2014年6月29日日曜日

下仁田の鉱山 その5 鶏冠石

 世界遺産登録 おめでとうございます  荒船風穴

  養蚕も荒船風穴も身近なものでした。「世界遺産」などとは、思ってもみませんでした。

これから未来に向けて保存して行く責務を肝に銘じていくことになります。
古い時代の神社仏閣が今の時代まで美しく受け継がれ、国の宝になっているのにも、たくさんの人たちの多大な努力があったはずです。日々の清掃からはじまり、修理をはじめとした手入れ、それも原型を守るという基本が大前提、多くの人に見ていただくなどの活動、資金調達・・・関わる人たちの努力が守る価値と遺産・・・

蚕を飼うには、まず掃き立てる(飼う)量を決めて、今回は○○グラムといって、入手していました。かつて、この卵を風穴で保存したわけです。この掃き立て用の卵を扱う農家は、地域での有力者にもなっていたものです。家も大きく立派なつくりをしていました。

群馬県で作成した「ぐんま絹遺産」のパンフレットから、玉村町に残るものをあげてみます。
次は、我が家の近所に残る養蚕農家の施設です。 住居ではなく、養蚕作業用の建物として使用していました。           
                                               








 




            
遺産群に登録された渡辺家からは玉村町初代町長をつとめた方を輩出し(間違いないと思うのですけど・・)、
左写真の家からは、村長をつとめた方、あるいは東京で活躍し歌人の側面を持つ方もいらして、学校の校歌を作詞したり・・・
 このように書くと、地域の名士が町村を仕切り、財力をつかってあれこれのことをやった、とみられるかもしれません。たしかに、多くの若者が、たとえ才能があっても上級学校にも行けずに過ごした時代に、上級学校進学はもちろん、政治から文化活動にまでたずさわることができたというのは、地位と名誉と財力かといわれそう。
ですが、どちらのお宅も、そこに暮らした方々は堅実に働き、努力を積み重ねていたようすがうかがえます。渡辺家に残されているたくさんの文書類もそれらを伝えてくれます。地域を支える産業としての養蚕の要の蚕種を扱い、地域をもり立てていくことに責任を持って努力されたのだと思います。優秀な成績で学業を修めるにも、相当の努力が必要だったと思います。現在お住まいの方々も、みなさん誠実に生活されておられます。
先人への敬意と誇りが、簡単に昔の建物を壊してしまわなかったことにも結びついているのかもしれません。
こういったことを、古いものや過去にとらわれて進歩がないと見る向きもあるでしょうが、そうではなく、歴史を踏まえていく大切さこそを、今とらえるべきでしょう。

それにしても、快適な住まいのたてられる現在、この家に住み続けることは大変なのではとも思えます。木造家屋は、古くなれば修理もかなり必要ですし。そんなわけで、今、昔の建物はほとんど見ることがなくなってきています。


鶏冠石(けいかんせき)で有名・西ノ牧鉱山

鶏冠石(けいかんせき)という鉱物を調べると、日本での産地として「西ノ牧鉱山」が最初にあげられています。どこにでもあるという鉱物ではないので、鉱物好きの人にはよく知られているようです。
ただし、鉱山は1954年に閉山され、坑道入り口はコンクリートで固められ、採集も遠慮願いたいようです。

この鉱物のみつかる場所は安山岩が分布しますが、岩は熱水作用でボロボロとしている・・
ある時、しっかりとした石英脈の中に美しい結晶が・・・そこでは、あけぼののような赤色、オレンジ色、レモン色、黄金色・・柱状や毛状の結晶が輝いていたそうです。
そこにあったのは、鶏冠石、雄黄ゆうおう、またの名は石黄せきおう)。
どちらもヒ素とイオウの化合物・・・・・

「ヒ素」、この名前を聞くと、エッと思う方も多いはず。猛毒物質としてよく知られていますから。
鶏冠石と雄黄の違いは、ヒ素とイオウの化合の割合の違いだけです。
鶏のとさかのような赤い色の鶏冠石は、光があたるとだんだん分解して、黄橙色の粉末の雄黄に変化していくとか(おわび、この記述、間違っていたようです。光に当たって雄黄になるのではなく、パラ鶏冠石になるとのことです)。下仁田自然史館に展示されている鶏冠石は、だいぶ雄黄(ではなくて、パラ鶏冠石)になっているかも・・・・・
この鉱物は、低温熱水鉱床に伴っていますが、火山の噴気や温泉にも含まれているそうです。
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用語が混乱していて、なんだかよくわからなくなりそう。そこで、以下にまとめてみました。ご参考に。

