2014年6月1日日曜日

下仁田の鉱山・石材 その1 石灰岩




人々が利用した石

日々の生活と石とのつながり・・・・?   そんなこと考えたこともない・・・・・・これが普通。
 ですが、古くは、石器をつくり、火打ち石を使い、石垣を組み、石臼で粉をひき・・・
 石は身近で重要な存在だったに違いありません。

(本当は、今も石・鉱物・地下資源は現代社会で重要です。鉄や銅、あるいは石油・石炭はもちろんですが、最近聞く言葉「レアメタル」も日本語に訳せば「希少金属」で、地下から掘り出したものです。ハイテク製品も携帯電話も、これがなければ成り立たない。ちょっと調べてみると、実に様々な製品に様々な「レアメタル」が使われていて、現代技術のすごさ、複雑さを感じます。昔よりわかりにくくなっただけで、大地から得たものが社会を支えていることに違いはないわけです。
    ここでは下仁田町や南牧村での鉱山や石材を紹介してみます。


下仁田周辺の鉱山・石材

地質の複雑な下仁田付近では、岩石もさまざま。
なかには、役に立つ地下資源もありました。

複雑に入り組む地質ですから、大規模な鉱山はありませんが、いくつもの種類が見られたようです。
 そんな話を資料で見て、場所を地図に入れてみました。だいたいの場所なので、少し不正確かとも思いますが、その点はご容赦を。地元の方にもっと聞いてみたいものですが、今日のところは下の図にあげたものの紹介です。
星印が、私の聞いた範囲での鉱山・石材の産地です。

上記以外にも、虻田で砥石を産したなど、聞いています。○○が出そうだと穴を掘ったあとがあるとか、金が出た場所がある・・と聞こえてきたり。
   「地面を掘ったら宝物が出てくる」という話、みんな好きなんですね。

簡単ですが解説します。


青倉の石灰岩

  石灰乾燥施設
下仁田自然史館から道に沿って少し南に行くと、白い岩壁と工場が見えてきます。ここには石灰岩が分布し、採掘されてきました(現在は採掘されていません)。工場は白石工業 白艶華(はくえんか)工場といい、ここにはかつての石灰製造過程での石灰乾燥小屋が残されています。    
工場と道路を隔てて見える石灰岩の岩体
白石白艶華工場


石灰(炭酸カルシウム)製造過程での天日乾燥施設

この工場は昭和7年(1932年)に出荷開始という、長い歴史をもつとのこと。この歴史の長さに、まずびっくり。建設着手は大正12年(1923年)といいます。白石工業KKの本社は広島市といいますから、どうしてここに工場を?と思ってしまいます。

白石工業は石灰岩からきわめて微細な粒子の石灰(炭酸カルシウム)を製造する技術を開発した白石恒二氏が設立(1910年)、炭酸カルシウムのパイオニアといわれる会社だそうです。白い石を扱うから「白石」なのではなく、白石さんという創業者の名前からついた会社名なのですね。

工場設立には石灰岩があるだけでなく、製造工程で石灰の乾燥が必要であり、当時は天日乾燥だったため、石灰の乾燥に適した気候の場所を探したのだそうです。そんなことから青倉が選ばれたといいますが、よくここに目をとめてくれたと思います。
他にも、豊富な水を利用した水力発電、建設資材の木材もその場で手に入るといった好条件がありました。

白石さんは炭酸カルシウムの技術開発をすすめ、1927年には0.02~0.08ミクロンという非常に細かな粒子製造に成功し、その技術で下仁田の青倉の工場の操業を開始したといいます。海外から特許買い取りの申し出があっても、国内で生産ができるようにすることが目的だといって応じなかったといいます。お金儲けのためだけでなく、日本国内で生産していけることを望んだ・・こういった話を聞くと、「気概がある、いいなあ」などと感じてしまいます。
「下仁田のはずれにある、規模も大きくもない何だかよくわからない工場」から、「歴史ある工場」に認識が変わりました。
その「歴史ある」場所だから、石灰乾燥場の建物が残っている・・・写真にある棚一段一段に、石灰の塊を人の手で運び上げ乾燥したとか。100棟を超えてあったそうですが、今残るのは3棟?(3ブロック?)高さ10m、長さ70mほどにわたる施設で、トタンの屋根と柱だけで構成される施設です。棚のような場所に石灰を置いたのでしょうが、これが43段までかぞえられるとか。昭和7年から昭和43年頃までつかわれたようです。まさに、「産業技術遺産」!!
遠目にみても、いつ崩れても不思議はないかもと思えてしまう・・・・これって、価値ないのかなあ・・・・
    なお、この施設は工場敷地内にあるため、無断で見学に入ることはできません。
    この写真も、道路から撮影しました。もう少し正確な情報を教えていただきたいな、といったところです。

