2014年6月16日月曜日

下仁田ジオパークの鉱山・石材  その3 砥石


砥石

砥石、使っていますか? 「何と読むのかわからない」という若者も多いかも・・・「といし」ですよね。
偉そうにいったものの、じつは私も、包丁の研ぎ方がよくわかっていない・・よく切れる包丁は料理をおいしくするといわれるのに。

南牧村の砥石産地は、かつて江戸幕府直轄とされ、有名なものでした。
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かつて、砥石は身近で大切な道具だったはずです

榛名山の麓、金井東裏遺跡でみつかった「甲を着た人骨」、6世紀初頭の榛名山二ツ岳の噴火のとき火砕流に埋もれ、みつかった人骨が大きな話題になりました。
発見された人骨は、発掘からすぐあと、2013年3月に、緊急に一般公開もされました。



この緊急公開のあと、ていねいに遺体を調べ、うつぶせの遺体の下まで調べていったわけです。

このとき、砥石がみつかりました。
この人は、砥石を持参していたのです。小さな穴があるので、ひもを通して身につけていたとおもわれます。

鹿角の柄の刀子(とうす 小さなナイフのようなもの)が一緒にみつかっています。きっと、その刃を研ぐための砥石だったのでしょう。



古墳時代の人骨で、甲を着たものの発見は、はじめて、
火山噴出物の下からみつかったのも、全国初でした。
1500年ぶりの姿・・・・
 
発掘現場にも行ってきました。
ここからは4体の人骨がみつかっています。2体は全身骨格が残されていました。一人は首飾りをつけた女性です。石の管玉とガラス玉の首飾り。
他に乳児もみつかっています。

人や馬の足あともたくさんありました。この噴火ではたくさんの方が亡くなったのかもしれません
発掘現場


古墳の中からも砥石はみつかっています。
埼玉県行田市の5世紀の埼玉(さきたま)古墳群の
稲荷山古墳でも、砥石がおさめられてました。

この古墳、大変に有名です。
納められていたさびた刀にX線をあてたら、なんと金の文字が浮かび上がってきたのです。金象嵌(ぞうがん)で刻まれた115の文字は、日本の歴史研究に重要な文字となった・・・鉄剣は今、国宝になっています。この剣にもちゃんと砥石がそえられていたというわけです。

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南牧村の砥沢は、砥石の生産で有名でした。江戸時代は幕府直轄とされていたほどというのが有名な話。

この砥石、古墳時代から使われていたようです。そして、昭和50年代まで採掘が続けられましたが、今は採掘されていません。なぜ? 

・・・・・・・人造砥石がつくられ、すっかり取って代わられたから。昭和30年代の高度成長期には、天然の砥石はほぼ役目をおえました。
       そればかりか、刃物を使う生活も、ずいぶん減ってしまいました。


砥沢砥
  南牧の道の駅に行くと、南牧産の砥石が販売され、下のような解説も掲示されています。
































もっと高価なもの(2万円とか・・・)もありました。




下仁田から流れ出している鏑川流域では、古い時代から人が住み、遺跡発掘では砥石もでてきます。
今と同じに、刃物の研磨に使われていたものであることが、使用痕からわかります。
ジオパーク講演会での秋池武さんの報告を参考にして、発見された砥石の例をのせます。
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・古墳時代前期
  甘楽郡天引遺跡の住居3軒から4点

・平安時代
  吉井町黒熊中西遺跡10号住居より、天慶四年(880年)の刻印字のある砥石

・14世紀末、禅僧義堂周信の「空華集」中にある「砥」の文字が、砥沢砥と見られる

・砥石管理の権利について残されたもの 

  1555年
    藤岡市平井で源左衛門が砥石山を管理し、武蔵榛沢郡人見の太郎左衛門にあてがわれ
    た、といった資料・・・北条氏堯の印判状より
  1565年
    無許可採掘者は荷馬ともとらえて連行せよとの命令(北条氏邦より太郎左衛門宛て)
   1557年
   西上州から出される砥石は、仁美(人見)の太郎左衛門の手判のないものは商売ができない
      よう、北条氏邦の印判状に印されている

・江戸時代
  砥石需要が庶民にも広がり、幕府管理の下、国内各地に流通した。
   
     道の駅の記述とちょっと違いますが、発掘その他の調査によって調べられたものです。
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砥沢の石って、どんな石?白い石だけれど・・・


流紋岩です。地下のマグマが地表浅いところで冷え固まったもの。ただし、この場所の流紋岩は地表に流れたのではなくて、900万~800万年前、地層に入り込んだ(貫入した)ものです。

さらに後から熱の作用を受けて少し変化していて、細かい結晶で加工しやすいものになっています。小さな粒のザクロ石(ガーネット)が入っていて、これが砥石の性能を高めているそうです。宝石になるような粒のガーネットではないのですが、ここでは、粒の小ささが砥石の価値をたかめています。粒が大きかったら砥石になれなかった・・価値がなくなった・・
  場所は砥沢本谷奥です。南牧村砥沢本谷の奥では、今でも鉱山跡が見られるそうです。
  この地域の経済も大きく支えてきた石だったわけです。

