2014年6月8日日曜日

下仁田の鉱山・石材 その2 中小坂 鉄山 ・赤城山のシロヤシオ


赤城山のシロヤシオ    ちょっと、赤城山の紹介

 日本人は紅白が大好き。今年はアカヤシオを見たので、「紅白」にちなんでシロヤシオも見ようと思い立ちました。シロヤシオは下仁田地域にはありません。赤城山に行ってきました。6月2日です。

    シロヤシオ  (ゴヨウツツジ・マツハダ)   
      大きな木になり、白い花が上品で人気です。
      大木では幹が松の木肌のようなので、マツハダともよばれます。

よく見えませんが、木いっぱいに咲いています
            
ツツジにダケカンバなどの混じる明るい疎林がひろがります
シロヤシオの木肌
赤城には、「ツツジの赤城山」といいたくなるほど、ツツジがたくさんあります。国定忠治でも有名ですけれど。「赤城の山も今宵かぎり」と。   いつも人でいっぱいの人気の山です。
今回は山の東面、黒保根方面の花見が原キャンプ場から登りました。このコースは人がほとんどいなくて、静か。平野部からでは、登り口までが遠いですからね・・・。標高1200mのキャンプ場から黒檜山頂1826mまでを4kmの行程で登ります。紫のトウゴクミツバツツジも、標高にしたがって、「花の終わったもの、満開、つぼみ」と移り変わっていきました。ちょっと紹介



 標高の低いところではミツバツツジ類などはすでに花がらで、今はヤマツツジ (左上)。登るにつれてシロヤシオや、紫色の トウゴクミツバツツジ(右上)が姿を見せました。白と紫が混じり合って咲く姿はいいものです。
少し登るとアズマシャクナゲも1株ですが咲いていました(左下)。 小さな花のコヨウラクツツジが咲き、ベニサラサドウダン(右下)の大木にはつぼみが下がっていました。                                               
 
赤城山最高峰黒檜(くろび)山頂(1826m)には、なんとまあ、まだサクラが咲き残っていました(左下)オオヤマザクラかな・・まるっきりピントの合っていない写真で・・・。見おろせば、ダケカンバの林がひろがります(右下)。雪どけ後、真っ先に咲くオオカメノキの白い花も見えていました。
赤城山は雪も比較的多く降り、「雪国タイプ、日本海要素」の植生がぽつんと島のように見られる場所なのだそうです。
 簡単には上越方面までスキーに行けない時代、この赤城の地蔵岳の斜面でスキーの練習をした人がいたそうです。びっくりしたのは、日本で最初の「スキー学校」ができたのが、ここ赤城山とか。熱心な練習で日本で最初に「パラレル」の技術を身につけ(昭和6年のこと)、その教えを受けたいという人がやってくるようになったといいます。今なら、多くの人ができる技術でしょうが・・・新坂平の下まで車が入るようになったのが昭和11年という時代でした。それより前昭和4年(1929年)は、スキー親善でノルウェーからきていた選手たちと、赤城でジャンプ大会を開いたとか・・信じられない気分・・・ジャンプ台を手作りしていた人がいたわけです。
今でもスキーやっているのかなあ??と思って調べたら、”日本一小さいスキー場”と書かれてありました。営業している・・・雪の降る場所に住んでいたとき、裏の公園の斜面で子供をそりで遊ばせていましたが、そんな楽しみ方が、今、ここでできるわけです。

  地質は、ひたすら「火山」の山。ガラガラとした岩があちこちにみられます。
  ただし、標高の低いところには古い時代の岩石も顔を見せています。黒檜山の南東標高960mのところには、中生代といった古い時代の岩石が見られるといいますから、びっくりです)


黒檜山頂付近より・・遠くに小沼が見えています(左写真)。中央より少し左にうっすら見える白い部分。かつての噴火口です。
沼のまわりにはシロヤシオがたくさんあります。手前はコメツツジ(花はこれから)。

山頂近くからはコメツツジの群落が広がり、その下の標高にはサラサドウダン、さらに下ると、トウゴクミツバツツジやシロヤシオが育ち、ヤマツツジが育ち、それぞれに棲み分けていました。
  もう少しすると、小沼や大沼の付近をレンゲツツジのオレンジの花がうめます。

途中でウスバサイシンが花をつけていました(左)。この葉を食べて育つ蝶がいます。赤城山のものは、「赤城姫」の愛称でよばれ、かつてはたくさんいたそうですが、今は激減。これを救おうと、地元の小学校が協力して、保護運動がされています。チョウの名前は、ヒメギフチョウ。卵や幼虫を捕ったりなどという不心得を許さずに、わずかに生きのびた者たちを守る活動が続けられています。
ツツジの大木の根元が少し赤い色なのがおわかりかと思います。
これは、鹿による食害、鹿が木の皮を食べるのです。
木の皮の部分には、水や養分、栄養分を運ぶ管が通っています。ですから、まわりじゅうを食べられてしまうと、木は枯れてしまいます。
ツツジはおいしいのでしょうね・・・・
  最近、各地で鹿の食害が問題になっています。

