2021年4月14日水曜日

三波川の集落 身近な歳時記

三波川を訪ねて

 三波川さんばがわという名前、聞いたことあるでしょうか。
地質学を学んだことのある人なら、必ず出会う名前です。
「三波川結晶片岩」、「三波石」(庭石として有名)という言葉がすぐに出てきます。
この名前の石、関東から九州まで、細い帯のように狭い幅で、延々千㎞ほども見つけることができます。板状に薄くはがれるかのように見える、青緑色などの美しい石・・・などなど、解説も多岐にわたります。長瀞の岩畳もこの三波川結晶片岩です。

 ところで「三波川」は地方の小さな川の名前です。今、川の全長を調べたら、8.2㎞!
そんなに短かったのか、とびっくりでした。
 以前、三波川の集落を通ったことはありましたが、あらためて行ってみよう、と思っていました。行くなら、春の花のシーズンがいい。
というわけで、出かけました。1週間前です。 
  (実はそんなに遠い所ではないので、いつでも行けるのに、行っていなかった・・・)
                         
 この付近には、冬ザクラで知られた桜山があります。
ずいぶん昔、2度ほど来たことがあったなあ。途中にも桜が咲いていました。
場所は藤岡市。というより、”以前の鬼石町”、といった方がよくわかるのは何歳以上の人だろうか。

 桜山にもちょっと行きましたが、あまりに整備されていて、通り過ぎただけ。
かすかな記憶の冬ザクラ公園とは、ずいぶん違っていたような気がしました。



みはらしの良い場所に墓地があり
白い花の桜の大木がすてき。






西上州の里山の風景が広がっていました。



 三波川に流れ込む大きめの沢筋の道に入ると、中学校跡がありました。                 
 こんなに大きな学校・・・たくさんの子どもがいたわけですね。



「三波川中学校之跡」と刻まれています。
学び舎に、何かの跡を残したいという気持ち、わかりますよね。

 青空を背景に、大きく育ったメタセコイアが見えます。60年ほど前、この木は学校等公共施設に植えられました。「生きている化石」と言われた木です。終戦まぢかころ、日本人の三木氏が化石でみつけて命名した木が、その後中国で、生きて見つかったというものです。ああ、あのころたくさんの子どもたちが学んだ場所だったのだと。

廃校の建物を利用して、時折、子どもたちのための活動が行われているようです。

 ここからさらに、細い道を車で登っていくと、南郷という集落がありました。かなり急斜面で、杉林の繁る中、空き家が7件ほど、1軒はお住まいのようですが、もう1軒も生活されている?   ここでの生活、大変そうだな・・・
他の沢でもぽつぽつ家の見える場所があり、登っていくと一番奥が開けて、何軒かの集落があったりしました。ほんの何十年か前、自家用車なんてない頃、ここでほぼ自給しながら生活がなりたっていたのを感じることができました。
 ところで三波川は、沢深く流れ、石を見るのも難しそうでした。
この付近で、昔、調査をした人たちのおかげで、「三波川結晶片岩・三波川帯」という名前が生まれたのかあ・・・・ちょっと感慨深いことです。

 三波川は鬼石で神流川に合流し、流れ下ります。JR高崎線は新町駅のすぐ近くで神流川を渡ります。結構幅広い川原です。神流川はそのあとすぐ烏川に合流して、さらにそのあとすぐ、利根川に合流します。(何やら混乱しそう・・図で書けば簡単なことですね・・)
 私の育った場所はこの神流川が烏川に合流した地点の対岸にあります。そこで、烏川の川原に行けば、きれいな石・結晶片岩がいくらでも拾えたわけです。ですから、結構馴染みの石だったわけです。小学校の頃、学校の授業で川原に出かけ、石を拾ってきたりしたものです。烏川はそこからすぐに利根川に合流します。というわけで、利根川にも歩いていけ、そこにも出かけたりしたのを覚えています。利根川の石はまるっきり違う石で火成岩が多く、それほどきれいには見えませんでした。
 きっと半日かけてクラスで出かけていたんだろうな。川で遊んできた感じだったでしょう。のんきで自由なころだったなあ。
 でも、川によって全く違う石のあるのを、楽しく見たわけです。
いい先生たちに恵まれたと、今でも思います。