   鶏冠石  (赤色)   光に当たると 
     ⇓
パラ 鶏冠石 (黄色  鶏冠石とは同じ化学組成だけれど結晶構造が異なる。多形の関係)
  
Orpimenntは 別の鉱物のようですね。日本名は使わないほうが混乱がなくてよいように思えてきます。


 

 

日本名

中国名

Realgar

  AsS     AsS 

鶏冠石
雄黄

Orpiment

黄色


As2S3

石黄 明治時代間違えて雄黄とよんだ人がいて、混乱のもとになっている

雌黄

薬学では今でも使うらしい

Pararealger

黄色

パラ鶏冠石

 
現在流通している鉱物図鑑の過半は、オーピメントに雄黄(ゆうおう)または石黄・雄黄併記を採用しており、鉱物学者間では訂正しない派が主流のようである。


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じつはこの鉱山では、もう一つめずらしい鉱物が産出しています。
世界で最初に西ノ牧鉱山で発見されたという記念すべきもので、若林鉱とよばれます。
アンチモンとイオウに少量のヒ素が入った鉱物です。1970年発見。鉱山は1954年に廃鉱になっていたのに、発見は1970年?
もともと雄黄の針状結晶と考えられていたものが、詳細な結晶構造の検討ができるようになり、じつは新しい鉱物であると判明。多くの鉱物を集めた若林さんのコレクションの中から見つけられ、そこで若林鉱と名付けられたのだそうです。世界でもそれほどたくさんみつかるものではないようで、アメリカのネバダなどの名前がでていました。何かに役に立つとかいった鉱物ではないのかと思いますが、希少さがうけるのか、インターネットの世界では、たくさん載っていました、

ここには、前回紹介した輝安鉱も伴っています。

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ところで、ヒ素って気になりませんか?そんな恐ろしそうな元素が入っているものを、一体何に使ったのか?・・・・花火の材料として使ったなどと書かれてありました。花火・・・案外単純な利用に、拍子抜けです。

ヒ素は生物への毒性が強く、水銀やカドミウムに並び称される嫌われ元素の代表格です。
ですが、かつては農薬、木材の防腐、殺鼠剤などに使われていました。宮沢賢治の文章の中にも、「亜ヒ酸」という言葉が出てきます。インチキ「植物医師」が相談に来た農民に次々と亜ヒ酸を売りつけていくという話です。「そうか、これを農薬に使っていたのか・・」などと思ったものです。ヒ素と言われて思いつく事例をあげてみれば・・・

  • 森永ヒ素ミルク中毒事件。1955年、ヒ素の混入したミルクを飲んだ赤ちゃんが100名以上亡くなっています。
  • 宮崎県高千穂町の土呂久(とろく)鉱山  1920年から1962年まで、中断しながらも亜ヒ酸を製造。住民に大きな被害。1975年裁判をおこし、1990年住民側全面勝訴。この過程で、公害健康被害補償法が成立しています。
  • 茨城県では2003年、住民からの手足のしびれ等の訴えから、井戸水へのヒ素が判明。それが旧日本軍の毒ガス兵器によるものなのではと言われ、やがてヒ素を含むコンクリート塊がみつかったが、結局、コンクリート塊のヒ素の出所ははっきりしていないのでは?住民の健康被害が多数みられます。
  • 中国では旧日本軍の毒ガス兵器遺棄によるヒ素被害があり、日中戦後処理未解決問題となっています。
  • さらに、1998年のヒ素入り毒カレー事件・・・・・・だんだん話がおどろおどろしくなってきました・・・・

    おどろおどろしいと書きましたが、実際に、無味無臭のヒ素による「暗殺」の話は数知れず・・小説や歴史の裏話に事欠きません。もっとも、今では容易に検出できるので、すぐにばれますが。
ヒ素は自然界に広く存在し、バングラデシュやインドのベンガル地方では、井戸水に溶け込む自然由来のヒ素で、多数の人に健康被害が引き起こされています。
ヒ素を含む鉱物は西ノ牧のような、熱水鉱床にもありますが、火山や温泉にもでてくるということですから、時には注意が必要になることもあるのかもしれません。

こんなヒ素ですが、かつては肌を白くすると信じられ、化粧品に使われたこともあるとか・・・昔から美白のためには努力をおしまなかったのか。幼少から微量の亜ヒ酸を服用させた地域もあるというのですが、ホント??といいたくなります。こどもが摂取したら、知能障害を引き起こすのでは・・

