマイモの 茎を互い違いに折って、ネックレスを。札幌で、小学校の男の先生が、とても喜んでいたのを思い出します。北国札幌ではサツマイモは育てませんが、教育用にビニールハウスの中で育てていました。
ヒガンバナで同じことをやる遊びが本に載っていました。見栄えもきれい。でも、ヒガンバナは毒草というイメージがあって、遊んだことはありませんでした。
そのほかいくつかの遊びを。
そこらに咲いていたオシロイバナです。
これは遊んだことある人、多いのではないかな。
夏の花、朝顔は、まだ咲き残っています。
朝顔は、プチッと音を立てます。
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夏の風景の書き残し
アマサギの写真を撮ったら、白いサギ・白鷺の区別をのせようかと思っていました。田んぼにいくらでも飛んできていた、と思っていました。たしかに、以前は・・・。でも、今年あらためてみようと思ったら、姿が見えない・・・このあたりには来なくなったのか、それとも、夏鳥なので減少しているのか(最近、夏に日本に渡ってくる鳥の数が減っていると聞いたことがあって、こんな連想が浮かびました)・・・常日頃、周りを見ていないのに、また気付いたところです。
というわけで、シラサギの出番がありませんでした。白いサギはいつでもいますから、これからの参考に紹介を。チュウサギというのもいますが、よくわかりません・・・これも夏鳥として飛来しますから、これからの時期見られるのは、コサギとダイサギでしょうか。灰色っぽいサギもいて、こちらはアオサギ。水田の水がなくなりますから、これからは川辺で姿を見かけるかと思います。
地球も星ですから、空の星のことも思い浮かべながら大地を見ていくと、また格別の味わいがあるかも。 今回は”季節の便り”になりました。
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