ここの石灰岩体は、かつては道に覆い被さるかのようだったといいます。青倉石灰は富岡製糸場の煉瓦をつなぐ漆喰にも使用されたそうです。

4年ほど前のこと、観察会で子供たちと一緒に青倉川をさかのぼり、この工場も訪問しました。
炭酸カルシウム製造工程の一部も見学。炭酸カルシウムの利用は、ゴム・プラスチック・塗料・紙・食品・・・ここの炭酸カルシウムは、とにかく多種類のものに使われているとのこと。石灰は多方面に利用価値のあるものなんだ、と再認識。そんなわけで、工場では現在の操業についての解説が主でした。
石灰岩が大量に使われているのは、もちろんコンクリートです。身近なところでは畑にまく石灰、学校のチョーク、白線といったところが思い浮かびます。
  ずっとあとで調べる機会があり、乾燥施設についても再認識したというわけでした。
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10年以上前かと思いますが、下仁田自然学校で、子供たちとの行事で神津牧場までハイキングしたことがありました。荒船風穴の付近からてくてく歩いて、けっこう歩きでがあるなあなどと思いながら。スタートの風穴のある集落では、ここにお住まいのかたのお庭にあったサクランボに実がたくさんなっていて、子供たちがたくさん食べさせていただいたとか、そんなことは覚えているのですが、さて、風穴の存在を認識していたかどうかも定かでない・・・時間に追われて、せっせと通り過ぎたのかなあ・・・風穴なんて、誰も見向きもしなかったということか・・??・・・今、それが世界遺産ですから・・・
誰かに教えてもらわなければ、なかなか価値はわからない。価値の判定のできる人にきちんと判断してもらう必要も感じるところです。


磐戸(いわと)鉱山・・・青倉石灰の採掘跡


 道を青倉川ではなく南牧川の方向にたどり、そこからさらに支流方向に、青倉石灰岩体の続きでかつて採掘していた場所があります。私は訪ねたことがないので、資料を見ながら紹介してみます。

 1971年発行のみやま文庫の1冊「地学日曜散歩」に、当時の石灰岩の採掘写真が掲載されています(右写真)。
位置は下図に載せられています。左すみに「青倉石灰工場」という記載が見られます。この図の道路沿いの工場は現在、有恒鉱業KK青倉工場となっていて、青倉石灰工場としての操業は1943年~1994年とのこと。この工場の場所の南東奥の方に、石灰採掘時の跡が残されているようです。磐戸鉱山といいましたが、閉山しています。所在地は南牧村になります。
最近は「廃墟を訪ねる」のを趣味としている方々がいらして、テレビなどでも紹介されて、へえー・・・と。ネット上にはそんな方々により、写真が紹介されています。
   いつか行って見ようかな。

 
青倉の石灰岩は古くから利用されてきたようです。古文書に最初に見られる記述は、1659年のものがあるそうです。富岡町と一ノ宮の荷物継送りの返答書の中に「下仁田より石灰荷」とあるとのことですから。その後も、例えば、1860年「福田家が南牧谷幕府領の石灰稼ぎ村々の総代になった」とか、いくつかの記述がみつかるようです。
平地が少なく、最近は高齢化率全国1位としばしば取り上げられる南牧村ですが、古くからの地下資源の利用など、様々な産業に支えられてきた場所だとわかります。





青倉の石灰岩は白く、質のよいものです。化石は出ていません。
青倉の石灰岩
石灰岩地帯には「好石灰岩」植物が見られます。アルカリ性の石灰岩の地を好む植物たちです。日本の土は、一般には弱酸性、ということはアルカリ性を好む植物は、日本では少なめ・・・?。実際に絶滅危惧種のリストに載っているものがたくさんあります。
カタツムリの仲間は石灰岩があると、殻の材料があるので、大助かり。しかも、彼らは移動するスピードがゆっくりですから、地域によって少し違ってきたりします。そこで地域により違った種類が見られたりするわけで、これも希少な生き物になってレッドデータのリストに載る場合が・・・・
石灰岩があったら、こんなものたちのことも心にとめたいです。
 実際に、岩体の規模としては小さめのこの青倉石灰岩地域でも、希少なものもみつかっています。下仁田自然学校の名誉顧問・里見哲夫さんは、こういった植物やカタツムリなどを、丹念に調査されています。

岩石としての石灰岩については、この講座の「石灰岩」でも取り上げています。
  2013年10/6   10/8のものでした

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 姶良(あいら)カルデラ・・・この言葉、どこかで聞いたことありますか?
                 ATは? 姶良Tn火山灰は?

