高崎市の町を流れる水はどこからやってくる・・・そんなこと考えたこともなかった・・
水の流れていなかった台地に、人が引き込んだ水だった・・・これも知らなかった。
そんな歴史を伝えてくれた展示を見学したことがあります。
へえ~と感心。このブログにも紹介しました。
http://geoharumi.blogspot.jp/2016/12/blog-post_25.html
あらためて展示会があるのを知り、見に行きました。
人の生活と水の強いつながりを、お店の数などから分析して解説・・・日々の暮らしから歴史を考えているのがとても印象深く、楽しく思えるものでした。
大きなジオラマ2つ すべて手づくりです 手前の川は、烏川。ずいぶん低いところを流れていて、 台地に住む人には利用できません。モーターなんてない時代、 ポンプアップはできないのですから |
大きなジオラマが2つ、会場の真ん中に置かれています。
江戸時代の高崎の町と、明治の町です。
水路も張り巡らされているなあ。
奥が江戸時代の街並み。
江戸時代のジオラマ お城もあれば、町の周囲に設けられた木戸もあります |
会場にはスタッフがいて、来場者にていねいに説明してくれていました。
ただ見ていてもわからないことが、解説で「なるほど」と見えてきました。
明治時代 高崎駅ができています |
明治時代のジオラマは、今回新たに完成したものだとのこと。
ここでは商業の町・高崎の町並みのお店を調べています。
たくさんある職種の中から、
「水」にスポットがあてられ、
染色・銭湯・酒造・豆腐屋など、水にかかわりのある職種を選んで、スイッチオンでわかるように作成されています。
良質の水がなければならない酒造りが、もともと水の無かったこの町で、どうして可能だったか・・それは用水堀から地下に浸透した水が井戸水として利用できたから。榛名山麓からやってきた水は、もともと良質なものだったでしょう。
伊香保までの馬車鉄道がありました。 当時を知る人にとっては この鉄橋みたいなのが、とても懐かしいのだそうです |
高崎の町を流れる用水
川遊びと染め物での作業。川の水を使っています。 堀のまわりは、もちろんコンクリートではなく、石積。 水は周囲の大地に浸透していきました。 (照明が写っていて、見苦しくてすみません)
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水路には水車がまわっていました |
水車、直径5m
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電気の導入が、高崎市は前橋・伊勢崎より10年遅いのです。
電灯がともったのが、前橋・伊勢崎は明治27年。高崎は明治37年。どうして?まだ町の規模が小さかった?まさか。
理由はなんと、水車が動力源になっていたので、電気による動力が無くてもよかったから・・・
電気というと、私たちはまず、家庭の照明など思い浮かべますが、初期の電気は、個人向けというより、モーターを回したりの動力源だったらしい。お米をついたり粉を挽いたり、生活関連だっていろいろある。他にどんなものがあるのか、私には今、ちょっとよくわかりませんが・・・
高崎駅開業が明治17年、馬車鉄道が明治26年という数字を見ると、「鉄道よりも電気の供給のほうが遅い!」・・・まず電気がなければ生活が成り立たないといった趣の現在の私たちの感覚とは、ずいぶん違うなと感じます。そうか、人類の歴史のつい最近まで、電気なんかなかったんだよなあ。同様に、水道をひねれば水が出てくる生活も。ちなみに、私も幼い頃、井戸のポンプをせっせと押し、台所の水瓶やお風呂に水を入れるのを手伝った記憶があります。
年表を作成しながら丁寧に歴史を追っていくこの「語り継ぐ会」の姿は、先人の努力を生活から見つめていて、水をもたらした先人の努力への感謝の気持ちを感じさせるものでした。
なお、この展示は高崎市上滝町歴史民俗資料館、しだれ桜で有名だった慈眼寺の向かい側です。今月 5月28日まで。
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群馬県も北部に行くと、雪国地域の雰囲気があります。水上町の南西部、大道峠付近の様子をちょっと紹介。
斜面の田んぼに水が張られ始めています |
5月14日、1週間も前ではないのですが、ここでは春もまだ始まったばかりの雰囲気もあります。
ウワミズザクラの花 |
田んぼのまわりにリンゴの木、下にはコゴミ 右隅にはウワミズザクラの花も |
リンゴ畑と集落のようす |
中之条五反田では・・・霊山たけやま にて。山頂は霧にかすんでよくわからない…豪勢な鯉たちですね。
こいのぼりでした |
中之条方面で、見上げると岩山に何やらある・・ |
とちの木の花も咲きだしています |
ミツバウツギ |
これから梅雨に向かい、山には白い花が目立つような気がします。
みずきの花も咲いていますね。のんびり野山を楽しみたい。
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