いつでも行ける、山頂近くまで車で行ける、前橋市街のすぐ裏にあるという気分になる山ですが、山の雰囲気たっぷりです。
  
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下仁田の鉱山    

       私の聞いた範囲のものを下の地図にのせました。


中小坂(なかおさか)鉄山

 日本で最初に近代的製鉄所がつくられた場所と記録される、歴史ある鉄山です。

紹介の看板もありましたが、今では案内していただかないとなかなか様子がわからない場所ともなっていました。地元の方々は鉄山研究会をつくって、この鉄山のことを調べ、新たに紹介にもつとめておられます。

 国道254にすぐ近く、山道を少し登ったところに、鉱山あと、坑道あとが残っています。 なお、坑道内は危険があるため、案内者がついて許可を得た時以外は入らないでください。 
                                                写真 本多優二さん






明治のごくはじめ 明治7年(1874年)に日本初の近代的洋式高炉をもつ中小坂鉄山が生産を開始しました。民間資本による開発でした。
積極的な技術導入をおこない、最新鋭設備を備えた画期的なものだったといいます。
木炭を使た高炉(のちにはコークス使用)、蒸気機関を使った送風設備、また鉄鉱石採掘から鉄製品の製造まで一貫した設備を備えるという、近代的にシステム化されたものだったそうです。当時の日本の技術では満足な資材が提供できないため、輸入した資材を大量に使用し、外国人技術者の指導を受け、効率化・省力化を図る巧みな設計が実現され、建設費用も低く抑えるよう工夫されていたとのことです。
今でも、中小坂でつくられた鉄びん、大火鉢などが残されています。ふっと思ったのですが・・・・第2次大戦末期、鉄の供出で鍋釜まで提供した話を聞きますから、よくぞ残したものだと。大火鉢は明治十年博覧会出品の作品です。

この地域には燃料の木炭生産があり、また製鉄には石灰岩が必要であり、これは青倉にある石灰岩が提供できることも有利な条件だったようです。というわけで、なぜここに白羽の矢がたったのかといえば
①良質の磁鉄鉱(鉄含有量70~80%) ②燃料の木炭、 ③炉に投入する石灰、
    これらすべてが調達できる好条件があった

とはいうものの、この鉱山が採算のとれることはありませんでした。明治11年(1878年)には政府が買い取り、明治12年から官営工場として操業、その後も民間経営になったり、様々な歴史をたどり、明治41年(1908年)操業停止。施設もすべて撤去されたということです。技術的には高く評価されたようですが、世界経済の中で翻弄され(世界恐慌もあった)、関税自主権のない時代、海外からのダンピングをうけたりと、経営が立ちゆかなくなる条件がたくさんあった時代でもありました。

明治13年(1890年)に官営の釜石製鉄が操業を始めるまで、この中小坂鉄山が、日本で唯一で最大の洋式製鉄所だったそうです。釜石といえば近代的製鉄業発祥の地とされますが、それより前に、近代的システムを備えた鉱山がこの地にあったということに驚きを感じます。遺構も、写真さえもほとんど残っておらず、すっかり忘れ去られているということに、一抹の寂しさをも感じます。釜石はその後の日本の産業発展にしっかりと食い込んでいったところが違いとなるわけで、わからないわけではありませんが・・・釜石といえども、その経営には辛酸を極めてきたというわけですから、簡単な話ではないわけです。

 ところで、この資料を調べてみると、年代の数字などに違いがみられたりします。ネット記事に見られる数字と下仁田町のHPの数字が違ったり。インターネット資料は、皆さんが転載を繰り返していき、不正確になる場合も往々にしてあるかとはおもいます。こころして正しいものをのせられるようにせねば・・。

調べてみると、中小坂鉱山では昭和12年(1937年)再開発がおこなわれ、昭和36年(1961年)まで続いたといいます。地元の年配の方には、いろいろ知っている方もいらっしゃるのでは・・
また、東2kmのところには近江山鉱区、西1kmのところには春日田鉱区もあり、昭和戦前期まで鉱山経営がされていたとのことです。

この鉄山がみつかったのは江戸時代末期で、その頃から製鉄が試みられてきました。なんといっても、ここの鉱石は非常に品質が高い。鉄含有量70~80%ですから。純度が高いのなら、すぐに良質の鉄が作れそうに感じてしまいますが、そんなことはなくて、とにかく様々な人が様々な試みをおこなっても、なかなかうまくいかなかったようです。やっと高い技術で品質の高い製鉄を可能にしても、今度は販売の面で立ちゆかない・・・少し技術で手をぬけば、またちゃんとした鉄はできない・・・実に大変な世界だったようです。