5月29日だったかのテレビ報道番組ニュースステーションで、かなりの時間を取って解説がされていました。
なぜか・・・九州にある川内原発再稼働申請に関わり、火山学者が火山噴火への懸念を表明しているから。地震なら十数万年の時間を考慮するのに、火山では数万年でさえも考慮していない、と。 「姶良」が現在のホットで重要な話題になっているのです。

  AT(姶良Tn火山灰)は地面に埋もれている火山灰の名前で、今から2万9千年ほど前噴火の火山灰です。
 噴火場所は鹿児島県錦江湾(鹿児島湾)の奥の方、桜島のある付近です・・・・桜島の火山じゃなくて湾??と聞きかえされそうです。あまりに大規模な噴火で、地下が空洞になり、直径20kmほどの範囲が落ち込み、そこが湾になった、というわけなのです。噴出した火砕流は周囲をおおい、現在はシラスとよばれて5m~10mの厚さにつもっています。さらにこの火山灰は日本中に降り積もり、下仁田でもみつかるというわけです。当時の南九州、姶良から半径80kmの生物は死に絶えたといわれます。
川内原発は姶良カルデラから40kmの位置にあります。噴火のことは考えなくてもいいと言われてもね・・・・
 「そんなことまで考えていたら、何もできない」という人もいますが、800年、1000年に一度の津波もちゃんとやってくるわけです。火山活動の活発な九州、という事実を無視していいのか・・・そんな議論もされています。
   なお、この講座でも、「降り積もった火山灰」として、AT等についてとりあげたことがありました。

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季節のたより
   道沿いにて

♪ 卯の花のにおう垣根に ホトトギス早も来啼きて
    忍音もらす 夏は来ぬ
                                       マタタビの葉が白くなり始めました
  下:ウツギの花、ウノハナともいいます。                                                                                          つぼみが付いています、もうじき花が咲きます

                                        


下:スイカズラが甘い香りをふりまいています。
 金と銀の色で、花の筒の下の甘い蜜を吸ったものです                           
忍冬(にんどう)・キンギンカともよばれます                  ガマズミの花の房もありました。
                                  親たちが養蚕で忙しくしていた頃と この花の                                      姿が記憶に重なります

クサフジ 
似た花で8月頃咲くのはツルフジバカマ

  

草の生いしげった道端には、クサフジがたくさんの花の穂をつけていました。
 もうじき夏がやってきます。
 今年の気温は もう 30℃を何度か超え、早々と夏
 といった趣です。

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5月28日、大荒れの天気でした。次の日も。
28日の午後4時過ぎ、私は草津に向かっていました。
草津まであと5kmのところで、天気は急変。空は黒くかきくもり雷鳴がとどろき、なんと、バラバラと氷の粒が・・
(ひょう)です。
はじめはおもしろがって喜んでいたのですが・・・・


写真を見ていただくと、だんだん顔つきが変わってきたのがおわかりいただけるかと。
車はいつまでも動かず、やがて意を決してノロノロ進み始めたものの、斜面側から泥水が勢いよく流れてくるのをみて、土砂崩れの心配もふと頭をよぎる・・・
ここまでの量の雹には、さすがに出あったことがありませんでした。



雹がつもって、まるで雪景色。赤い屋根からは次々と雪の塊のように、雹がすべりおちていました。
 ノーマルタイヤの車にとっては、なかなか進む気になれない。
次の日も突風と強い雨の荒れ模様でした。

5月から6月は、じつは大荒れ、雹、といった天気が見られること、気づいていらしたでしょうか。
突然の突風と大粒の雨に、窓を開け放した学校の教室では机の上のプリント類は舞い上がり、大慌てで窓ガラスを閉めたり。
ずっと昔、そんなことを調べたことがあったのを思い出しました。
今回のデータを調べたらベストなのですが、とりあえず、そのずっと昔の資料がでてきたので、それを載せてみます。今回の説明に、ぴったりだったものですから。
  「梅雨の頃」と書いていましたが、梅雨というにはちょっと早すぎるかも。
  「5月末から6月にかけての雷」ですね。
上空に冷たい空気の塊がやってくるというのがポイントです。マイナス21℃とありますが、今回は何度の空気があったのかな。
雹は農作物に大きな被害をもたらします。雹の降りやすい地域があるとかです。


       梅雨の頃の雷 ・ 真夏の雷





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