2019年7月2日火曜日

梅雨でもいろいろ花が咲きます


梅雨時でも花も咲きます

シーズンが終わりかけてしまいそう  この花、皆さん、見たことありますか
                  好きな花です。
   ネジバナ     知り合いの家の芝生に毎年咲くのです。
                先週見たのに、カメラを持っていなくて、
1週間たってもう一度「花終わったかなあ・・・」と心配しながら・・咲いていました! 芝刈り機で刈ってしまわないようにと、気をつけているのでしょうね。
私の通った大学の入り口の芝生に、毎年咲いていました。何だか懐かしい。

でも芝生以外の場所で自然に生えているのはほとんど見たことがない。記憶にあるのは、幼い頃、道ばたで見つけたかすかな記憶と、札幌に住んでいた時の郊外の牧草地に近い場所の道端。
絵手紙 小林生子さん

ランの仲間とのことで、根っこは菌根菌と共生しています。これって、菌類もいないと育たないということなので、育てようとすると結構気難しいかも。

 
 ゆうすげ(キスゲ)

今日の夕方、ゆうすげの花が咲きました。初めての花です。
昨年種子をいただき、蒔いたのです。その種から育ちました。
「ゆうすげ」と言えば、榛名山山頂付近の草原に咲く花として有名です。榛名湖畔の温泉もゆうすげと名付けられていました。平地の我が家でなんて育たないだろうと思いつつ今まで来ました。
露地に降ろしたら、乾いた土地の我が家では枯れてしまうかなあ・・
ニッコウキスゲに似ていますが、花の咲くのが夕方です。花の色も少し薄くて、なんだか優しい雰囲気が漂います。この花の咲く場所にいってみたいなあ。


ナツツバキ





今頃咲きます、ナツツバキ
シャラノキとよんで植えていますね。白い花は、ツバキにそっくり。清楚です。

お寺の境内などにもよく植えられて、きれいに掃き清められた地面に、この花がたくさん落ちていたりすると、なかなかの風情です。そういう写真を紹介したかったのですが、ふと思いついて近所を見て・・というわけで、こんな写真ですが・・

ところで、山に行くとこの木がはえていること、ご存知ですか。木の幹も独特で、すぐ覚えられる木です。もちろん、花も。

ハナンゲショウ
マタタビ



今頃は 葉っぱが白くなるものもあります。今頃だけ白いのです。どうして?
 白い葉っぱの周辺には、小さめの花。ちょっとアピールが足りない・・・もしかして、雨で昆虫がなかなか出てこないので、少しでもめだたせようとしている?
とにかく、葉っぱを白くして、目立たせてるわけです。
ハンゲショウは我が家の庭にはびこっていますが、野生では、結構絶滅危惧不に指定する県があるのです。そうなのか・・・

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先日出かけた星尾温泉について、一緒に行った里見さんが解説を書いてくれました。帰ってきてすぐでした。
こうしてすぐ 紹介します。
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   星尾鉱泉について

 2019年6(令和元年)7日、南牧村星尾鉱泉の調査に3名で入った。
たまたま経営者の千葉県出身の米田 優氏との出会いがあって案内をしていただくことが出来た。源泉地所有者は星尾温泉隣の掛川 孝氏であり、小沢小学校に勤務した折にお世話になった知人でもあって、久々掛川氏と再会を果たし、その近くまで案内をしていただき源泉地に入った。湧水は透明でありpHを測定したところ5~6であった。石灰分を含み塩水とのことで手ですくい口に入れると塩分を感じ取った。湧水は炭酸カルシウムを含み、この湧水に木の葉や竹や木が接すると石化するとのことである。従って、塩水石ともいう。この湧水は地域の人たちが1933 年(昭和8年)に共同風呂として開発したもので、源泉地から約100mほど下流に引き入れている。流れに沿っては鉱物分の堆積が激しく石化するために掘り割っていたとのことである。そのためか各家庭の庭には掘り割った1m余の岩を庭石として据え付けている。岩にはイワヒバ、イワオモダカ、シノブ等が付けられていて風情を添えている。集落一帯はまったく平坦な土地は無く、段々と石垣を築き立派な家屋が立ち並び、信州境の最奥後に石垣を築きながら集落を形成した苦労をしのぶことが出来る。おそらく信州川からの影響を受けていることであろう。この地の方々の姓を見ますと石川、石井、小林、掛川、曽根、飯野姓の順で、その他は単独性の方々が数人いる、源泉地には山の神がまつられ、山の神と共同風呂の石碑2期建てられている。

一基は、明治18年正一位ヲ授与セラル
    塩水稲荷神社ヲ奉納スル
    正一位塩水稲荷大明神旧跡
       平成二十六年四月吉日  
          氏子一同

もう一は、昭和8年塩水鉱泉共同風呂開始      
      昭和25年1月23日
      塩水鉱泉業廃止物資不足による

 塩水鉱泉の由来記として、大正2年の古文が残されている。
 星尾鉱泉は、米田 優氏が千葉より移住し、多くの協力者に支えられてたちあげた。

                 里見哲夫
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