現在では半導体に使ったりしており、ケータイやプリンターにも・・といった記述もありましたが、どちらかというと需要は減っているようで、扱いの厄介者になっているかもしれません。
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ところで、ちょっと化学の話を。いやでなかったら、ちょっとおつきあいを。

周期表にならんだ元素では、縦方向に似た行動をする元素がならんでいて、とか勉強したかもしれません。同族元素などといって、何だか一族郎党といった趣です。
そこでヒ素の下を見ると、アンチモンがあります。前回解説した、アンチモンです。これも少し毒性があります。
西ノ牧鉱山では、ヒ素とイオウからできた鶏冠石を産しますが、アンチモンとイオウからできた輝安鉱も一緒に産します。そうか、性質の近い物質だったんだ、と、なんだか納得します。
輝安鉱の鉱山だった中丸鉱山は、場所もすぐ近くです。
 (ちなみに、水銀とカドミウムも、周期表の縦方向にならんでいます。ヒ素の位置からは離れますが、)
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なお、下仁田付近では 南牧村に大水沢鉱山という輝安鉱の鉱山もあったそうです。荒船鉱山という、鶏冠石を産する鉱山もあったようですが、詳しいことは調べていません。
下の地図で場所を確認していただけましたら。

あらためてみ見て気づいたのですが、元の地図に荒船山が載っていない・・・毛無岩、兜岩山とかあまりポピュラーでないものが載っていて・・・注意して見るものですね・・・書き加えておきました。
 大水沢鉱山は、ずっと南の方、地質条件のずいぶん違うところにあります。きっと、マグマの貫入があって、鉱床が形成されたのでしょう。このあたりの地質図を見ると、大規模な流紋岩の貫入などがたくさん見られる場所ですから。荒船鉱山は、でき方が西ノ牧鉱山に近い雰囲気でしょうね。

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庭のハンゲショウが白く目立ちはじめました。マタタビを思い起こさせる白い葉の姿です
 半夏生・・夏至からかぞえて11日目頃、7月2日頃、黄道100度の点を太陽が通過する日を言うそうです。
ハンゲショウ
この日までに農作業を終え、休みを取る、農業には大切な目安の日。ここまでに田植えを終わらせる目安。この植物も同じ字を書いて、同じ呼び名を持っています。そして半夏生の頃、白く装います。
玉村でも、今、盛んに田植えがおこなわれています。
今ではゴールデンウィークの頃に田植えをおこなう地域が多いと思いますが、もともとは梅雨時の今頃が田植えでした。

農繁期の一応の終了期を示唆する植物。ハンゲショウ。

蚕、麦刈り、田植え、雑草退治・・・らっきょう漬け、梅干しづくり・・・とにかく、きりなく仕事があったはずです。らっきょうも、買ってきてらっきょう酢に漬けるのではありません。畑に植えたものを何キロも収穫し、余分なところを切り取り、洗い、塩漬けにする・・自給自足に近い生活の田舎の地方では、大切な仕事でした。

「赤城山はツツジがきれい」ときいても、出かけている暇はありませんでした。

絵手紙 小林生子さん
半夏生・・でも、半化粧という人もいます。葉っぱが半分白くなっているので。
庭ではびこってはびこって・・・時々ぬき取ります。ドクダミ科ハンゲショウ属とありました。ドクダミか・・どおりで丈夫。
それなのに今、野生のハンゲショウは群馬県で準絶滅危惧種。他にも23都道府県で危惧種の指定があります。もともと湿地にはえるもので、そんな生息環境がなくなってきているからでしょう。
そういえば渡良瀬遊水池には、野生のものがあるそうです。

おとしぶみ










初夏の山沿いの道を歩いてると、こんなものが落ちていることがあります。オトシブミです。
小さな昆虫が葉っぱをくるくる巻いて、中に卵を産み付けています。「落とし文(手紙)」とは、名前も何ともステキな名前。
5月頃から見られます。
以前、下仁田のほたるやま公園のケヤキの木の下にたくさん落ちていたことがあったのですが、何月何日だったかなあ・・・荒船山に登った時も、子供たちが不思議がって喜んでいました。
 なお、オトシブミの種類はたくさんあるそうで、巻物を切り落とさないのもあります。


庭先のザクロの花は、色鮮やかで、この季節、周囲を明るくしてくれます。

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