 <鉄鉱石のできたのはどんな場所・・・・>
鉱床は、かつて激しい変動を受けた地域にあります。激しく圧砕された黒色泥岩の地層に花崗岩が入り込んでいます。その接触部分に鉱床ができたようですが、詳しいことはよくわからないようです。
  泥岩は南蛇井層(なんじゃいそう)という、中生代ジュラ紀~白亜紀という古い時代に海に堆積した
  地層、花崗岩は6500万年前のもの。平滑(なめ)
花崗岩といって、黒雲母など見られないという、 ちょっと変わった花崗岩です。
中小坂の磁鉄鉱


一度行ったことがあるだけで、よく知らない場所なので、歴史などをせっせと調べてみました。 鉱山あとに行ってみると、ちゃんと磁石にくっつく鉱石が拾えるのが楽しい・・砂鉄ならどこでも集められるけれど、石で磁石にくっつくものは、そうは拾えない。でも、たくさんの人が行ったら、拾えなくなってしまうかなあ・・・・などと思ったり・・・
持つとずっしり重い鉱石、見た目はただの黒っぽいきれいとは言えない石ですけれど。
鉄の比重は7.85 、つまり、水の7.85倍の重さがあるということです。1リットルの牛乳パック1本に水を入れたら1kgですが、鉄を入れたら8kgに近い。そんなものが7割、8割入っていたら、重たいはずです。ですが、拾うには、ちゃんと磁石を持って行って、くっつくかどうか確かめた方がいいです。      
ちなみに金の比重は19.32  金の延べ棒が重たいはずです。

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季節の便り

麦畑が黄金色にみのっています。  麦秋   この言葉を知らない子供たちも多いことでしょう。

群馬県は二毛作の地域で、田んぼはにまだ稲ではなく、麦が見られます。


麦刈りは暑い中、チクチクと肌を刺すような芒(のぎ)などの小片と、汗にべったりとまとわりつくホコリとの作業です。少し前まで、すべて手作業で刈っていたわけで、とてもきつい作業でした。

今ではコンバインで刈り取りますが、それでも、暑さの中の作業を見ると、大変さを思ってしまいます。

梅雨と競争のような麦刈りですが、今年はもう梅雨入りです。猛烈な雨も降りました。
これから先1週間の天気予報も雨ばかり。麦刈りはいつできるかなあ・・・・




それにしても、世界各地で、こんな小さな穂の中の種を取り出し、主食にしていったのだなあと、感慨があります。これはお米についても同じ。
初期は、もっと雑草のようで、種子を集めるのが大変だったろうに。しかもそれを粉にするという手間!主食になることに、よくも気づいたものだと思います。

下は六条大麦。この実を煎ったものが麦茶になります。ふやかしてペタンコにつぶしたものが押し麦。麦畑の一部に、時たま見かけます。
長い芒(のぎ)が風に揺れ、明るい色の、きれいな麦ばたけになります。

薄茶色の収穫風景がひろがり、秋のようだから麦秋。
麦以外でも枯れたようにみえるものがあります。右下写真は麦に混じったカラスムギ。道端や空き地にも、あれこれ麦の仲間が見られるはずです。除草剤をまいたんじゃないか、病気じゃないかなどと思う人もいるかもしれません。でも違います。麦と同じに、「実りの季節」なのです。
 これらの雑草には、牧草として持ち込まれたものがたくさんあります。牧草には外国産のものが多く、外来種ということになります。
   玉村町の道端にはえる雑草は、外来種のオンパレード
 

下仁田荒船風穴の隣に位置する神津牧場、ここは日本最初の洋式牧場として1887年(明治20年)につくられたという、歴史のある牧場です。ジャージー種の牛の飼育で知られ、観光地にもなっています。
ここは外国の牧草の導入によって、早くから外来種が見られた場所として知られて、古くから外来種が調べられたようです。
ネットを見ると、1960年に野生化がはじめて確認されたハルザキヤマガラシの例がしばしば報告されます。写真を見れば、「ああ、あれか」と思うかもしれません。環境省による要注意外来生物指定という、ありがたくない植物です。「日本の侵略的外来生物ワースト100」に指定している団体もあるくらいです。
他にも早くからたくさんの外来種が見られたという、ちょっと日本離れしたハイカラな地域だったのかも・・・・・今となれば、どこでも外来種の増加が問題となっています。


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身近な植物を紹介
栗の木に花が咲いています。ちょっと独特の香りがします。
ところで、雄花と雌花があるの、ご存知でしたか?
穂のように目立つのは雄花。
やがてイガに包まれたクリになっていく雌花は左写真の真ん中あたりにある、小さな丸っこい塊の上に、ちょこっと毛が立っている。
雄花には昆虫がたくさんやってきています

栗の木
竹やぶにはマダケのタケノコ
        今頃伸びてきます。
カゴをつくったり、養蚕道具にも活躍したマダケ



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