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自分の周辺の様子も、ちょっと紹介

庭の藤が咲き始めました。

毎年、すぐにクマバチがやってきます。
「やあ、
いらっしゃい。久しぶりだね」
いったいどこから、どうやってかぎつけて、やってくるのでしょうか。

ブンブン音を立てて飛んで怖そうな見かけなのだけれど、じつはあまり怖くないのだとか。暖かめの日は、小さなアブの仲間もたくさんやってきています。

庭のサンショの芽がずいぶん伸びて、あわてて摘み取りました。
「木の芽」とよべば、これのこと。春の芽吹きを代表する芽。
 山でたくさん取って佃煮にする人が多いでしょうが、たくさんの量がほんの少しになってしまって寂しいので、私はすこし乾かしてから電子レンジでチンして水分を飛ばし、カラカラにします。それをすりこ木でこすって粉に。葉っぱはすぐに粉になるけれど、茎はそうはいかない。これをあらためてカリッとさせてもう一度すりこ木でこすって、粉にしたり。
サンショの粉、買ったらけっこういい値段しますよね。
こんなこと言いながら、昨年のものが、奥に入ったまま、まだ残っていた・・・

 他にも食べられるものが顔をのぞかせています。タラの芽とアケビのツル。タラの芽はもう終わりの頃ですが。栽培用品種を少し植えたのが増えて、せっせと採ってみんなにあげていたのですが、とにかく増えて邪魔に感じ始めたころ、ほとんどが根から枯れてしまいました。外れた場所に少し残って、我が家の天ぷらちょうどよい程度の収穫となりました。三つ葉も葉っぱが大きくなっています。いつの間にか生えたニラも葉が伸びています。
 今でこそコンビニもある地域になりましたが、50年、60年前の昔なら、家の畑や庭で野菜を作り、ちょっとした山菜風の物も植え、柿やイチジク、ビワ、プラム、ユスラウメなどの果樹を植え、食べたものです。
 子供の頃の経験って残るもので、ビワもプラムもイチジクも桃も植えました。柿は剪定と消毒が大変と思ってやめましたが。イチジクはカミキリムシ被害で昨年枯れ、とてもおいしかった桃は、剪定を怠って上が重くなり、台風の時ぽっきり折れて、何とも残念・・・買えばいいというけれど、自分で育ててみるというのは、心豊かな気分になれます。ポポーのように、あちこちから芽がでてきて手にあまし、切ったものなど、それなり思い出もあります。北海道から持ってきたブルーベリーは、時々古株を切るだけで毎年実ってくれ、ジャムやお菓子に重宝しています。こうしたことに時間をとって生活できるのって、豊かともいえるのでは。とはいえ、夏の草退治は大変。こんなものたち、ない方が楽でいいのかも、と思ったり。都会育ちだった人の多くは、もう、嫌になるのだろうなあ。
体力的に大変になってきたら、悩むかも・・・
 
アケビの新芽
  タラの芽 大きくなりすぎですが

 平野にある我が家付近は、植えたもの以外には、山椒もタラも見けません。山に行かないとダメでしょう。
今ごろの新緑は
柿の葉やイチョウ。早々と芽を出していたケヤキはもうすっかり緑色濃くなっています。




柿の葉です。
まだ葉が開き始めですね。









イチョウもやっと新芽が出て、イチョウ畑が薄緑に煙っています。
東京ではイチョウの雄花が咲きだした、やたらと早い、と、ニュースで聞きました。ここのは咲いているかな?と見ましたが、まだ咲いていないようです。
 ちなみに、イチョウの花ってご存知ですか?花びらのない花、きれいに見えない花、花のイメージと違うかも。ちなみにイチョウは裸子植物という、原始的なタイプのグループの植物です。チョウや虫が花粉を運ぶわけではなく、きれいな花びらは必要ないのです。

日々の季節の移り変わりなんて、興味のない人、目に入らない人も多いでしょう。ですが、こうしていると、自然を知り、自然が好きになるものです。歳時記として季節の移り変わりを俳句にする人もいれば、動植物そのものに興味を持つ人もいたりで、生活が豊かになると思いますよ。季節の変化に敏感なのは、日本人の良い所だったと思うのです。

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