これも砥沢の石です
砥沢の石でつくりました


小坂でも砥石を取ったところがあるそうです。場所は小坂村大字小坂、明治の頃から採掘して、今でもその跡が見られるということで、本多優二さんの「下仁田ジオパーク応援団」のブログに紹介があります。昨年6月の紹介です。
http://geogunma.blogspot.jp/2013/06/blog-post_9.html

こんなことを書きながら、じつは私、砥石のとれる場所、鉱山跡にいってみたことがありません。
皆さんの書かれたもので紹介させていただきました。

この流紋岩は、下仁田では鏑川の川原の石でよく見かけます。青岩公園での川原の石の観察会でひろう、白っぽい石の一つがこれです。
この石でつくった作品を紹介します。下仁田自然学校の細矢さんが作ってくれました。
砥石にするには、さらに吟味して、砥石にむいたところを選ぶのでしょうね。

もっと昔の砥石

古墳時代より前、縄文時代にも砥石は使われています。
考えてみれば、「磨製石器」というのは、石を磨いているわけですから、磨くための石、「砥石」があってもいいはず。
縄文時代中期(5000年ほど前)、鏑川周辺の地域では、砥石に牛伏砂岩という石を使いました。
牛伏山という山があるのは、地元の方ならご存知かと。その付近でとれる砂岩を利用したものです。
牛伏砂岩というのは、富岡や高崎の丘陵をつくる富岡層群という地層の一部で、その中でも一番古い部分です。海に堆積した砂です。

どんな砥石?といわれても、実物は知らないので・・・「牛伏砂岩」なら見たことがありますので、その写真を下にのせます。
一言で言うと、粗い粒の砂岩で、大粒の石英や長石の粒が入ったものです。石をガリガリ削っていくのには適していたのでしょう。
鉄製の刃物が使われるようになると、そんな石で削ったら、ぼろぼろになってしまう・・細かい粒の砥石が必要になり、そこで砥沢の石が最適の石として登場したわけです。

牛伏砂岩の石垣・灯籠


甘楽町小幡の磨崖仏も牛伏砂岩、この面は断層になっています。中央構造線はこの付近を通っています。
右はその近くの砂岩です。ザラザラした石です。




下仁田町吉崎の「吉崎遺跡」、馬山で高速道路インター建設時に発見された「下鎌田遺跡」からは
牛伏砂岩製の砥石が多数出土したそうです。どうやら磨製石斧制作場所だったのではと言われています。ここでつくって利根川流域まで持って行った・・・・このときの発掘品は大量に保管されていますから、いつか見せていただこうかな。
 縄文時代中期には、定住生活も営まれるようになり、木を切ったりするための大型石斧が必要になってきて、それを下仁田ではつくっていたようなのです。5000年も前ですから、商品としてお金で売り買いする時代ではないけれど、石器をつくって流通させていた・・・・人は昔も頑張っていたんだ。


まるで知らない砥石のことを書きました。
いろいろご存知の方、地元の方などから、もっとたくさんの知識・知見が聞けるかもしれないな、などと思っているところです。

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 季節の便り

アジサイの季節になりました。

山の中にも園芸品種でない、野生のアジサイが咲きます

  コアジサイは色も姿も繊細でステキです。 これから、他の種類のアジサイも咲きだします。
 だんだん違った種類も紹介できるかな。

コアジサイの花
                           
沢沿いや石垣にはユキノシタの花


一つの花


        葉っぱを裏返すと、赤い!
これを 利用して、学校では
「細胞の原形質分離」というのを実験します。高校で生物を勉強した人なら 、覚えてる人もいるかも。多くの人が使うタイプの教科書の最初の部分に出てくるので。

でも、きっと実験した人少ないだろうな。何しろこの葉っぱが手に入らない・・・
ユキノシタがあった、と喜んでも、葉っぱをひっくり返すと、白いものが多い。我が家にあるのも白い。下仁田のは、見事に赤くて、きれい。
赤と白になる条件は?・・・ ・・以前真っ赤だったところが、今回白かった・・・理由??わからないなあ。どなたか教えてください。


       マタタビの花が咲き出しました。下向きにちょっと慎ましやかに咲いていますが、
       白くなった葉が、花のある場所を知らせてくれます。                                          
マタタビの花
いまごろのマタタビの葉

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玉村では麦刈り。今年はずっと雨が降り続いて、麦から芽が出てきてしまうのではと心配に。
6月4日には雨、それからずっと、12日まで降っていた・・・この雨で、農作物の被害も出ているようです。

雨が上がり、やっと麦を刈ることができました。刈ったあとの麦わらは、以前は束ねたりしていましたが、今は小さくきざんでしまい、すき込むのが主流のようです。 麦わらの利用がなくなったわけ・・・・「麦わら帽子」の麦わらは、どこで調達するのかなあ。  いよいよ田植えの準備です。



 
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身近な植物を一つ紹介
        庭先の白い花、何だかご存知でしょうか。実になると多分知ってる。
         ナンテンです。こんな地味な花が咲きます。
         この植物の御利益で 「難を転じて」ほしいですね。






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